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… 桜花の性 4 …
待ってもいない夕空は、すぐにギンコの目の前に広がった。着物を背中にかけたまま、ギンコは縁側に腰をおろし、脚をゆらゆら揺らしている。何だか背丈も縮んだらしくて、腰掛けて下した足の踵が、地面につくかつかないか。
夕を過ぎたら隣家へ避難してくれ、とか化野は言ったが、そもそもこんな女姿で、どう言って隣へ訪ねていいか、判りもしないじゃないか。どうしろってんだか。…なぁ、化野先生。
別に姿が女になっただけで、中身は変わってやしないのだし、元に戻る方法も判っている。だからいつもと同じに、ちょいと面白い土産でも見せる気分でいたものを、ここへ近付くにつれ怖気てしまい、とうとう会ってみたら、化野という存在に惹かれる体も心も、そして化野の態度も、全然違っていて戸惑うばかりだ。
それにしたって、だよ、化野。と、ギンコは思うのだ。
それにしたって、暫らくぶりに会うのはおんなじなのに、いつもみたいに向かい合って飯を食ったり、他愛の無い話をしたり、不意に合った目と目に、つい吹き出したり、そういう小さな幸せが、遠くなるなんて思わなかった。さらにもっと、親密なことだって、互いに望んで、いるはずが…。
でも、それは自分から遠ざけたのも、同じだ。嫌だと叫んで、突っぱねた。別に嫌なんかじゃなかったのに、この腕が、口が、勝手に。
はぁ…っ、と盛大に溜息をついて、ギンコは後ろを振り向いた。閉じたままの障子の向こうの化野は、今は何を考えているんだろう。このまま暗くなるまでここで待っていて、そうしたら、襲い掛かるんだそうだから、そんなら早く、と、つい思う。
そうして欲しくない理由だって、あるくせに…な…。
待つ時間は長く、ギンコはなんとなく立ちあがって、自分の木箱に近付いた。沢山ある抽斗をごそごそ漁るが、探し物は見つからない。櫛と、それから鏡。だけれどそんなもの、持ち歩いている覚えもないから、見つからなくて当然だ。髪をといたり、鏡を見たりしたいなんて、そんな自分の思いがおかしくて、小さく笑いが込み上げる。
夕日はもう落ちた。暗くなるのはすぐだろう。ギンコは部屋の真ん中に座って、化野が奥から出てくるのを待っていたのだが、垣根の向こうの通りを、誰かがこっちへ向かってくるのに気付いて慌てた。
誰だと聞かれたら、いったいなんて言ったらいい? ギンコの妹だとでも言えってか。冗談じゃねぇよ。自分で自分の妹のふりなんか、できるはずが無いだろう。
逃げ場所なんか、ひとつしか思いつかないギンコだった。
その頃、化野は開いた医学書を逆さまに持って、じっとその一点を見つめていた。あかりは灯していないから、部屋は随分と薄暗いし、そもそも逆さまになった書物など、最初から読んでもいなかった。溜息をついて、その書物に額をくっつけ、脳裏に浮ぶギンコの姿を眺める。
女になって現れるなんて、いくらギンコでも予想外だ。しかもあんなに綺麗な姿だとは。そうなったのを期に、俺のなけなしの理性を試しているようで、酷いと思う。と、その時、いきなり襖が、すぅ、と開いたのだ。仰天した、それこそ心臓が跳ねるくらいに。
開いた襖からギンコが、華奢な体を滑り込ませて入って来た。化野は狼狽して、たっ今、入ってきたばかりのギンコを、向こうの部屋へと押し戻そうとする。
「こっ、こら、もう暗くなってきてるのにっ、傍に来られちゃ困っ…」
「しょうがないだろっ。人が訪ねてきそうなんだ。こんな変な姿でここにいるのを、お前の里の人間に見られたくない…!」
「別にどこも変なんかじゃないぞ」
「変に決まってる! こんな白い髪で緑の目で、しかも片目しかなくて…。そんな人間、嘘でももう一人いるなんて言いたくな…ッ、う…」
「先生ー。いなさるのかねぇ。ちょっと腰が痛ぇんだけど、前に貰った膏薬を少し、分けてもらえねぇかなぁ」
ギンコは息も付けなくなって、じたばたともがいていた。化野はギンコの首を抱いて、彼の顔を自分の胸に押し付け、要するに彼の体を、しっかりと抱き締めているのだ。
「ん、ん…っ、あだし…」
「しっ! 静かにして。見つかりたくないんなら騒ぐなっ」
「判ったから、離してくれ…」
「………」
「先生ー。ありゃー、散歩でもしてなさるんかね。ま、いいや、明日でも」
独り言を言いながら、里人は遠ざかっていったようだった。足音まで遠くなっていった後で、化野の腕の力がするりと緩む。
「この、馬鹿…っ」
「……」
「本心なのかも知れんが、そんなこと、言うな」
そろりと顔を上げて、ギンコは間近から化野の顔を見上げた。二人して床に座り込み、互いの体に腕を回し、縋り合うような恰好で。部屋はあんまり物も見えない薄暗がり。それでも化野には、ギンコが自分をじっと見つめているのが判った。
ギンコの白い髪に酷く似合う、片方だけの翡翠の瞳。この世で一つきりの、大好きな…。
「…そういうお前の見目形に、惚れちまってる俺が、哀しくなるって言ってるんだ。その上、今日はまた、女になんかなってあらわれて、綺麗やら色っぽいやらで…。いったい俺をどうしたいんだよ…お前…」
震える声で語られた本心を、ギンコはじっと聞いていて、それからどうしてか少し哀しげに笑った。おんなそのもののような仕草で、しなり、と化野の肩に頬を寄り掛からせ、項垂れて顔を隠す。桜の匂いがした。肌着に焚きしめた香だろうか。
「綺麗、なんかじゃぁ、ないんだよ…化野。このカラダ、ほんとは全部、女にゃなってねぇし、さ。だからさっき、それを見られるのが怖くて、つい…」
「え。どういう…。あ、いや…」
聞こうとすると、ギンコは身を固くして小さくもがく。逃げさないように強く抱いて、化野はギンコへと、顔を寄せて口説いた。こうなりゃもう止まらない。嫌わないでくれよ、と、小さく口の中で唱えてから、ひねりも何も無い真っ直ぐな言葉で言う。
「とにかく、だな! …もう、抱いちまうぞ、ギンコ。女になってるお前を、力ずくでなんか、したくない。なるべく嫌がらないでくれ」
「嫌じゃ、ねぇよ…。怖いだけだ…」
ギンコの腰の細帯に手を掛けて解くと、しゅるり、と柔らかな音がした。どうしたことか、それだけで酷く興奮して、化野の指は震えている。ギンコは怖がって身悶えし、衣擦れの音と共に、彼の着ている着物の裾が乱れた。闇の中に、白い大腿がちらりと見える。
「なんか、お前を初めて抱くような気分に、なるな」
くす、と笑って言う化野を怒って、ギンコは弱々しい腕で、彼の胸を小さく叩いた。ギンコは怖くてしょうがない。襦袢の下には下着などつけていないから、目を凝らしさえすれば、もうそこが見えてしまいそうだ。
「あ、化野…。あ…ぁ…」
何を言おうとしていたか、ギンコも自分で判っていやしない。化野の手がギンコの片膝の上に置かれ、そのままゆっくりと上の方へ滑らされていく。そんな瞬間だというのに、不意に化野には判ったのだ。ギンコの言葉の指す意味が。
つまり、そう…。そういう意味なのだ。声が細くなって、髪も伸びて、体全体は華奢になっていて、小さくとも乳房が出来ていて。なのに、ギンコは『全部女になってない』などと言っている。ならばその答えは、ここにあるのに決まっていた。
「別に、ついてたって、俺がお前を気味悪がったり、しやしない」
言いながら、するり、と化野はそれを握った。
続
なんかまたとんでもないところで『続』にした気がしますっ。すいませんっ、あんまり進展してなくてっ。でもそろそろ遅いんで、執心したいと思います。じゃなくて「就寝」ですね「就寝」。いや、興奮して眠れないかもしれませんが。笑。
この続きはまた次回、どっからどう見ても、本番?エッチ最中となりますので、よろしかったら待ってて下さいねっ。ではっ。
09/03/31
