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… 桜花の性 3 …







 ちゅ、と唇を吸って、一度化野は口付けをほどいた。間近で見ながら、白く長く伸びた髪を指にすくい、撫でる仕草で愛でながら問い掛ける。

「旅の空で、言い寄られやしなかったか? 一人でずっと来たんだろう。なんて危ないことを」
「…いや、道々はいつものあの服で、頭から布をすっぽり被ってきたんだ。宿にいる時、布を解いてたら、何度か男に声掛けられたりしたけどな。物好きはどこにでもいるもんだな、と…」
「なんで物好きだ。綺麗だと言っただろう。凄い美人だぞ、お前」
「あ…そ、…そうか?」

 また口を吸われる。着物をはだけられたままの胸に、化野の胸辺りの着物の布地が擦れて、なんとも言えない気分になり、思わず首を反らし、いやいや、とギンコは小さくかぶりを振った。

「どうした、嫌か」
「そうじゃない。ただ、胸が…」
「胸が?」
「っ、ん…ッ」

 化野の片手が、ギンコの小さな乳房を包んでなぞる。触れられた胸どころか、口で言えないところまでが、泡立つようにぞくりとした。医家としてのさっきの触れ方と、何処が違うのかも判らないのに、無意識に膝をもがかせてしまう。

「あ、あんまり、そこ、触らないでくれ…っ。変、なんだ」
「変? ここが?」

 指先で、その柔らかさを確かめるようにされ、ギンコはどんどん怖くなった。化野に抱かれることを、嫌だと思ったことはないし、今だって嫌悪などないのだが、心も体も全部がふわふわと、どこか不安定で、じっと任せているのが怖かった。
 喘ぐのに忙しくてそんな気持ちを伝えられず、首筋を吸われ、耳朶を舐められ、鎖骨の窪みに沿って舌を這わせられる。どうしてこんなに澱みなく抱けるのかと、理不尽な疑問が頭をもたげた。

 お前がこんな、女扱いに慣れてるなんて、俺は…、ちっとも…。

「い…、い、嫌だ…っ」

 する、と、さらに着物を解かれ、脇腹を手のひらで辿られた途端、ギンコは無意識に叫んでいた。化野の胸に腕を突っ張って、そむけた顔はきつく目を閉じて、唇をわなわなと震わせ。

「…そんな、必死にならなくとも、嫌なら止す」

 少し、機嫌を損ねたような言い方で化野は言い、ギンコの体の両脇に手を置いて離れた。そのまま立って隣の部屋へ行ってしまう。ギンコは着物をはだけられてしまっている自分の姿を、おろおろと見下ろし、未熟で小さな胸の膨らみを、哀しいような思いで見る。

 いくら綺麗だったって、自分は元は男だ。
 体だって中途半端で胸はこんなに貧相で、
 それに。それに…、下はまだ。

 気味悪がられるのは、あんまり哀しい…。

「茶を飲むだろう、ギンコ、前にお前が美味いと言っていたのを、また取り寄せておいた。そら、熱いうちに」

 そうして戻ってきた化野は、白く柔らかな湯気の立つ湯飲みを、随分と離れた場所に置いて、また奥へと引っ込んでいく。哀しくその後姿を見て、ギンコは名を呼ぼうとしたのだ。けれど化野は、仕事が残っている、とかなんとか、口の中で呟いて、ギンコの前に襖を閉めてしまった。

「…化野……」

 閉じた襖の絵が、じんわりと歪んだ。気付けは目に涙が浮んでいて、それがぽろりと畳へ零れる。男と女は体だけじゃなく、こんなことまで違うのだ。些細なことで泣いてしまう自分に腹を立てても、ますます涙が零れるだけのこと。
 襦袢の袂で目を押さえて、ギンコは涙を止めようとした。こんな特異な蟲に憑かれてしまったが、その払い方は判っている。でも、払うためには化野の存在が必要で、泣いていたってどうにもならない。

 まだ止まらない涙を持て余したまま、ギンコは襦袢をなんとか整え、縁側を開け放してある部屋へ出て行く。眩しい真昼の日差しが注いでいて、そこはいつだって自分の気に入りの場所だ。例え今、隣に化野がいなくとも、彼の匂いがする気がして。

 縁側の板敷きから下へ足を下ろし、不慣れで吐きにくい女物の草履には目もくれず、ギンコは庭石を踏んで垣根に近付く。そこに淡い黄色の菊が一群れ咲いていて、無意識にそこへと引き寄せられた。
 綺麗だと、思った。花は嫌いじゃないが、その生命力に思い惹かれる事はあっても、こんなふうに綺麗であることに意識を向けることは少なかったように思う。

 大輪の牡丹や芍薬と違って、小さくて目立たないこの花に、女として半端で地味な姿の自分を重ねれば、ますます愛しくて仕方なく思えた。見れば、一番端の菊が、どうしたことか折れて倒れていて、このままでは萎れて枯れてしまう。
 しゃがんでそれを折り取って、水に差してやらねばと振り向いたら、開いた障子に手を置いて、そこに立っている化野と目があった。

「あ、あの…花瓶かなにか…ねぇかな。この菊、折れてて」
「…ぷ…っ」

 化野は小さく笑って、下駄を引っ掛けてギンコの傍へとやってきた。化野のその笑いに、ギンコは胸が傷ついたが、彼の顔がすぐに柔らかな微笑みに変わり、その顔から目が離せなくなってしまった。

「笑ったりして、すまん。姿が美しい女なのに、その口の聞き方は困ったもんだと思ってな。それと、仕事が残ってるなんて、さっき言ったのは嘘だ」
「な、なんでそんな嘘。やっぱり俺のこの姿が気色悪くて」
「馬鹿を言え。お前、男だったくせに判らないか。あんな半端で『嫌だ』とか言われたって、傍にくっ付いてちゃ、数分ともたずに襲い掛かっちまうだろうが。…あっちで、そのぅ、それなりに処置してただけだ…っ」
「処置…て」
 
 かあ…、と二人して顔を赤くする。化野はギンコの手から小菊を奪い取り、背中を向けて言ったのだ。

「けどな、結局は…もたんぞ。あたりが暗くなったら、腕ずくで押さえつけたってお前を抱いちまう。夕時過ぎには隣家へでも避難しててくれ。昼間は…理性でなんとかする」

 化野はすたすたと井戸へ行き、小菊の一本の為に、桶で水を汲み上げた。片手でその冷えた水をすくい、襟元まで濡れるのを構いもせず、ばしゃり、と顔に水をかける。それから菊をそこへ差し、やっとギンコの方をむいた。

「裸足で…お前…。足に怪我したらどうする気だ。さては、手当てをさせて、俺の理性でも試すってか」
「…そんなつもりじゃない」

 言いながら今度はギンコが少し笑った。花の開くような笑みに、化野は数秒の間見惚れ、それから唇を噛んで視線を逸らす。ギンコは勇気を出して聞いた。

「先生。この際だから聞いていいか?」
「なんだ」
「女は、知っているんだろう?」
「…あたりまえだ。俺を幾つだと思ってる」
「何人くらい?」
「き、聞いてどうすんだ」

 動揺した様子に、ギンコはさらに微笑む。彼が笑うと、そのたびにふわりと、桜の花の香りがした。

「俺は女も男も全部ひっくるめて、お前が最初、だったから」
「…知ってるよ」
「なんだか不公平だ」
「お前と出会えると判ってたら、俺だって童貞のままだったさ」

 さらりと返された返事。ギンコの体に、幾度も幾度もの、彼との閨が思い返される。優しいときもあった。激しい時も熱い時も、痛いときも苦しいときも、切なくて涙の零れた時もあった。でも、それはすべて愛しているからだと判っている。

「化野。俺が、もし……」
「…え?」

 言いかけて途切れた言葉は、中々続きが聞こえてこない。痺れを切らして化野が彼の方へ視線を向けると、ギンコは相変わらずの襦袢姿で、垣根の傍の小菊のところに、ちんまりと座って可憐な花の姿を眺めていた。

「そういや、お、お前…ギンコっ。着物着ろっ、着物っ。襦袢は下着なんだぞっ、判ってんのか…!?」

 化野はばたばたと家の中へ走り込んで、ギンコがさっき脱ぎ捨てた着物を持ってくる。それをギンコの背中へ掛けてやり、その上から押さえ込むようにして家の中へと引っ張り込んだ。

 一瞬、抱く力が強くなって、化野がギンコの名を、小さく呟くのが聞こえた。けれど、部屋へと上がらせた途端、裾を踏んで転んだギンコを起こしてやることも出来ずに、化野はその体から飛び離れ、また逃げるように奥の部屋へと行ってしまうのだった。

 
















 お客さん、そこで砂吐くのやめてくださいぃぃぃぃー。はぁぁ、書いてても照れるラブコメ状態。でもないですか? 私、そういやラブコメがどんなものだか判らないや。アハハー。

 女々しい男だとか、男っぽい女だとかいますが、やはり男と女は体の形のみならず、心もやはり違うと思うのです。自分の感情に振り回されるギンコ、というか、きっと今まで意識していなかった色んな感情が、女になっていくせいで表に出てくるのですか?←聞くな。

「お前と出会うと判ってたらまだ童貞」との先生の発言。大好きです。なんだか可愛いのでぇー。くすくす。書いてて楽しかった「桜花の性3」なので、皆様も楽しんで貰えると嬉しいです。ではー。



09/03/19