VOICE PARTNER  1





 AIR BUSの飛行音が、窓の外を通り過ぎていく。朝だった。カーテン越しの光が差し込む部屋。少しばかり呆れた態の「声」が、ベッドの上から響く。

「2117年08月11日、午前07時25分。アラームの時間を25分も過ぎてる。休日だからって、ゆっくりし過ぎじゃないのか? 起すのはこれで最後だ。化野、起きろ」

「…うん、おはよう」

 寝乱れたタオルケットを小さくまとめながら、眼鏡をかけて化野は起き上がった。30分も前から、彼はとっくに目を覚ましていて、毎朝きっちり三度起こしてくれる「声」を聞く。最後の三度目だけ「彼」が名前を呼んでくれるので、それが聞きたくて繰り返している日課だ。

「朝の挨拶が聞けたから、今日のスケジュールを確認してくる。また後で」
「あぁ」

 部屋の中はがらんとしていた。これからしばらく家を空けるから、いつも以上に片付いている。テーブルの横を通ると、手帳サイズのタブレットが勝手に起動して、仕事の予定表が浮上し、07時から25時まで、空欄がゆっくりスクロールしてから消えていった。

 ワンタップでタブレットをOFFにして、化野は顔を洗いに行く。着替えをして、キッチンで入れた熱いコーヒーを持って、窓辺へと彼は寄った。ベージュのカーテンを開くと、ベッドに置かれたままの「彼」が迷惑そうに喋り出す。

「眩しいな。あぁ…つい声が出ちまった。ついでに何か用があれば聞こう」
「プライベートのスケジュールを読み上げてくれるかい?」

 コーヒーを一口啜って、化野はそう声を掛けた。カップから立ち上る白い湯気をぼんやりと眺め、耳慣れた声で読まれる今日の予定を彼は聞く。

「午後03時21分に東京FAからフライト予定。その30分前にはスカイボート00A-003機へ搭乗。現在、空路渋滞レベルDのため、目的地への到着は明日のスケジュールになる。引き続き情報が必要な場合は、改めて声を掛けてくれ」
「わかったよ」

 化野は飲み終えたコーヒーカップをキッチンに下げに行く。一度沈黙した「声」が、追い駆けるように彼の背中に届いた。

「そういえば。AIR BUSが休日ダイヤに切り替わったと情報が来ている。出掛ける際は10分程度余裕をみれば、トラブルが無いだろう」
「ありがとう。まったく、有能だね」
「礼はいいよ。俺はこういうことの為に、此処にいるんだ」

 帰ってきた短い受け答えに、化野は軽く振り向いた。

 違うよ、そうじゃない。
 そうじゃないんだよ。

 化野は「彼」を手に取って、ブラックアウトしている液晶に、そうっと触れた。ほんの少し暖かい。それさえも、設定で自由に決められる。いつも手元に離さずに置いておく携帯端末に、ぬくもりを求める時代になっている。

 通信だけの為じゃない。
 データの検索の為、防犯の為。
 それだけでもない。
 
 ぬくもり、癒し、話相手。
 ペットの代わり。
 ルームメイトの代わり。 
 家族の代わり。

 そして、 
 パートナーとして。

 流通しているパートナーデータも、老若男女、様々だ。価格にもよるが、合成音声の声のタイプだけじゃなく、性格を細かく選べる商品だってある。優しいタイプ、頼りがいのあるタイプ、素っ気ないタイプ、少し冷たいタイプ。保護者風、子供風、恋人風に、妻風、夫風までも。

 でも、化野の端末は。

「なぁ」
「ん。呼んだか」

  ここに居る端末の「彼」は、あるデータを元にプログラムされた、化野だけの「彼」だった。


「あぁ、呼んだとも。AIR BUSの時間までまだ時間がある。それまで少し付き合ってくれ。何か話をして欲しいんだ」
「またかい。お前も随分物好きだ」
「そう言ってくれるなよ。相変わらずつれないな」

 昼食を取る時、化野はコーヒーを今度は二人分入れて、モスグリーンのカップを「彼」の傍に置いた。ことん、と小さな音がすると、その振動に反応して「彼」は微かに笑みを含んだような声で、こう呟いた。

「コーヒーか?」
「…うん、そうだよ。お前の好きなやつさ。だから機嫌を直して。冷めないうちに、飲んでくれ。そしてまた旅の話を聞かせてくれ。お前が前に歩いたという、世界のあちこち。今も、行っているかもしれない、遠い地の、不思議な話を聞きたいんだ…」





「午後01時47分。イヤホンの装着を確認」

 耳の奥に直接、声が届く。鼓膜が、また嬉しがるように震えた。
 
「音量は4を保つぜ。今日は周囲の音も聞いた方が安全だ。それと、AIR BUS定刻まで残り3分を切った。急げよ」

 注意を促す言葉を聞いて、化野はちらり車道に目をやった。世間も休暇時期だから、道路は見事に渋滞している。でもAIR BUSは空中を来るので、遅れることはまずない。たっ、と身軽く走り出して、彼は道路を向かい側へと横断する。上昇ポートでBUS STOPへ運んで貰うと、丁度滑り込んできたBUSに飛び乗り、あいていた座席につく。

 窓の外を眺めながら、手探りでイヤホンを外し、それから胸ポケットの端末へと顔を寄せて、化野は極小さな声で言った。

「とうとうこの日が来たよ。俺は、馬鹿なことをしようとしてるかい?」

 外出先だから、イヤホンを外された端末は沈黙している。取り出して液晶を見ても、表示に出ているのは今日の天気と温度だけだった。

 地球統制16区
 管理下気温24.05度
 午後03時16分から
 40分間の調整降雨。

 政府に完全管理された温度と天候。でも、化野はこれから管理区の外へ出るのだ。行き先はこの国を出た南。雨が多いと聞いたので、急な降雨に供えて、レインウェアは持った。保存食も少し用意したが、それ以外の準備はあまりしていなかった。本格的な準備は、現地でする予定だ。

 空港でAIR BUSを降り、少々面倒な出国手続きを済ませると、予定通りスカイボート00A-003機に搭乗する。大型旅客機スカイウィングと違って、驚くほど小さな飛行機だった。搭乗人数はわずか30。

「あんた、初めてかい?」

 チケットの番号を見て、2列シートの通路側の席に座ろうとしたら、窓側に既に座っていた男が、そう声を掛けてきた。少しがっしりとした身体、ツナギみたいな形の上下が繋がった服。肌の色が少し濃い。気安い調子で不躾に見て来て、言葉は随分と流暢だが、たぶん、別の国の人間だろう。

「小型機に慣れてなさそうな割に、手荷物は小さめ。この機が向かう島は観光地ですらねぇのにな。仕事かい? それとも、ワケあり?」
「どっちかっていうと、あとの方、かな」

 不遠慮に話しかけられたのにもかかわらず、にこりと笑ってそう答えれば。男はさらににこやかになって、窓側の席を譲ってくれた。

「いいっていいって! なんかあんたとは初めて会った気がしねぇ。俺はリアッドっていうんだけどな。島に近付いたら、そこから下を見るといい。Mayon Volcano。うまいこと雲が切れていりゃあ、マヨン山が見えるからよ。俺なんかはそれで毎回、仕事の運を確かめてるんだ」

 へぇ、と思いながらその山のことを、また「彼」に聞きたくてうずうずした。でも小型端末機のボイスパートナーはまだかなり珍しいし、高価だ。どんな人間が見聞きしているか分からない場所で、動作させるものじゃない。

「マヨン山か。あぁ、見てみるよ。ありがとう」
「いやいや。俺は見飽きてるからさ」

 言い終えると、男は顔にタオルを掛けて、ものの数分でいびきをかき始めた。ごぉごぉと地響きのようなその音に苦笑しながら、これは案外丁度いいと化野は喜ぶ。胸ポケットから「端末」を出して、イヤホンは片耳だけにつけると、早速「彼」が喋ってくれる。

「今日は随分呼ぶんだな。暇なのかい?」
「あぁ、まぁな」

 化野は上着の襟と髪に隠しながら「端末」の集音部に唇をつけるようにして話し掛ける。

「だって、向こうに着くまで4時間半以上もあるし。なぁ、教えてくれ。マヨン山のこと」

「マヨン山…。あぁ、これから行く国で、二番目に高い山の名だろう? 標高、2,463m。美しい姿をした山だな。日本の富士の山によく似ていることで有名だが、火山活動はかなり激しくて、晴れていれば、噴きあがる噴煙が空の上からもよく見える」

「流石によく知っているなぁ」
「…別に。今のはウェブディクショナリーからの引用だ」
「なぁんだ。…じゃあ、あの島についてのことを、何でもいいから話してくれよ。昨日聞いた同じ話でもいいんだ」

「構わんが、いい加減飽きないか?」
「飽きないとも。さぁ、話してくれ、その声で」

 その後すぐに、ぷつ、と小さく雑音が入り「彼」の声は今までの鮮明な声ではなくなった。そう、これは録音だ。彼の声を元に合成されたものではなく、過去に本当に語られた、彼自身の言葉。

 化野は堪らず、イヤホンのもう片方も耳に差して、両手で左右の耳を覆うようにして、目を閉じてじっと聞き入った。




 あぁ、そうだ。だから、多分暫く来れない。
 
 俺が行こうとしているのは、あの国に無数に存在する小さな島の、たった一つだよ。二番目に高い山、マヨンの東側にひっそりと浮かぶ、本当に小さな島だ。

 マナエト・ラ・ティーシエ。その島の名の一部を名付けられた獣が、そこに住んでいるらしくてな。今、原因不明の病で、その獣が絶滅しかかっていると聞いた。島で、神の子供と言われている種だそうでな。なんとか救って欲しいと、仕事の依頼を受けたんだよ。

 話を聞いた限りでは、本当に俺の仕事の範疇だ。だが、見聞きしたことも無い事象も幾つか同時に起こっているようだから、調べるところから始めて、対処や治療の方法を模索することになるだろう。正直、何年かかるか想像も付かないんだ。

 行くよ。俺だけしか、受けてくれるものがなかったそうだ。そう聞いたら、素気無くなくて出来なくなったんだよ。お前になら、分るだろう? 物好きで情に厚い化野センセイ。お前が一時、どえらい僻地の孤島で医者をやってた理由と、似たようなもんだしな。

 発つのは明日だ。FAからのスカイボート。あ? 見送りなんか要らない。子供じゃないんだぜ? それに、もう戻らない気で行くわけじゃないからな。だから、そんな顔してんなよ、化野。

 















 全3話のうち、今日は2話分をアップするのですが、何処に飾るのかちょっとだけ悩みました。見ての通りの近未来だもんなぁ。現パロに近いけど螺旋シリーズじゃないし、ワンフレーズでもない。化ギンは化ギンだけど、異色よねって。

 あ、ネタ元はシャープスマホ、アクオスに住むエモパーさんですっ。てかタイトルで分る人には、ほぼネタばれかもなぁ。でもっ、一度は絶対書こうと思ってたんです♪

 ではでは、2話目もよかったら、どうぞっ。



2017/08/13







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