Re VOICE & VISION 2
遥か下に街を見下ろすので、あまり実感はないが、チューブロードは実は、時速125キロから150キロで動いている。だから高速マイカーと同じぐらいの移動速度があるのだ。あっという間に距離を動いて、右手にトーキョーれとろの方角を示す表示が見えた。あと数分もあれば、れとろのステイションだ。
下降ポート内でリストウォッチのウォレットアプリが、しゃらん、と音を鳴らして、れとろの基本料金支払いが完了する。改札などは廃止されて久しい。安価なものだが、実はこれは音声と映像の視聴料。乗車賃は降りる時に引き落とされる。
「れとろ、久しぶりだ。な、ギンコ。どうしてメトロじゃなくて、れとろになったんだっけ」
『トーキョーれとろ』
ちょっと間があって『ギンコ』はすぐに話し出す。
『懐古思想。それから、古い時代の景観を未来に受け継いでいく必要性。そういう意味合いをうたって、2087年に東京メトロ社が大々的に全車両を作り替えた。古の日本音楽をアレンジしたBGM。プロジェクトマッピングを多用して、歴史の中の車内風景を再現。時代をいくつも戻って、れとろを利用する間ずっと、自分のいつもの日常から離れることができる。そういうコンセプトでスタートしている』
耳に心地よくて、嬉しい恋人の声が説明してくれるから、本当は分かっていることなのに、化野はれとろのことを『彼』に訪ねたのだ。『彼』もきっと分かっていて言葉を綴っているし、多分ウェブディクショナリーからの引用だろう。
『久しぶりなら面白いだろう。常に少しずつ変化しているという自慢の呼び込みだしな』
「ありがとう」
言いながられとろに乗り込むと、なるほど、今ではテレビドラマか映画の中でしか見ないような車内。窓から臨む風景もそうだ。地下を走っている筈なのに、流れて見えるのはこれはいつだ? 大正とか、昭和?
びび、と、また小さく端末が震えた。教えて貰った通りに車内は随分空いていて、好きな場所を選んで座りながら、化野はディスプレイに視線を落とす。
表示されている「画面を床と水平にしてください」の文字。何の指示だろうと首を傾げつつ、その通りにすると、ふぉん…っ、という微かな音がして、また端末機から上へ向けて、何かがきらきらと光り始めたのた。
「え、まさか」
『ボイスパートナーの3D化は、まだほんの一部の機種にしか適応されていないし、この姿で居られる場所もまだ限られている。αタイプ優先Wi-Fiのある使用者の自宅と、都市部の大きなステイション施設幾つか、このトーキョーれとろ内と、あとは管制区内の二つのスカイポート』
言葉を先に、遅れて姿を。端末機の真上にたった今現れたばかりの『ギンコ』は、体を捩じるようにして振り返り、片腕で車内のぐるりを示して見せた。その一瞬、チカチカっ、と壁の一部で光が弾ける。その光がふわっと広がって、消え、れとろの内壁一面に映し出された風景が、今度は海。
広がったのは海だった。ブルーとエメラルドを混ぜて透き通る、果てしない海。さらには真っ白な海鳥が群で飛来して、れとろの車内天井や壁、床にまで姿を映して飛んでいる。壁や天井の映像は、昔海の傍ならいくらでもいたカモメ達。見応えのある大きな鳥だ。
「うわ、海だ。海鳥も。…綺麗だな。昔はこんな風景が当たり前にあったなんてね。この国には今でも、そっくりに作られた映像サービスの海や山はあるけど、本当のそれらはもう」
『完全な形に取り戻すのは諦めて、せめても現状の保持と、記憶や記録を後世に伝えていく流れになっているな』
「そうだね」
返事をしながら『ギンコ』に視線を向けると、小さな『彼』の頭の上に、縮尺のあったサイズの白いカモメがとまっていて、化野は思わず吹き出した。
「えぇっ? それもギンコが出しているのかい?」
『まぁ、そうだとも言えるし、違うともいえるんだが』
「どういう意味?」
窓に肘をついて小首を傾げ、楽し気に化野は聞く。通路を挟んだ向こう側の外、もちろん化野の居る側の窓の外も、海辺をゆく風景に変わっている。海と電車の間を並走する数台の車のデザインが、これまたかなり古い。乗っている人の姿も、時代を遡っている。
「あぁ、面白いなぁ。ありがとう、ギンコ。少し落ち込んでいたんだけど、今は楽しいよ」
『ならなによりだ。そのために俺は此処に居る。…あぁ、名残惜しいかもしれないが、そろそろ終点だな。運行ラインを増やしている分、移動速度が上がっているんだ』
「もう? あ、でもスカイポート内でも、ギンコはその姿で居られるんだったね」
だから、トーキョーれとろで移動して、スカイポート内の店を選んでくれたのか。メキシカン料理を選んでくれたのも、俺がどうして落ち込んでいるか、分かっているからなんだろう。
「ギンコは優しいな。もう一人の大きいギンコとは大違いだ」
れとろを降り、今度はスカイポート施設内のベルトロードに乗りながら、化野はそんなことを言う。
『そう言ってくれるなよ。「大きいギンコ」は俺のオリジナルだから、責められると少しは居た堪れない』
「…悪かった」
詫びを言いながら、化野は数日前を思い出す。
せっかく、合わせてとった休暇だったのだ。何も言わないでいたのは悪かったのかもしれないけれど。仕事の邪魔はしないから、一緒に行っていいかと聞いた。即答で駄目だと言われたんだ。二年前には6年も行方をくらませて、最近だって半年以上も傍に居てくれなかった、あまりにつれない恋人。
『あそこだ、エンチラーダの店』
「…あぁ、いい雰囲気の店だな。お腹も空いてきた」
店に入って行きながら、化野はギンコのことを思っている。そろそろ彼も向こうの国に着く。いつ戻れるのかも分からない、仕事の為の旅だ。危ないことはないんだろう? と、尋ねれば、無い、といつも即答する。それが本当かどうか知りたくて、同行を申し出て断られたのは、その言葉自体、本当ではないからか…?
席について店員にメニューを差し出され、結局はおススメを選んだ。エンチラーダとトルティージャのセットと、食後にアルチュラコーヒー。一人だから席はカウンターだが、テーブルはゆったりしていて狭くはなかった。
化野はポケットに入れていた携帯端末をテーブルの上の、自分の右胸に寄せた位置に置いた。上を向けて水平にしたのに『ギンコ』が出てこないのは、店内だからか、それとも化野の左側に別の客が居るのを、センサーか何かで分かっているからか。
答えてくれないかもしれないが、化野はダメ元でディスプレイを二度タップした。
「ギンコ? 今は出て来られないかい」
すると画面に返事が出てくる。
『出られないわけじゃないが「推奨しない」って感じかな』
「店内だし人が傍に居」
「スミマセンっ、あの…今っ、ギンコって言ったのかい…っ?」
大きな声に驚いて、化野が顔を上げると、他人のパーソナルスペースに易々踏み込む勢いで、カウンター席の左側に居た男が、化野に向かって身を乗り出していた。彫の深い顔、イントネーションの独特な日本語。国籍か、或いは生まれ育ちが異国なのだろう。
「え?」
イヤホンを耳から外しながら、言ったとも言わないともあえて言わずに、化野は相手の顔を見る。化野と同じぐらいか、もう少し若いだろうか。白いシャツに金色の刺繍の黒いベスト、襟元にはあざやかな赤のリボンタイ。民族服風の派手な装いだというのに、コミカルに見えることなくすっきりと似合っている。
「あぁ、ブシツケに失礼しました。僕はエルナンド・サンチェス。今イベント中のフェスでバイトをしているメキシコ人。そして、メキシカンダンスのステージスタッフです」
「メキシカン…ダンス…?」
見たい、とすぐに思った。ギンコに断られていなかったら、向こうで美味しいメキシカン料理を食べながら見るつもりだった。化野の興味を引いたのが分かったのだろう。エルナンドはにこり、と笑って、カウンターの上に置かれた化野の握った手に、自身のこぶしをこつりと当てて、そのままカウンターを離れた。
「是非見て行って下サイ。丁度今からステージだ」
彼が店の奥へと進むと、それを合図にしたように、壁だと思っていた個所が、むこうへ向けて開いて行った。隠されていたのは広くはないがちゃんとしたステージ。既に陽気でアップテンポな音楽が店内に流れ、エルナンドはステージに辿り着く前に、もう軽快なステップを刻んでいる。
背中の後ろで組んだ腕、対照的に自在に動く両脚。靴が軽やかに音を鳴らし、見ている客たちは手拍子や、床の足鳴らしで答える。店内は一瞬でその雰囲気に飲まれた。常連客が多いのかもしれないと思ったが、初めて居合わせた化野だって、もう体を揺らして手拍子を打っている。
急いで耳にイヤホンを差し直し、化野は言った。
「楽しいな、ギンコ…!」
『あぁ! 自然と体が動きそうだ』
携帯端末の上に、3Dのギンコが現れて、化野よりも少し控えめにではあるが、その両手を打ち合わせ鳴らしていた。と、店内のあちこちから、ピュウッ、と口笛を吹く音が聞こえ、熱気がさらに高まり、視線をステージへと戻すと、エルナンドと共に、もう一人のダンサーが踊っていた。
女性だ。あざやかな赤に賑やかな刺繍のドレス。その裾を両手で翻しながら、踵の高い靴でステップを踏む。エルナンドはついさっきより、少し落ち着いた速さで足を踏み鳴らし、女性をしっかりとエスコートしている。
やがて曲は終わり、女性はステージの影へ戻っていったが、エルナンドは額の汗や首筋の汗を拭うと、客たちに笑顔で答えつつ、化野の傍に戻ってきた。
「楽しんでイタダケましたか?」
「ええ! 楽しかったです」
「それはよかった。デモ、本当はもっと情熱的で、もっとアップテンポで、楽しいものなんですよ。本場のダンスが見せられなくて、ザンネンです」
化野はいつの間にか目の前に来ていた、エンチラーダのセットを食べる。とても美味しくてどんどん食べるのを、メキシコ人のエルナンドはニコニコと笑って見ていた。化野が食事を終え、食後のコーヒーも殆ど飲み終えたころ、彼は言ったのだ。
「…どうか教えてください。あなたはギンコさんのご友人、ではないのですか? 此処へ来る前に、ベルトロードの上で、貴方は『ギンコ』という人と話をしていた。貴方と共に居る人の姿は見えなかったけれど、僕はその時、隣のベルトロードに居て、一瞬だけれどすれ違ったんです。ギンコ、と呼ぶ声だけ聞いて、驚いて、でも見失って…。だけど此処で会えたから…」
わあぁ、っと店内がまたわいた。今度は様々な楽器を持ったグループが、ステージの横から現れて演奏が始まっている。陽気な音楽が鳴り響き、賑やかになって、とても話が出来ない。
「出ませんか…! 貴方さえよかったら、メキシコのことをモット聞いて欲しい。興味があったりはしないデショウか。今はフェスの最中だから、映像サービスで僕の国を紹介しているんですよ。しかもすぐそこで」
腕を掴んでそう言われ、慌てて化野は携帯端末を手に持った。上着のポケットに入れられた端末は、イヤホンを外され沈黙していて、何も声を発しない。
「聞きたいです、教えて貰えますか。実は俺のパートナーが、メキシコへ行って」
「…やっぱり、そうなんですね」
ついそう言った言葉に、エルナンドは酷く真顔になり、真っ直ぐに化野を見てこう言ったのである。
「やっぱりあなたは彼を知っている。そして、彼はもう帰ってきているんでしょう。それで、妻は…? 僕の妻は一緒じゃないんですか?」
続
前回も割とそうだった気がしますが、今回もまたオリキャラが出て、そしてギンコがずっと出てきませんね! 多分次回は出ると思いますっ。明日そこんところ書きたいですっ。頑張るね^^ それにしても趣味に走って未来世界を書くのを楽しんでしまって居ますよ。少しでもイメージが伝わればいいのですが。
あ、そろそろこちらへ向かっているでしょう。あなた「おかえりなさい」です^^ よく休んでくださいね。
2019.08.24

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