Flower Flowers 10





『おはようございます。七夕町医院の化野です。

 早いもので、もうじき冬が来ます。冬は知らず知らずのうち、体に負担を強いる季節ですから、お体の調子の悪い方は、楽観や過信をせず、今のうちに体調を整のえるよう努めて下さい。

 七夕町医院はいつでもご相談をお受けします。

 冬に体調を崩される方で、毎年一番多いのはなんだと思いますか? 皆さん、意外に思われるかもしれませんが、実は……



 それではまた、次の放送日に! 七夕町医院でした』


「それじゃ、先生、また次の放送日、よろしくお願いします」
「はい、いつもありがとうございます、お疲れ様です」

 院内に作った防音のFM放送室。ローカル放送の担当者が、持ち込み機材を抱えて帰って行き、化野は腕時計を見ながら足早に渡り廊下を歩いた。ふと気付くと、フロアーに落ちる外からの明かりが淡い。

 収録が朝だからということもあるが、それは季節のせいだ。いつの間にかもう、秋も随分深い。

 ふと、視線を感じて、化野が顔を上げると、廊下の先の正面入り口で、丁度そこから出ていこうとしている女性が、体ごと振り返るところだった。彼女はひた、と化野を見つめ、深く、深く頭を下げ、それからにこりと笑うとガラスのドアを押して外へと出て行った。

「…あ……」

 あれは鳥渡里の老人のお孫さんだ。ガラス越しの遠くなる姿を、化野は動けずに見ている。あの深いお辞儀の意味が分からない。

 週末ごとに俺が、会いに行っていることを知ったのか?
 それで俺が、あの人を診ているお礼の意味なのか?
 医者として診てなど、いないのに。

 痛み止めや、ほぼ確信できる病状に対して、緩和する飲み薬を最小限渡しているだけだ。それもきちんとした検査もせず、本当は入院が必要だと分かっていて、それも勧めず。気休めにもならない、そんなことを続けているだけなのに。

 もしも、誤解されているなら、それを今解くべきなのでは…。 
 まだ遠くに見える背中に向けて、走り出そうとした彼の足に、その時小さな手が縋り付いたのだ。

「もうっ、駄目よっ、ヨウコっ」
「ダメじゃないもんっ、ヨーコ、せんせいにもちゃんと『おはよう』言うんだもんっ」
「ヨ、ヨーコちゃんっ、久し振りだね」

 ズボンに掴まった小さな指が、その両手が、まだうまく届かない化野の腰の方へと伸ばされている。化野は廊下にしゃがんで、首に縋り付いてくる小さな体を抱き止めた。そうして頭を撫でながら、済まなそうにしている母親にも眼差しで会釈する。

「今日は?」
「あ、私が少し風邪気味で。ヨウコに移さないうちに治したいと思って」

 母親が手にしている診察券を、パッとヨウコの手が奪い、ぱたぱたと受付へ駆けていく。近くにいた看護士も慣れたもので、幼い彼女に礼を言ってそれを受け取って、そのままヨウコに話しかけている。

 わぁ、えらいねぇ。そうなの? 今日はお母さんが風邪を引いたからきたのね? ヨーコちゃんは大丈夫? ふーん、そうなんだ。お母さん、早く治るよう、先生も私たちもちゃあんと診るからね、安心してね。ヨーコちゃんは風邪ひかないように気を付けるんだよー。

 そんな看護士の柔らかな声を聞きながら、母親は化野に頭を下げた。

「化野先生、専門のいい先生を紹介して下さって、本当にお世話になりました。今はリハビリって言うんでしょうか、少しずつ、訓練を始めたんです」

 そうだ、気付けばヨウコちゃんはクマのヌイグルミを抱えていない。クマをいつも入れていたカバンも下げていない。もうそんなにも? 驚いて、化野が母親を見ると彼女は自分のバックを開けて、その奥に入れているクマをちらりと化野に見せてくれた。

「こうやって、一日の間の少しの時間だけは、私に預けてくれるようになったんですよ。不安だったり緊張したりすると、クマちゃん出してってぐずるし、そのまま自分の中に閉じこもってしまう時もあるけど…。あの子の未来の為には、不憫がったり発作を恐れて、願いを叶えてやるばかりじゃ駄目だって、やっと気付いたんです」

 ヨウコは今年で五歳。すぐに小学校に上がる日が来てしまう。他の子と同じ日々を、あの子に与えてあげられるかどうか、今が大切なんだと、先生に諭されて、本当にそうだと思ったんです。だから、不安なことばかりだけど、ヨウコと一緒に、ちゃんと踏み出そうって。挑戦していこうって。

「勇気が出せたのは、先生のお蔭です」

 そう言ってまた頭を下げようとする母親の動作を、必死で止めて、二人とそこで笑顔で別れて…。けれど化野は、院長室のドアを閉めて椅子に身を沈めた後に、思い悩むような顔になっていた。

 願いを、叶えてやるばかりでは…。 
 
 
 窓から差す明かりが、本当に淡くて柔らかい。今は秋で、もうじき冬がやってくる。さっきはラジオであんなことを言っていたのに、俺がしていることは、いったい…なんだ…?

 もうそんなことは飲み込んでいた筈なのに、深く頭を下げて、笑って、帰って行ったあの人の孫の姿が、脳裏から消えない。きっと自分は、その時が来たら後悔する。けれども今考えを変えて、行動しても、きっと後悔するのだ。

 ツーーーー。

 目の前に置かれた時計のアラームが鳴った。診察の始まる時間だ。化野は数秒間目を閉じ、無理に思考を止めて、診察室へと向かった。


 
 

 ピーーーーーーーーーー

    ピーーーーヒョローーーーーーーーー


 高い高い空を、飛んでいる鳥の影。薄青い空に大きな円を、何度も描くように…。丸く、丸く、ゆっくり。

 老人は閉じていた目を開いて、そこに立つ人影を、ぼんやりと目に映した。眩しくないのは、そのせいか。そう思いながら、見えている影を、見知った誰かであるように錯覚している。老いて白い髪をして、けれど背中のぴんと伸びた、りっぱな。

「とう…さん…」

 呟くと、やや仰のいていたその人の顔が、自分の方を向いて、今度はこう思った。

 …ここは、何処だ。
 あぁ、もう俺は…死…?

 老人にとっては酷く現実離れして、そこに居た人の目が、碧かったからだ。その男、ギンコは屈んで、老人の額の汗をハンカチらしきもので拭き、顔や首筋の汗も拭いて、酷く短く、こう言った。

「して欲しいことがあれば」

 それはどうやら、普通のヒトであるらしい。老人は起き上がろうともがこうとして、それをすぐに諦めて、地面と草に身を委ねた。こうして倒れる事なんか、もう幾度目か、数え切れないくらいだった。

「いいや…。何も、ないよ。誰かに、して貰えることで、して欲しいことなんかはなぁ、もう…ないよ…」
「そうか」

 ギンコは立ち上がり、吹く風に髪を乱しながら、そこから見える風景を眺め、そのまま暫し立っていた。そうして浅かった老人の息が段々と落ち着き、静かになるのを見届けてから、歩き出す。ようやっと身を起こした老人が、遠ざかる彼の背に言葉を投げた。

「あんたは…どこ、行くんだ…?」
「…あっちだ。渡来川。…の上流に登ってみたい」
「渡…っ」

 少し大きな声を出しただけで、くらりと強い目枚に襲われ、また横になってしまった老人を、ギンコは振り向いて暫し見守り、その後で去って行った。

「渡来川…、なつかしい…」

 老人はそう言って、草の音を聞きながら、目を閉じた。












 どうしようか、悩んだんですけどね。老人とギンコに接点を作るかどうか。そのシーンを今書くどうか。それをあとでどう生かすかとか、まだ考え切っていなくてですね…。相変わらずでしょう? ゴメンです。

 えっと、それはさておき、この間の回でイサザ目茶目茶元気だったし、ヨーコちゃんとお母さんも元気そうで何よりです。そしてギンコも元気そうです。

 渡来川って、ずっと山奥なんですよ? 流石にギンコは強いなぁ、と。都会派っぽく見える一面もありましたが、流石はスグロについて歩いてただけあるかなーって。比べて先生はもやしですかね。アハ。そんなところも可愛いですが。

 ではでは、10話でーすっ。



15/08/23