Re VOICE & VISION   5




「姉さん、このあとのフェスの映像コントロール、少しの間任せていい?」

 化野とエルナンドがバックヤードを出ていったあと、アヤはにっこりと笑ってイトにそう言った。イトはもの言いたげにアヤを見たあと、笑み返しながらそれを了承する。彼女が自分を「姉さん」と呼ぶときは、叶えて欲しい我儘を言う時だと、姉の彼女は分かっている。

「いいわ。でも何かあるなら、一人で抱えては嫌よ?」
「分かってる。大丈夫だから」

 端末機をテーブルに置いたままで、イトはバックヤード内の別の場所へと消えた。イサザは何も言わず椅子に座ったまま、じっとアヤを見ていた。

「イサザ」

 さん、の取れた呼びかけに、イサザは軽く首を傾げて応じ、続く言葉を神妙に聞いていた。アヤは少し怒っているのだ。

「ねぇ。3D化は確かに私が手掛けているプロジェクトだけど、可能なら自分をテストケースに、って言ってきたのはギンコさんよ。貴方が事実を曲げて話すから、私達が化野さんに怒鳴られてしまったじゃない。それにね、そのことを彼に提案したのは、貴方だって聞いたけど」

 イサザはちらりと視線を上にあげて、それからテーブルの上の自分のカップを覗き込み、空っぽだったそのカップの代わりに、ギンコの席に置かれたままの、冷めたコーヒーを一口飲んだ。

「あー、それね…。悪かったとは思ってるよ。俺が言うって自分が言い出したものの、化野をうまく丸め込む巧い言い方を、咄嗟に思い付かなかったんだ」

 そしてコーヒーをもう一口、さらに一口と飲みながら、イサザはテーブルに頬杖をつく。

「でもさ。アヤはイトのことで、ギンコには感謝してるって前に言ってたろ?」
「…それは、勿論そうよ」

 長い時間を虚穴に迷い込んだまま生き永らえ、記憶さえ失くしたイト。アヤの双子の姉である彼女は、随分と蟲の気を帯びて発見された。ある特殊な研究機関に連れて行かれそうになった彼女を、蟲師にしかできない詳細な説明と説得で、アヤの傍へと取り戻してくれたのはギンコだったのだ。

 ヒトがヒトでいるために必要なのは、
 その人間が、心から望んでいる環境だ。
 故郷や親兄弟や友人から隔絶させれば、
 彼女はあっという間にヒトの姿を失うぞ。

 だからイトは今こうして、アヤの傍に居るし、年に数回だけ、アヤの見ている前での「問診」や「検査」で済んでいる。

「ギンコには感謝してるわ。だからこそ無理なんかさせたくなかったのに、どうして…」
「…ま、とにかく、俺があいつに提案したのも、あいつの願いを叶えるためのことだから、そこは大目に見てくんないかな? 嘘じゃないよ。俺はこれっぽっちも得してないし? あいつは何かって言うと、自分が犠牲になることでなんとかなるなら、とかばっかり言うヤツなんだよ。そしていつも、少し先のことを考えてるのさ」

 3Dモデルのギンコ。
 あれがいつか、
 自分の形見になるんだと、
 ギンコはたぶん、
 思っているんだ。 

「…どうしてそんなふうに、って、俺なんかいつも思うんだよね。ほんと、堪んない」
「え?」
「いや、なんでもないよ。人に言えない独り言の相手が欲しいから、俺もそのうち、ボイスパートナーを買うかなぁ。俺はまぁ、安い出来合いの、声だけのやつでいいけどね」

 そう言って、イサザは立ち上がる。まるで見ていたように丁度のタイミンクで、その時、彼の尻ポケットの携帯端末が振動した。

「あぁ、何? またアークオース社の映像会議に顔出せって? 今体空いたから別にいいけど、何回俺に聞いたって、答えなんか出ないんだけどねぇ、いくら俺がwa-ta-riの末裔だっていってもさ」

 電話の相手に投げやりな声を聞かせて、イサザはすぐに通話を切った。目の前のアヤは何故か、イサザからふいと視線を逸らす。後ろめたいような、そんな顔をしていた。

「理、光脈、蟲という生き物の、生と死。人が無理に介入すべきでないことは、この世にいくらでもあるって、俺はそう思ってるし知ってるけど。でも、肉親を奪われかけた恐ろしい事象を全て調べ上げて、二度とそんな悲劇が起こらないようにしたい、って気持ちもわかるよ、アヤ。だから、虚の研究に姉妹で手を貸すのが、間違ってるなんて言わない」

 子供扱いするように、ぽん、とアヤの頭に手を置いて、イサザはバックヤードを出ていった。






 メキシコ。

 サン・ファン川と垂直に交わる、強固な「壁」の「内側」。随分大きな土産店の前で、リリアナはひとりで連れ合いを待っていた。ちょっとトイレにと言ったきり、そろそろ二十分にもなろうか。頭まですっぽりと覆った布を、もっとしっかりと体に巻き付け直して、リリアナは待ちきれないように、じっとガラスの「外」を見ている。

 外の、あまりにも広大で美しい、太古の建造物を。

 さっきからずっと心臓の鼓動が速い。でも苦しいわけでも辛いわけでもなく、むしろ体の底からどんどん湧いてくる力を、どこかへ逃がしたいような、そんな気持ちがして堪らない。

「まだなのかしら、ギンコったら。何して…。…えっ、ギ、ギンコ、よね?」

 トイレを借りに入った土産店から、ふらりと出てきた男は、黒い髪をしていて、一瞬別の人間かと思い掛けるも、どう見ても顔はギンコなのだ。

「イサザ、という名前ってことにしといてくれ。もしも聞かれたらな」
「いいけど、どうして?」
「『壁の外』に出るための身分証は、Mu-shi-shiよりもwa-ta-riの方が効力が強いらしくて、まぁ、時間短縮の為さ」

 よくわからなかったが、とにかくやっと「外」へ出られる。この国に来ただけで、リリアナは随分と体がよくなって、昼夜問わず歩くことには不自由がなかったけれど、走ることも、ましてや踊ることも出来なかった。それが漸く治せるのだ。

「じゃあ、行こうか」
「ええ…!」

 そしてwa-ta-riのイサザの身分証を機械に提示しながら、ギンコとリリアナは何食わぬ顔をして「外」へ出る。提示から解錠まで五分程度待たされ、その後幾つかの問いに答えなければならなかったが、ディスプレイに表示された設問はどれも、蟲が見えるものなら楽勝の問いばかりで、助かった。

 蟲が分かればwa-ta-riというわけでもないのだが、この妙な誤解には時々救われる。リリアナはもともと土地の人間だし、今回はwa-ta-riの同行者だから、それほど多くのチェックは無く、何重にもなった透明ゲートが、次々に開いては閉じていくのを、ギンコとリリアナはゆっくりと越えていく。

「あぁ、ギ…、イサザ、なんだか体が軽くなっていくみたいよ」
「だろうな。むしろよく今まで動けてたと思うぜ。あんたが生まれてからずっと、あんたの中に住んでる蟲は、今やあんたの一部だからな」
「太陽の種子、だったかしら」
「そうだ」


 その蟲は太古の昔から、
 太陽の種子、と呼ばれる。
 宿主から生きるための力を得、
 と同時に、降り注ぐ太陽の光を食い、
 それをまた力として宿主に返す。
 太陽の種子と共に生きる人間は、
 太陽の光無くしては、
 長くは生きられぬ。

 
「私、この『国』を出てはいけなかったのね」
「壁の外で暮らせ、とは言わないけどな。日本の『壁』はちょっと厚すぎるからなぁ」

 その時、最後の壁が開く。リリアナは目を見開いて、何も言わずにもう駆け出していた。金色の砂が、きらきらと光りながら彼女の周りで光を反射し、まるで美しいヴェールを翻しているように。否、それは、メキシコのダンスのドレスが、ひらひらと揺れるにも似て。

「転ぶなよ! リリアナっ!」
「誰に言ってるの!? メキシコのダンサーはステージで転んだりなんかしないわっ!」
  
 すぐ目の前に見えた太陽のピラミッドを、彼女は駆け上がる。迸る命のままに、疲れを知らず、果てさえ忘れたように、翼が生えて飛んで行ってしまいそうだとギンコは、遥か下から彼女を見上げ、ある一瞬には本当に、彼女が鳥になったかと思った。

 とうとう彼女がピラミッドの頂上に立った時、彼女自身がそうしたものか、誰かがそうと望んだからか。リリアナが体に巻いていた布は広がり、きちんとまとめていた髪は解け。

 ただの目立たない布はその時、いっぱいに日差しを浴びて、赤と黄金のグラデーションのように見えた。広がって揺れる黒髪は、高い空を翔ける大きな鳥の翼の影のように。

 風の音しか聞こえない筈なのに、どこからか耳慣れない音楽まで聞こえた気がして、ギンコは足が動かなくなった。だからピラミッドのずっと下の方から、その神々の為の踊りを、ギンコはじっと見上げていたのだった。




 毎日続くスカイポートのメキシカンフェア。

 エルナンドがメインで踊るダンスショーを、化野は毎日毎日見て、時には自分もワークショップで習って踊ったりもして、それで何日目のことだったろう。ショーのダンスの曲が、急に随分アップテンポになって、ステージにエルナンドを残し、ペアの女性がいったん舞台から退いた後。

 今度は女性だけが衣装を変えて、もう一度、という時だったと思う。化野は何度も見ていたから、女性の再登場に客席から拍手を贈ろうとしていたのだった。

 でも。

 再登場したはずの女性は、女性ですらないように、化野は思った。拍手するはずの手を止めてしまったのは、何十人もいる客たちの殆ど。真っ赤なドレスで、美しく黒髪を結い上げて踊る女性ダンサーが、炎、そのもののように見えたのだ。

「う、わ…何、すご……。拍手、拍手、しないと…っ」
「あぁ、本当に凄いな」
「ほんとうにっ、今までで一番凄いよ、ギンコっ」

 ボイスパートナーの声が聞こえたので、化野はそう答えて、でも、拍手し始めてから、はた、と気付いた。今日の客席は混んでいて、何かあってはいけないからと、携帯端末機は鞄の中に入れたままの筈で…。

「ギっ、ギッ、ギンコ…ッッ?」

 横を向いて、隣の席に居るギンコを見て、でもこれは3D映像ではないかといぶかって、いきなり手をギンコの横腹へと突き出して。

「…ッうっグッッ。いってぇ、何す…っ」

 その手は突き抜けることも、ギンコが急に消えることも無く。

「うわぁっっ本当のギンコだ、帰ってきたのかっ、お帰りッッ、ギンコっっっ」

 抱き着いて、すぐ傍の客たちから口笛を鳴らされた。男同士のパートナーなど今どきそれほど珍しくはなく、むしろ微笑ましく見られる昨今。だからこそ周囲はニコニコしていて。

「あーーー、馬鹿化野っ、もう離れろ、恥ずかしいっ、なぁあんた、これ貸してくれっ」

 ギンコは音を上げて、隣に居た客のキャスケットを勝手に奪って目深にかぶると、そのツバの下に見えるステージを見た。ステージ上では、一組の男女が抱き合っている。そして男の方が…エルナンドが、リリアナの前に跪き、そのドレスのスカートをおし頂いてキスしていた。

 太陽の種子を体内に持つ彼女は、まさしく太陽の化身のようなダンスを踊る。ピラミッドの上、太陽の近くで光を授かった彼女の、輝くような様に、エルナンドはそうするしかなかったのだろう。

「愛しているよ、リリアナ! ダンスの神にかけて!」

 マイクにエルナンドの声が通る。

「わたしもよ、愛しているわ、エルナンド、私たちの国の聖なる太陽に誓って。もう、離れたくないから、必ず一緒にメキシコへ帰りましょうね」

 詳しくは意味が分らないままで、エルナンドは泣き出して、会場には割れんばかりの拍手が巻き起こる。誰ももうギンコ達のことを見てはいない。

 もう、離れたくないから。

 その言葉を聞いて、化野はギンコの指に指を絡め、そしてギンコその手を緩く握り返し、心の中で、静かにこう呟いている。それはアークオースの取り組む、ボイスパートナー3Dのコンセプト。



   たとえ

   傍に居られなくとも、
   それでもいつも、
   それでも、


   永遠に…。



 淋しがり屋で我儘なお前に、どこか弱いお前に、永遠に傍に居る「俺」を俺はあげるよ、化野。遠い未来か、もしかしたら案外近い未来の、別れの時の為に。


   心から、
   愛しているから、
  
            …な。

 



 

 
 なんだかんだ言って、結局二週間もかかってしまいましたが、二週間で五話、他の話を挟まずに書き切ったのは、珍しいことです。いろいろうまくいかなかったこともあるし、一番最初の予定なんて、まったくどこに行ったか分かりませんが、なんだか面白くて意外な話が書けたんじゃないかと思っています。
 
 こうしたサービスは今にぜったい3D化すると思うんです。そうやって、本物に近付けば近付くほど、人間が人間を作ることに近付き、そして死んだら居なくなる、という、不変すらも、人は徐々に侵害していくのではあるまいか。大切なヒトの為で無くば、ぜったいこんなことをしないだろうのが、きっとギンコだと思うけれど。

 子供の頃、ヌシになり替わろうとしたように、理にたてついても、したいと思うことがあるというギンコを、私は祝福したい気持ちになるのです。これは私の、感傷なんだろうけれど。

 ともあれ「夏のいつもの」これ、が、しっかりと書きあがりました。ありがとうございました、を、これを届けた貴方に。



2019.09.01











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