VOICE PARTNER  2






 肩を強く叩かれて、化野は殆ど飛び上がるような反応をした。小型機だからその振動が周りの席にも伝わり、四方から迷惑そうな顔で見られてしまう。いつの間にか眠っていたらしい。焦って探すと、端末は胸ポケットにちゃんと収まっていた。

「よぉ、起こすかどうか迷ったんだがな。ほら、外見なよ。Mayon Volcano Smokes。今日は機嫌がいいらしい。見事な煙だ。見とかないと折角の運を逃すぜ?」 

 促され、スカイボートの羽根の下を見ると、まだ星の見える明るい藍色の空を背景に、真っ白な煙を吐き出す山が見えた。まるで真ん中に鏡を立てたように、左右対称の美しい山。どうしてか喉が震えて、すぐには声も出せなかった。
 
 お前はこの国に居るのか?
 俺が見ているこの山を、
 お前も何処かから見ているのか?

 その1時間後、化野はその国の土を踏む。管理外の土地は初めてだが、夜明け前だというのに、やはり暑かった。吹く風に乗った細かな雨が、あっという間に服や髪を濡らして、荷物の中からレインウェアを取り出して着込む。

 雲を透かして淡く差す、黎明の光差しの中、同じ機に乗っていた人々が、我れ先に案内人と契約していて、化野もそれに習おうとするが…。

「おーっと、あんたは俺を雇ってくれよ、安くしとくぜ!」

 見ればスカイボートで隣席だったあの男が、案内人特有の赤いキャップをひょいと被って、化野に笑い掛けていた。

「俺の名前のリアッドは、この国の言葉で"導く"って意味でな。あんたの行きたいとこへ連れてってやるよ」




 リアッドは優秀な案内人だったが、随分と饒舌だった。相槌程度しか打たない化野を相手に、延々と話しかけ続けている。ジープ型の車両に乗せられて、暫し荒野を走り、さらに暫し海沿いを走った。

「あぁっ、そうだ。ひとこと言わして貰うけどよ? アダシノ。あんたは不用心が過ぎると思うぜ? 小型端末機なんて、あんな高価なもん起動したまんまで膝に置いて、すやすや熟睡とかよぉ。あ、ポッケに入れてやったの俺だからっ」
「それはっ、ありがっ、とうっ」 
 
 道はずっと悪くて、バウンッ、バウンッ、と車体が何度も跳ねる。シートの上で尻を打ちながら、化野は短く礼を言うしかない。

「でさっ、音漏れしててちっと聞こえちまってたんだけどよ? あんたのあれさ、ボイスパートナーだろ? しかもイージーオーダーって感じだった。幾つかある中から声とか性格とか選んで、自分の好みに合わせて作れるとかいう。今までの客でも、2、3人持ってるヤツ、いたぜっ。
 それか、もしかしてもっと凄いヤツだったりすんのかいっ? 本物の人間の肉声データを読み込んで作る、なんてのがあるんだって? あれって人工知能が成長してって、長く使えば使うほどそっくりになってくって話だろ? すげぇよなっ」
「まさか。イージーオーダー、だよ」
「……へーーえ。おっ、あれだ。港が見えてきただろっ。あっこから車ごと島へ渡るからなっ」
 
 幅広くて分厚いだけの板のような橋を、ジープで渡って舟に乗り込むと、リアッドは手続きすると言って何処かへ行ってしまった。化野は焦れた手つきでイヤホンを端末に差し「彼」に話しかける。

「おはよう」
「おはよう。2117年08月12日、午前10時21分。もうおはよう、って時間じゃないな。今日のスケジュールが必要なら、指示をしてくれ」
「うん、読んでくれよ」

「了解だ。定めた時刻はなかったが、今日の午後にはマナエト島に渡ることになっている。この国は管理区外なので、天候も気温も予報を参照。午前中から降り出した雨が降り止まずに、午後から数回に分けたスコールになるだろう。目的地と目的を言ってくれれば、それが可能かどうか、ある程度の予想を答えられるが?」

 問われて、化野は一瞬息を詰めた。胸からせり上がる様にして、願いが込み上げてきたからだ。それを言ったら「彼」はなんと答えるだろう。

「…目的地は、マナエト島。ティーシエのいる森だよ」
「マナエト島には、案内人と契約さえしていれば渡ることは可能だからな。でも、ティーシエならそんな小さな島に渡らずとも、首都にある保護飼育室にいる筈だが。その他に目的は?」
「本当に会いたいのはティーシエにじゃない。俺は、会いに来たんだよ、お前に、会いたいんだ」

 とうとう化野の唇から、震える声が零れて、端末は暫し沈黙した。画面がゆっくりブラックアウトしていき、諦めて端末をしまおうとした時、その声は聞こえたのだ。

「悪いが、意味が解らなかった。会いに、って、俺はこれまでも今も、こうしてお前の手元にいるだろ?」
「あぁ、そうだったな。そうだけど、でもそうじゃないんだよ。『お前』には、分らないよなぁ」   

 リアッドは随分長いこと戻ってこなかった。化野はその時間内、ずっと端末を弄って、島のことを調べていた。森の大きさや険しさ、川の位置や深さ、生息している生物のこと。様々な木々や草のことも。

 ウェブディクショナリーから引用しているだけだと分かっていたが、彼の「声」でずっと聞き続けていた。口調や口癖、声のトーン、沈黙の間合いや、ほんの時々聞こえる溜息までが、とても好きなのだ。

 けれど。

 もし彼が知ったら、きっと怒るだろう。許可も得ずに声をずっと録音していた。会えない時間があまりに長い上、危険が常の彼の仕事。ある時、脇腹に生々しい怪我のあとを見せられて、ただ待つのが怖くなったのだ。でも付いて行くことも引き止めることも出来なかった。

 そういう生き方が、まさに彼自身だと、分かっていたからだ。

 それでも、事故やテロ、自然災害のニュースを見るたび、気が変になりそうになって、部屋に隠した高性能の集音機で、彼が来るたびに勝手に声を録音することを始めたのだ。傍に居られない長い時間、それを聞いて、彼はちゃんと何処かに無事でいると、無理にでも信じる為だった。

 そして、次に来る約束も無く、彼がマナエト島にへと行ってしまい、その後、一年が経ち、三年が過ぎ、もう五年もの月日が流れていき…。

 化野は、膨大な量の彼の声のデータを元にした、端末機のボイスパートナープログラムを依頼した。そしてそれが完成する頃、今の仕事を辞めることを決意したのだ。やめなければ長期の休みなど取れない。戻ったら復帰する約束をすることで、やっと彼は自由の身になったのである。

「六年だよ、ギンコ。なぁ? 堪え性の無い俺がさ。これでも我慢した方だと、思ってくれよ」




 ザァーーーーーー。

 何日も、雨はずっと降ったり止んだり。今もまた、随分長く雨が降っている。森の中にテントを張っては、その近場を舟で行き来して、目的のものが居ないと見るや、次の日は場所を移動して、また同じように舟を出す。

 舟は、モーターさえない木と葦で出来たものだ。あるのは雨が舟に溜まらないようにする為に、大きな葉を重ねて作った簡素な覆いだけ。そして食事は、リアッドが森で調達した食べられる草や魚を、調理してくれたり、時には化野が見よう見まねでやってみたりも。

 獣の声、鳥の声、虫の声、木々の葉の音が、ひっきりなしに彼らを包んでいる。頭上からは、広葉樹の葉を叩く雨の音。舟の周りからは、滔々と川の水の流れる音。

 経験したことのないことばかりの、慣れない日々だった。段々と疲れがたまってくるのを、どうすることも出来ずに、これでもう五日になる。その日も、ふたりは櫂で水草を掻き分けるようにして、マナエト島の深い森の中、緩やかな川を舟で渡っていた。

 ふと、雨の音が静かになって、リアッドが声をひそめて言ったのだ。

「今、聞こえたかい?」
「え?」
「今のだよ。ほら、また聞こえた。甲高い鳥のような声さ」

 説明されて耳を澄ませれば、確かに声が聞こえた。短く、繰り返し、呼びかわすようにあちらからもこちらからも。

「舟をとめるよ。ようやっと出会えたらしいぜ。この葉の覆いを、俺らの体の上に掛けるから、姿勢を低くしてじっとして、喋っても駄目だよ、いいかい?」
 
 急に言われて、胸が高鳴った。言われた通りに、化野は舟の上で体を低く平らにし、リアッドのするのを見て習うように、仰向けに寝て体の上に掛けられた葉の隙間から、じっと静かに辺りを眺める。漕ぐのを止めたら、舟は水草に進路を阻まれて、やがては止まった。

 そして一時間以上も、待っただろうか。旅の疲れで眠りそうになったその時、体の上に乗せられた葉の上を、何かが歩いているのに気付いた。毛で覆われた姿、細い細い手足、小さな体が、自分の上に居る。一匹じゃない、二匹か、三匹、いや…違う。もっとだった。

 化野は葉の隙間から目を凝らし、体は動かさないようにしながら、出来る限り目だけを動かして、彼らを見ようとした。すると。

 う、わぁ…。

 まさに、目の前。息のかかるほどの傍に、ティーシエの大きな目が。不思議な目だと思った。見れば見るほど、知的な思考を持つ生き物の目にしか思えない。あぁ、そうだ。彼らはこの島の人々に、神の子、と呼ばれているって、ギンコが、言っていたっけ。

 もっと見て居たい、そう化野は思った。とても静かな気持ちになって、ここで、この森でこの川の流れの上で、彼らを邪魔するものになりたくない、と。けれど。

「ちょ、おい…っ。それは困る、やめてくれっ」

 葉の隙間の下で、ぴかりと光った化野の眼鏡を、ティーシエの小さな手が掴んで引っ張って、そのまま持って行かれそうになり、化野はつい声を上げて起き上がってしまった。

 途端に、ざぁ…っ、と辺り中の木々の枝が音を鳴らし、一斉に揺れたのだ。その枝々にしがみ付いていたティーシエの、100匹を優に超える沢山の群が、あっという間に去っていく。 

「あぁ、あぁ…あ……」
「あーあー、駄目じゃないかい、センセイっ!」
「す、すまない。大丈夫だろうか、ティーシエは。その…この島では、絶滅しかかっていると聞いたんだが」

 焦ってそう言った化野を見て、何故かリアッドは困ったように頬を掻いた。そしてその顔を隠すように背中を向けて、舟の上の葉を掻き集める。いつの間にかすっかり雨は上がっていて、遠くからまたティーシエの鳴き声が、元気そうに幾つも幾つも、重なって聞こえていた。

「さーてと、目的も果たしたし、明日で森に立ち入る期限も切れる。またスコールが来ないうちに帰るとしようや」
「いや、待ってくれ。明日までの期限なら、明日も」

 リアッドは撤収の準備の手を止めずに、はっきりとこう言った。

「悪いが、駄目なんだよ。水草の密集した川を下って、この森抜けるのは、入って来るよりずっと骨が折れるんだ。明日もなんて言ってたら期限を過ぎちまう。禁を破ったら俺は案内人の許可証を取り上げられちまうし、あんただって二度とこの国に入れなくなるんだぜ? ここで粘るべきじゃねぇ」

 とん、と櫂を胸に押し付けられて、化野はもう、頷くことしか出来なかった。

 水面に垂れ下がる枝を躱し、流れの下の水草を櫂で除けながら、その日の日が暮れるまでの間、出来る限り森の出口をめざして川を下る。だが、まだまだ森の只中に居るうち、日がすっかり落ちてしまった。またテントを張って、二人並んでシェリフに潜り込んでから、リアッドはテントの天井に星見の窓を開いた。

「…ワケあり、なんだって言ってたろ? アダシノ。あんたの熱意は俺も分かったし、それがあるからこそ、ティーシエの群にも会えたんだと思うぜ? さっきあんたが聞いたことだが、確かにティーシエは、数年前、一度は絶滅しかけたんだ。専門じゃないから詳しくは知らないが、流行病だとかでなぁ。でも今は、ああして群れて元気に暮らしている。驚いたことに、前より数が増えたぐらいなんだよ」

「リ、リアッド、その話をもっと詳しく…っ」

 化野は狭いテントの中で、起き上がろうとした。でもリアッドの力強い腕がそれを止めた。

「起きるなよ、折角の星が見れなくなるじゃねぇか。見ろって、ほら。目の潰れるようにきれいだろう? 雨の多いこの国では、満天の星は神様からの贈り物なんだぜ? ちゃんと見ないと運が逃げっちまう、って、そう言うのさ」
「………神様の…」

 改めて見上げた星は本当に美しかった。沢山の光る粒が、ひとつひとつ呼吸するように瞬いている。白に青に緑、黄色、橙、赤。遠くで宝石がちらちらしているみたいだ。いや、宝石なんかよりも綺麗だ。

 リアッドは星を見ながら、言った。

「もしもまたこの国に来る時は、俺を呼んでくれよ。俺ぁさぁ、センセイのことも気に入っちまった。帰りも空港まで送るけど、国に戻るまで気ぃつけてな。ボイスパートナーの居るその端末機、盗まれたりすんじゃねぇぜ? 大事なんだろ?」

「うん、分ったよ。どうしても叶えたい願いが、俺にはあるから、きっと、また来る」

 次の日、二人はようやくマナエトの森を抜け、島を後にした。そしてさらにその次の日の夜明け頃に、化野は名残りを惜しみながら、機上の人となる。地上で手を振るリアッドに、自分も手を振り返しながら、また絶対に来ると彼は誓ったのだった。















 惑は、旅行は滅多にいかないし、国外に出ることもないのですが、それでも想像の翼を羽ばたかせるのと、あとはウェブ検索などの力も少し借りつつ、知らない国、しかも国外を旅する、というお話を書くことが出来ます。でもこういうのって、きっかけが無いと書けないものなので、感謝しつつ楽しく書いておりますよ^^

 全後編で、と思っていたら、三話分になってしまったので、今日は一話二話を、明日の朝にラスト話をアップしたいと思います。まだラストちょっと考えたいし。

 そんなわけで「VOICE PARTNER 1」及び「2」をアップいたします。よろしくお願いしますっ。



 

2017/08/13









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