Re VOICE & VISION 3
フェス会場まで、人の流れの少ないフロアを、二人は歩いて横切っていた。あえてベルトロードを利用しなかったのは、人の耳を避けてのことだったからそれでいい。化野は携帯端末をポケットに入れ、さっき会ったばかりのエルナンドと連れ立っている。
「なるほど。ギンコはあなたの奥さんと一緒にメキシコへ」
「…えぇ、そうです。でもさっき言った通り、治療のためダヨ」
必死さの滲む声に、化野は顔を彼へと向けて苦笑する。
「えぇ、すみません、分ってはいるんですが。何も聞かされていなかったのが、ちょっとショックでね」
ついさっき、歩きながら聞いた話を化野は思い返していた。エルナンドのパートナーであるリリアナは、原因不明の病にかかっていたという。彼女は足が萎えて踊れなくなった。そのうえ日が暮れて夜になれば、歩くことさえもできない。何人もの医者に見せたが原因が分からず、そうしてギンコと出会ったのは、今から一か月ほど前のこと。
ギンコはこう言ったという。
あんたの奥さんは「ムシワズライ」ってのにかかってる。なに、統制区外に出て、何にも遮られない直接の日差しを浴びれば治る筈だ。故郷は陽の光の強いところだろう? 奥さんの体が、故郷の太陽を求めている、とでも言えば分かりやすいかもしれないな。
エルナンドとリリアナは今まさに、帰国するための旅費を貯めているところで、その為にはスカイポートのイベント会社と契約した、このフェスに出続けなければならない。でもリリアナは踊れないダンサーになってしまって、エルナンドだけのステージでは、帰国費用はますます稼げなくなるのだ。
途方に暮れた二人に、ギンコはさらにこう言ったそうだ。
メキシコ出身? 丁度、行きたいと思ってたところだから、俺が彼女を連れて行ってもいい。旅費は…いったん立て替えてやることも出来る。たまたま今、まとまった金が入るところでね。
「僕らはギンコに縋るしかなかった。日差しを浴びなければ病状は悪化して、今に昼間も立てなくなるだろうと聞きました。ダカラ、一か月前に、ギンコに妻を託し、僕だけが此処で一刻も早く、彼へ返すお金を貯めようとこうして」
化野は片手をあげて、それでもなるべくやんわりとエルナンドの言葉を止めさせた。彼の話と、化野の分かっていることを付け合わせると、正直、つじつまの合っていないことがあって、どう考えていいか分からなくなる。少しでいいから時間が欲しかった。
だって、化野が知る限り、ギンコがメキシコに行ったのは昨日の筈なのだ。その前日には化野の家に来ていたのだから、少なくとも二日前には彼はまだ日本に居たし、それに、その前も数日に一度程度は会っていたのだ。なのに、エルナンドの話を聞いたら、ギンコは一か月前にメキシコへ渡ったというではないか。
じゃあギンコはエルナンドに嘘を言っているのか? それとも一か月前にリリアナを連れてメキシコに行ったのは本当で、その後一人で日本に帰国して、俺とも何度も会って?
交通の発達した今の時代でも、メキシコと日本の間を何度も行き来するなどと言ったら、安いものでないというのに。もしもそうなら一体何故…。
「…あぁ、もう。考えていたらムシャクシャしてきた…!」
「えっ。む、ムシャ…?」
「あぁ、腹が立ってきた、っていう意味です。エルナンド、あなただって、パートナーが自分に隠し事ばかりしていたり、嘘をついていたら腹が立つでしょう。ギンコはまだ帰ってないって貴方に言おうと思ってました。少なくとも俺は帰国したという連絡を貰っていないから。けど、それもなんだか、確かかどうか分からなくなってきた」
エルナンドは眉と眉の間に皴を寄せた化野の顔を見て、しばし黙ったのちにこう呟いた。
「そう…かもしれませんが、でも、僕は今は、どんなふうに騙されていてもいいから、リリアナに、元気な姿で早く戻ってきてホシイって思ってるんだ。それ以外、思うことはナイよ」
そんなエルナンドの姿を見ても、化野の秋霜は晴れない。彼は思ったのだ。まさかギンコは、依頼主の彼にも俺にも何も言わず、何か危険なことをしているのではないか。改めて、胸の中を不安が過っていく。何も危険がないだなんて、きっと、嘘だ。
「エルナンド、ベルトロードで擦れ違う時、俺が話しかけていた『ギンコ』はこのAIなんだよ」
ポケットから携帯端末を出してディスプレイを水平にして持つと、化野はギンコの名前を呼んだ。
「ギンコ、出て来てくれないか。推奨じゃはないかもしれないけど、今は姿を見せて欲しいんだ」
「そんな声で言わなくたって、出てくるぐらいなんでもないことだよ、化野。たとえ推奨でなくともな」
ディスプレイの上に突然、リアルな姿で現れるギンコ。彼は15センチ程度の小ささで、それでもエルナンドを真っ直ぐに見て、自己紹介をし、オリジナルのギンコのことで、一言だけだが詫びめいたことを言った。
「はじめまして。俺はボイスパートナーのギンコ。もしも俺のオリジナルが迷惑を掛けているなら、代わりに詫びるべきかもしれないが」
この言葉は多分、エルナンドだけではなくて、化野へ向けたものでもあるのだろう。恋人のお前が理解しようとしてくれなくてどうするんだ、と責められたような気にさえなって、化野からもエルナンドにこう告げた。
「その、あいつは、請け負ったことを、ないがしろにするようなヤツじゃないんだ。俺からもそれだけは言える。エルナンド。約束の期日を過ぎているのかもしれないが、それはきっと、一番大切な約束を守るためのことだと思う」
化野がそう言い終えた時、ふと見るとギンコは、手のひらサイズの青い「!」を胸の前で掲げていて、彼に何かを伝えようとしていた。
「またいきなりですまないが、アークオースのサービスからDMが入ってる。ちょうど近くだから、地図に指定した場所に来られるようだったら、このあと来て欲しいそうだ。今向かってるメキシカンフェスの会場の、システムバックヤードが指定の場所だ」
それを聞いた化野は、再び眉間にしわを寄せ、首を随分な角度に傾げてから、エルナンドにこう言った。
「はぁ? アークオースのサービスから? よりによって今? フェス会場の、しかもシステムバックヤードに? 更に訳が分からん。…というか、この『!』のマーク、便利だな。俺にも使えるんだったら『?』の形のヤツが今すぐ欲しいぐらいだよっ」
まさか今、のタイミングでの連絡に、エルナンドも流石に少し面食らっている。そして歩き出した化野について行きながら、端末の上で同じように歩く動作をしている小さなギンコに、こう話し掛けた。
「ボイスパートナー、っていうのかい? なんだか凄い技術だネ。確かに『今?!』とは思うけど、俺に今できることはなにもないからなぁ」
それからエルナンドは何かに気付いたような所作をして、それから顔全部でにっこりと笑った。化野と共にベルトロードに乗り入りながら、メキシカンダンスの複雑なステップを踏んでみせたのだ。
「そうそう、僕にはまだこれがあった。リリとまた踊るためにも、情熱的なメキシカンダンスで、フェスに来てくれた人をもっともっと魅了しないとね!」
たまたまかもしれないが、ベルトロード表面に「静かにお乗りください」の表示が数か国語で順に表示され、エルナンドはこれ以上ないぐらいの、気を付け!の姿勢になって、直立不動のままフェス会場へと流されていく。
「おぅ、リリ、叱られてしまったよ! 早く帰って、素敵な笑顔で僕を慰めておくれ!」
ボイスパートナーの音声案内に従って、化野とエルナンドは、メキシカンフェスのバックヤードに入って行った。フェスのダンススタッフのエルナンドだって、システムバックヤードになんて勿論入ったことはない。同行者も一緒でいいかどうかは確認したが、それでもなにやら不安になる。
「え、ココ、本当に僕も入っていいのかい?」
何やら奥へ奥へと入らさせたと思っていたら、そのあとさらにガラス張りの通路をしばらく歩かされた。その向こうに所狭しと並ぶスタイリッシュな機器類を、エルナンドはキョロキョロと見回している。
「宇宙船の中にでも入った気がするネ、そう思わない? 化野」
「あぁ、まぁ。これでいきなり警告音でも聞こえてきたら、相当びっくりしそうだな。自分が不法侵入した気がして」
「ほんとうだ。アラートとか今ぜったいヤメテ欲しウワァッ」
あまりにも前置き無く、あまりにも唐突に、二人の真横のクリアウィンドウがドアになって左右に開いた。そして今まで全く見えていなかった複数の人物が、いきなりそのドアから現れたのである。そうして当たり前のような顔をして、先頭の女性が化野に手を差し出した。
「お久しぶりです、化野さん。ボイスパートナーの時以来ですね」
「えっ、あっ、貴方は…ええと、確か」
「アークオース社、ボイスパートナー開発部のアヤです。彼女は同開発部のイト。そして…後ろの彼は、部外者ですが、今回の3D化に少なからぬ協力をしてくれたイサザさん。もしかしてイサザさんにはお会いしたことがおありでは? ギンコさんのご友人ですから」
アヤはボーイッシュな感じのショートヘアの女性。紹介されたイトは彼女によく似た顔立ちの、ロングヘアの女性だった。イトの方はなんだか随分若く見えるから、もしかするとまだ大学生か、高校生なのかもしれない。でも、在学社会人は今はそう珍しくはない。
そして最後に後ろから出てきたイサザは、言われた通りに化野も知っている、ギンコの古くからの友人である。
「イサザ! 久しぶり。というか、待ってくれよ、3Dに協力って、じゃあギンコの映像データを提供したのは、まさかイサザ?」
「なんで恋人のあんたを差し置いて、俺があいつのデータを勝手に提供出来んだよ。あれはちゃんと本人が、アヤやイトと話し合った上での契約だし、取引だからな。なんかさ、急いで金が欲しかったみたいだしねぇ」
ちらり、イサザはエルナンドを見る。自分だけがここには関係ないから、と心持ち小さくなっていた彼が、その眼差し気付いて眉を上げた。
「ま、そのことも後で。ほらほら立ってないで、座って話そうよ。アヤ。椅子は六つだ。今此処に居る全員が、この話の当事者ではあるからね」
いつの間にか、通路だったはずの場所は広いフロアになっていた。ガラスの壁もなく、沢山の機械類も消えている。もしかしてそれらすべては映像だったのだろうか。シンプルなカフェみたいな、セピアカラーのテーブルと六つの椅子。六つのコーヒーカップに白い湯気。
ミドルサイズ携帯端末を、アヤがテーブルの真ん中に乗せて本のように開くと、そのすぐ周りの空間に、立体型キーボードが見事に現れた。
「お好きな椅子に座って下さい。コーヒーはどれも同じでブラックですけど。エルナンドさんも、どうぞ。今日はこのあと、ダンスステージがある予定でしょうけれど、数時間でしたらこちらでずらせますから、気にしなくて大丈夫です」
するとイトが自分の座る椅子の背に手を添えながら、アヤの言葉を引き継いだ。
「エルナンドさん。此処はメキシカンフェアのシステムバックヤードですから、なんとなくはお分かりかもしれませんが、フェアの主催は私たちアークオースなんです」
そこまでイトが言うと、今度はアヤがその言葉をさらに引き継いで、やっと五人が席に着いたのを見回しながら言った。
「アークオースは近年、3Dにとても力を注いでいます。チューブロードやAIR BUSから見える白のsheep、青のflyingfish、紅のflourwindなどの映像サービス。トーキョーれとろの車内プロジェクトマッピング、各種公共交通機関のボディをカラーリングする電子アートに、スカイポートのグランドフロアで展開する、各種フェアの3Dムービーも」
エルナンドは目の前のカップからコーヒーを啜って、とても嬉しそうな顔する。
「あぁ、もう何度も見たし、僕もそのショーの一員なんだケド、素晴らしいよ。僕自身、本当には見たこともない古い時代のメキシコに出会えるんだ。人々、文化、古い建造物。特にあの、太陽と月のピラミッド。そのもとに息づいていた歴史」
急に割り込んで、熱く言い放ったと思ったら、感極まった涙をエルナンドは衣装の袖で拭っている。
「ゴメンよ。リリアナと僕と、ダンサーとして雇ってもらえて、ずっと嬉しかったのを思い出してさ。楽しくて幸せだったんだ。リリも、今此処に居たらよかったのにって…。えと、ゴメンなさい」
結局場違いなことを言ってしまったと、また小さくなるエルナンドのことを、別に慰める口調でもなく、イサザも口を差し挟む。
「奥さん、ムシワズライだってね。ギンコに聞いた、気持ちは分かるけどさぁ…。でも。メキシコの雨季は今、随分むらがあるらしくって。今回のことは、調整降雨で手に入れるニセモノの『晴れ間』や嘘の『日差し』じゃ物の役に立たないから、あいつ、きっと本当の太陽のある場所を探してずっと移動して」
「なんで…っ」
そこへさらに何か言い掛けたのは化野である。けれど彼は、無意識にイサザを遮った自分の愚かさに気付いて、額に手を当てながら項垂れてしまった。
「…なんで…も、ないよ。とにかく、もうちょっと分かるように、教えてくれないか。その、俺の携帯端末機の3Dのギンコも、リリアナさんのことと、何か関係があるのか? だからここに呼ばれた? そういうふうに聞こえたけど、そこが本当に分からない」
なんで俺の全然知らないことを、
イサザがそんなに知ってるんだ!
言いかけた言葉はどうやら筒抜けで、イサザはクス、と小さく笑う。この場面でやきもちとか。相変わらず、お前のパートナーはカワイイなぁ、ギンコ。でもそろそろ戻ってやんないと、ちょっと気の毒だと思うぜ? イサザの饒舌な目がそう言っていた。
「じゃあ、俺から教えてやるよ。アヤやイトだと、どうしてもアークオース目線っていうか。化野の知りたいことからずれるだろうからさ。あ、エルナンド、あなたにも凄く関係あるから、聞いててくれる?」
この場にそぐわないような顔で、イサザは、にこり、笑った。
続
今日は4話まで書きましたが、終わりませんでしたぁぁぁorz でも5話目でっていう目処は立ちましたんでっ。やっぱりこういう、時代まで変えた上で、何かいつもと違うことを盛り込んで、言いたいこともちゃんと入れるのはムズイっっっ。いろいろとあれですが、ご容赦下されぇぇぇぇ。では、3話でございますぅぅ。
2019.08.27

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