Re VOICE & VISION   4




 テーブルひとつと、六つの椅子。そして六つのカップ。椅子とカップは一つずつ余ったままで、イサザの声だけが、ほんの少し笑みを含むような響きで続いている。

 

 まずね。ギンコはアークオースに、ボイスパートナー3D映像サービスへの協力を持ちかけられてた。テストケースってわけだけどね。ギンコはそれをずっと断ってたらしいよ。多額の礼金なんて、あいつは欲しがらないし。

 でも、一か月ほど前、リリアナの治療を請け負ったんだ。これには時間があまりない上、資金面でも問題があったわけだね。その問題をなくすために、あいつはアークオースからの依頼を受ける。そして先払いで得た礼金で、先にリリアナを彼女の故郷、メキシコに送り届けたんだ。

 すぐこっちに戻ったギンコは、アークオースに自分自身が動いている映像を提供することになった。用意されたスタジオで、色々動いたり喋ったりして撮影するんだけど、ここで協力するのに俺が呼ばれたわけ。

 あいつもアクターじゃないからねぇ。タダのレンズに何種類も延々と、喋りったり、身振りしたりってのは、そーとー難しかったんだと思うぜ? ま、俺も暇だったし?

 それで通して一か月弱ぐらい。それでもデータとして足りなかったけど、ギンコはあっちとこっちを何度も行き来してて、映像データを録ったり、リリアナをつれて本物の太陽を探したりしていて…。

 二日ほど前だ、ぴったりの場所が見つかった。統制区外、太陽のピラミッドに行ければ、目的を果たせそうだ、ってあいつは連絡寄越したよ。だからもうリリアナはきっと治るし、じきに戻る。あとは待っていればいいのさ。



 話し終えて、イサザも少し冷めたコーヒーを啜る。少々好みに合わなかったのか、逆にもう二口ほど飲んで、思い出したようにイサザは付け加えた。

「あ、最後はちゃんとお前も飛行機使えって、いちおう俺、釘は刺したぜ? いくら時間無いったって、さすがにあいつちょっと無理しすぎだったからさ」
 
 話の終わりの一言は、長い溜息の上に乗っていた。そしてイサザはじっと化野を見ながらそれを言ったのだ。

「話はこれで終わり、だいたいわかったろ。エルナンドも、化野も。あぁ、化野、さっきちらっと言ったけど、あんたの端末の3Dギンコ、まだ研究中のテストケース第一号でさ、あんただけしか持ってない特別なサービスだから。もしもバグなんかがあったら、すぐアヤに。……うわ、こっわい顔」

 イサザが肩をすくめて言葉を切った。化野は顔を少し俯いていたが、目は真っ直ぐに彼を見ていた。怒ったような、何かに怯えているような、そんな目だった。そして、化野は震える声で言い始め、その声はだんだんと激しくなった。

「リリアナを早く治療しなくちゃならないから、それと同時に3D映像のデータも録らなきゃならないから、無理をして? 何か危ないことを、命にかかわるようなことを、あいつはしてたってことか…ッ! そういう風にしか聞こえないっ」
「化野さんっ、今は虚穴の異空間マップも、ある程度は作られていますから…っ」

 突然の大声にびくりと震えて、殆ど反射でアヤは言った。でもそれはかえって逆効果だった。『ウロ』という生き物は、未だ研究機関に捕らえられてさえ居ない。そんな何もわからないも同然の生き物が、ヒトにとってはまったくの無秩序に、闇の中へ穿ち広げていのが虚穴なのだ。

 そんな不確かな洞を通って、
 遠いメキシコから日本へと、
 何度も行き来して? 
 俺は今まで何も知らず、
 突然現れた小さなギンコの姿に、
 浮かれさえして…

「…あ、あんたらは! 3Dだかなんだか、そんなもののためにデータを急がせて、ギンコをッッッ」

 その時、ゴンっ、と大きな音がして、テーブルの上にイサザのコーヒーカップが打ち付けられていた。中味が残っていたらしく、茶色い雫が少し飛んでいる。

「あーーーー、違う違う違う。…違うって。そもそもあいつがこっちとあっちをずっと行き来してたのは、淋しがり屋で臆病で過保護な恋人の傍に、少しでもいるためだろ、分かれよ、ったく」

 それからイサザはイトの方に視線を投げて、今度はそちらへ文句を言った。

「イトもさぁー。このタイミングで呼ぶべきだって、察して欲しいって話だよ。そうでもしないとこの馬鹿どうかなっちまうし。ほら、呼んで。操作そっちの端末からも出来るんだろ?」
「あっ。はっ、はいっ。すぐにっ」

 焦った様子で今度はイトが、テーブル中央の端末を引き寄せ、素晴らしく高速なタイピングを走らせる。

「アヤちゃんっ、じゃあ、押すよっ」
「いいよ、イトちゃんっ」

 なんでか急に幼い物言いになって、二人同時に一つのキーを押した。パスワードのラスト一文字だ。
  


『おかえり』 I'm home の 『e』



「おいおい、位置、此処じゃダメだろ?」

 テーブルの上に置かれたままだった、化野の端末機。それをイサザはあいている椅子の近くへと滑らせた。ブラックアウトしていた画面の底の方から、深い海の色のようなエメラルドが浮いてきて、それがだんだんと眩しい白になる。

 白い光は急に大きく広がって。携帯端末の外へまで溢れていって。その光の中に、輪郭が、浮かび…。


「なんだこんな早くに。呼んだか?  … よう、化野」


 ほんの数日振りに会ったみたいな顔をして、椅子に座ったギンコが化野の方を見ているのだ。いや、化野は二日前にはギンコに会っていたから、まさにその通りなのだが、随分久しぶりのように思えて。

「どうした? 俺の顔に何かついてるか?」
「ぎ、ぎん、こ…」
「なんだその顔。旅行に連れて行かなかったのを、まだ怒ってるのか? 言わなかったが、ちょっとムズカシイ仕事だったんだ。でももう目途が立った。それほどかからずに戻れるから」

 ギンコはふっ、と視線を落とすと、目の前のテーブルにあるコーヒーカップを両手で包む。

「心配しないで、待っていてくれ。そして戻ったら、コーヒーを入れてくれよ、化野。こっちの国のアルチュラやメルセデスも嫌いじゃないけどな。
 あぁ、あと、イサザ、これ聞いてるだろ? 俺の依頼人にも言っといてくれるか、あんたのパートナーはもうすぐまた踊れるようになる、前より」

 その時、ざざ、と少し映像と音が乱れた。見ていたイトが急いで調整し、いったんは消えずに済んだ。映像はさっきまでの小さいのと、同じ3Dなのは分かるが、声は恐らく彼自身の声だろう。それだけに姿も本物に思えるというのに「ギンコ」の姿は唐突に消え失せてしまったのだ。

「すみません、等身大だとさすがにまだシステムにふらつきが。長い時間は無理なんです」
「……小さい姿では出せるんだろう?」

 ぽつん、と言った化野に、イトもアヤも大きく頷いてみせる。

「もう遠隔は切りますね。あとはいつも通りに呼べば出てきますから」

 化野は立ち上がり、イトやアヤに会釈をすると、着た方角へと歩いた。ずっと黙っていたエルナンドも、化野にならうように頭を下げて、バックヤードから出ていく。

「ギンコ」

 と、化野が呼ぶと、水平に保った携帯端末の上に、小さなギンコが現れて彼に返事をする。

「何か調べたいことがあるのか?」
「うん、まあね、メキシカンフェスの、このあとの時間の予定が分るかい」
「それは公開情報だから、大丈夫だ」

 読み上げられるタイムスケジュール。ちょうどこの少し後が、無午後の部のスタートだった。フェアの内容はとても中味が濃い。メキシコという国の複雑な生い立ち、その盛衰。生まれては消えた、今では幻と呼ばれる数々の文明。辛うじて残っている古代遺跡、今はもうこの世にはないものも。

 様々な食べ物。美術、音楽、スポーツ。そしてダンス。

「凄いなあ。どれを見たらいいと思う? エルナンド」
「…えっ、あっ、そ、そうだネ、ど、どれもいいけど…っ」 

 話し掛けられて、エルナンドは思わず焦っている。ギンコがリリアナと自分の為に、どれほどの犠牲を払ったか聞いてしまったからだ。化野もそのことで、あんなに傷ついて。

「どれもいいのかぁ、じゃあ全部見よう。フェアはまだまだ続くんだろう。スカイポート内にホテルを取って、休みの間中ずっとメキシコ漬けになってもいい、来る前からそう思っていたんだ」

 化野はにこりと笑って、エルナンドにこう言うのだ。

「気が向いたらでいいから、いろいろ話をしてくれないか。メキシコっていう国のことを」
「も、モチロンだよ。アダシノ。楽器とか、メキシカンダンスのワークショップもある。毎日参加したらかなり踊れるようになるんじゃないカナ、衣装もあるし!」
「あぁ、それはいいな!」

 ニコニコと笑っている化野を前に、エルナンドは急に困ったような顔をして…。

「アダシノは、ナンデそんなに優しいの? 大事なパートナーが危ないことしてて、それが僕や僕のパートナーのせいなのに、どうして怒らないノ」

 すると化野は、うーん、としばし考えて。

「そのぐらいじゃないと、ギンコと似合いではいられないと思ってね。まぁ、俺は短気だし臆病で、馬鹿だから、いつもうまくいかないんだけどな。あ、そうだ。ムシワズライは誰のせいでもない、って、ギンコはよく言うよ。だから、俺もそう思ってる」

 そう言ってやると、エルナンドは見る見る涙ぐんだ。黒いまつげを涙だらけにして、美男子なのにどこかコミカルで。彼はどうも、少し涙もろいのかもしれなかった。

「アダシノぉ」

 丁度バックヤードから外へ出て、その途端にフェスの案内が聞こえた。今から大きなステージで、ダンスショーが始まると。

「ウワッ、行かないと! リリの代わりをしてくれてる女の子がいるんだけど、さっきも踊った彼女、時間に厳しいんだっ。行くよ! よかったら見てて、アダシノ!」

 一人残された…いや、二人残されて、化野は「ギンコ」に声をかける。

「ギンコ、スカイポート内のホテルの、あいてる部屋があるかどうか、調べてくれるかい?」
「あぁ、ちょっと待ってくれ、総合サイトにアクセスする」
「…ところで、ギンコ、さっきの…等身大のギンコには、なってもらえないのかな?」
 
 ホテルの情報を調べさせておいて、化野は重ねてそんなことを言う。ギンコはAIの一部を空き部屋検索に割り振ったままで、こう言った。

「今は出来ないが…。『たとえ傍に居られなくとも、それでもいつも、それでも永遠に…』そういうコンセプトでアークオースが今、一番に力を注いでいる分野だから」

 ゆっくりと歩いていた化野が、ふと足を止めた。そのフレーズは心に刺さる。今すぐギンコに会いたい気持ちが高まって、苦しいほどだったからだ。


 それでもいつも。

  それでも永遠に。






 
 
 
大変だけど書いてて面白い近未来ものっ。ふわっ、と、さらっ、と。突っ込みしないで下さいね、的な内容になってるところもありそうですが、このぐらいで限界でした。のちに精進いたしますっっっ。




2019.08.27










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