Re VOICE & VISION 1
窓の外を横切るAIR BUSは、随分と低く飛んでいるのではあるまいか。車体一面賑やかな色の広告で、きらきらと光りながら過ぎていく姿は、随分と目を引いた。頬杖を突いたまま、流れる文字を化野は読む。
『通信で切り拓く未来*VoiceからVisionへと*ArcОath』
勿論、新航空法と運行ダイヤを遵守する範囲ではあるけれど、こうやって居住エリアを低く航行させればさせるほど、広告費は数倍に跳ね上がると聞いたことがある。さすがは巨大企業アークオースだよな、と化野はぼんやり思い目を細めた。
空中に散布されている希釈型抗ウイルスワクチンのせいで、空は薄っすらと紫を帯びているように見える。それも見慣れたいつもの風景なのだが、今日はただただ気怠く思えた。昨日から休暇なのに何も予定を入れていず、したいことも無くて、実を言うと化野は暇でしょうがないのだ。
その時、ぽーん、と微かな音が鳴って、テーブルの上に置かれている携帯端末のディスプレイに、柔らかな光が踊った。
「2119年08月19日、午前11時11分。昼食はどうするんだ、化野。休日だからってあまりペースを乱さない方がいい」
「わかってるよ、ありがとう」
化野は薄っすら笑み顔になる。彼を笑ませた声は、ボイスパートナー。携帯端末にダウンロードされたAIだが、語り掛けてくるこの声は彼の恋人のものだ。恋人当人は、またしても遠い国に旅立ってしまっている。
「そうだ。検索、してくれるか?」
ギンコは今、どこにいるだろう。北アフリカへの長い旅から戻って、ほんのニ、三か月この国にいてくれたと思ったら、また旅立っていって、本当に本当につれない。
「あぁ、どんな情報が知りたいか言ってくれ」
いつも変わらないボイスパートナーの、落ち着いたトーンの声。テーブルに頬杖をつき、目を閉じて聞くと、携帯端末から聞こえる声が、目の前に居る彼が此処で話している声に思えてくる。
「相変わらずいい声だ。ギンコ。可能ならでいいんだが、18日発メキシコ行きスカイウィングの、今の航行位置を教えて欲しい」
「そりゃ、どうも。…にしてもな、またややこしい要望だ。待ってくれ、公開情報にアクセスして、可能な限り追ってみる」
スカイウィングは信用のためか、情報公開をある程度セーブしているらしい。いっぺんに800人も乗せて飛ぶ旅客機だ。AIR BUSなんかと同等というわけにいかない。やがて携帯端末がまた光を揺らめかせ、彼の声が教えてくれる。
「2119年08月18日、午後14時22分、東京NA発、翌午前3時01分、メキシコシティFS着、MANA便の情報にアクセスできた。今は北太平洋上空。過去のデータからの予測だが、おおよそこの地点だろう。画面で航行経路の地図を参照してくれ。遅れがなければ、あと二時間足らずで到着だ」
目を開けてディスプレイを覗き込めば、地図が開かれていて、触れもしないのにゆっくりとズームアップされる。オレンジ色の印が点滅しながら、北太平洋を横切り、巨大な大陸へと差し掛かっていく。
「ありがとう。ここ、か」
「どういたしまして。役に立てたなら良かったが」
ボイスパートナーの返事に微笑みながら、化野は光る点に指でそっと触れる。あらかじめ引かれている線の緩い弧を、メキシコシティFSまで辿っていった。行きたかったなぁ、と、つい彼は埒もない独り言を言ってしまう。
その時、端末のディスプレイが、いつもとは少し違う色に光った。不思議に思って伸ばした化野の手の中で、ボイスパートナーはまた話し出した。
「いきなりで悪いが、バージョンアップ情報が届いた。Wi-fi環境にあっても、30分以上かかるが、どうする? 後にするかい?」
「いいよ。気分転換にちょっと出掛ける予定だったから、シャワーを浴びてくる。データ通信が終わったら、少し遅めのランチにおすすめの店をピックアップしておいて」
「わかった」
そして化野は、男にしてはゆったり目にシャワーを浴びて、ついでに風呂の掃除を軽くしてから出てきた。冷蔵庫から野菜ジュースを出し、小さなパックにストローを刺している時に、彼はようやっと異変に気付く。
リビングのテーブルの上に、水平に置かれたままの携帯端末。化野の手のひらより少し小さめのそれの上に、なにやらキラキラと光るものが浮かんでいるように見えたのだ。
「バージョンアップの画面、ってあんなに眩しかったかな」
画面が明るいせいでそう見えるだけだろう。そう思って近付いた化野は、そこで『彼』の姿を見た。小さくて綺麗な光が、ディスプレイの表面から上へと立ち上って、その光の中に、ふわり、浮かび上がったのは。
「……えっ、何、どうし…っ。ええ…っ?」
「バージョンアップ完了。動作確認のため、軽く動いて見せるから、映像の乱れ、バグなどないかチェックしてくれ。…化野? 聞いてるのか?」
それは、十五センチもないような、小さな『彼』だったのだ。
「ギンコ…ギンコだ…」
野菜ジュースを飲むのも忘れて、化野は落ちるように椅子に座り、ダイニングテーブルの上の『彼』に見入っていた。勿論、ランチなんか思い出している場合じゃない。
『ギンコ』はディスプレイの上にいるままで、歩いて見せ、ゆっくりとターンして見せ、急に出現した椅子に座って見せた。さっ、と手を動かすと、辞書のようなものがその手の上に現れ、或いは何処からか傘を取り出し、開いてさして見せたりもした。
よく見ると、小さなギンコの傍に降っている雨が見え、足元で波紋が幾つも広がっている。差している傘からも、水滴が滴り落ちていく。なんという精巧な映像技術。なんという…。
やがて雨が上がるとギンコは傘を閉じ、ふ、っと現れたカップに、自分の為のコーヒーを入れ、椅子に座ってそれを飲み始めた。見慣れた姿だ、彼そのものの。そんな姿に見入って呆けるばかりで何も言わない化野に向けて、どこか呆れたような顔を作って見せ、バグや異常はなかったか? と彼は聞いた。
「え…っ、いや、だ、大丈夫、だと思うよ。じゃなくてっ、どうしたんだ、ギンコ。声だけじゃなく姿まで出せるなんて聞いて知らなかったし、そもそもその映像って? ギンコそのものじゃないか。俺は声のデータは提供したけど、映像までは……っ」
堰が切れたように矢継ぎ早に話し出す化野に、ギンコは小首を傾げて見せた。
「落ち着けよ。今回のバージョンアップでは、3D映像付きのサービスを受けられるようになる、ってやつだったろ? 自分でyesを選んで確定もしてた。ArcОathからのお知らせSNS、もしかしてよく見てないのか? まぁ…この映像の提供元の話をすると長くなるから、まずはランチ行かないか?」
家を出て、通りの向こうに入り口の見える、チューブロードを化野は利用する。立っているだけで進んでいく道よりも、化野は自分の足で歩く方が好きなのだ。高いところに作られているので、景色もいい。イヤホンを差した携帯端末をしっかりと握って歩けば、いつもの調子で『彼』がノリモノ情報を教えてくれた。
当然のように音声でだけだ。出掛けてしまったら姿が見れないのか、と化野はがっかりしている。
『AIR BUSは学生の団体旅行で混んでいて、今からの利用は34分待ちだから勧めない。このまま少しばかりチューブロードを歩くが、白のsheepエリアと、青のflyingfishエリアを眼下に見ながら、港方面に向かい、トーキョーれとろを使うのがいいだろう。連休仕様の臨時便が出ていて、運行もスムーズだ。今日は調整降雨のスケジュールはないから、かえってれとろが空いている』
「ギンコ」
声での案内が終わった途端、化野はとんとん、とディスプレイをタップした。びび、と端末が震える反応を得てから、彼はマイクに口元を寄せる。
「聞いてなかったが、ランチはどんな店を選んでくれたんだい?」
『スカイポート内にある、エンチラーダが人気の店だ。れとろを使っていけば割引があるし、食後のコーヒーにアルチュラがコクがあって美味いとか』
「え」
思わずロードの途中で立ち止まってしまい、化野は後ろから来る歩行者の邪魔にならないよう、急いでラインの外に出る。ちょうど体一つ分の幅よりも、少し膨らんで広かったのは、丁度真下が青のflyingfishエリアだったからだ。
透き通った飛魚の群がずっと下の海から跳ねて、鳥のように美しく滑空し、また海へと飛び込むのが見えた。美しい映像サービスだ。うっかり白のsheepエリアを見落としたのが悔やまれる。
「メキシカン料理の店か、しかもスカイポート内」
『嫌だったら、二番目の候補を紹介するが?』
「いや、いいよ。ありがとう、メキシコ料理、興味はあったんだ。なんなら今日はメキシコ体験だらけとかしてもいいぐらいだよ。そんな都合のいいイベントは無いだろうけどさ。行こう」
『どういたしまして? まぁそれもお安い御用かもしれないぜ?』
続
いつもこの時期に書いている「おかえりなさい」をテーマ?に書いているお話の、今年のものになりまっすっっ。そしてそして、禦年ほどじゃないけどまた伸びてしまって、書き上げることが出来ませんでした。あぁぁぁ。でっ、ですので、今日は恐らくストーリーの半分程度の、1話目と2話目をアップいたします。
おととし書いたVOICE PARTNERの続編として書いていますので、よかったら引き続きお楽しみくださいませ^^ この世界のお話はまた書きたいと思っていたので、私はとっても楽しいですっ。
2019.08.24

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