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蔵の五つ実 2
夜半、化野は真っ暗な道を歩いている。灯りは片手で下げていたし、慣れた道なのに時折つまづくのは、ギンコのことばかりを考えているからだ。
あぁ、もう行ってしまったろうか。
往診だなどと嘘を言って、あれから五時間、六時間か?
俺がお前を、避けているのが判ってしまっただろう。
違うんだ。避けたくなんかないよ。
会いたいよ…。傍にいてほしい…。
だけれど胸はしくしくと痛み、またじわじわと痣が広がるのが判るのだ。蟲に憑かれてしまった、助けてくれ、そう、言えばいいだろう。そんなふうに脳裏では、別の自分が呟いている。己で対処するなど出来ないくせに、そうと判っていて何故隠す?
嫌われたく、ないからだ…。
胸にこぶしあてて、その指を強く握って、自身の愚かさに顔を歪める。辿りついた家の中はひっそりとしていて、火の気もない。やっぱり、もうギンコは行ってしまったのだ。
雨戸も障子も開けっ放しの縁側に、火を灯したままのランプを置いて、投げ出すように鞄を放れば、その中で大事な仕事道具が、がちゃりと抗議の音を鳴らした。
「…ギン…コ…」
苦しい心で名を呟いて、目をきつく閉じて両手で顔を覆う。
「遅かったんだな」
そう、唐突に声を掛けられ、弾かれるように顔を上げる。誰もいない視野で、丁度謀ったように灯し火が消え、夜目の効かない化野は、黒い闇に包まれた。
「ギ、ギン……っ…。…あ…」
後ろから腰を抱かれ、首筋に口付けを落とされて、狼狽する。振り解こうともがいても、背中にぴったりと身を寄せ合わせられ、顎を掴まれて喉を反らせられ、抗いは鈍った。味わうように、肩口にまで吸い付かれれば、甘い陶酔と喜びが、もう滲んでくる。
「やめ…、やめてくれ。つ、疲れてるんだ…。ギンコ…ッ」
「…構わねぇよ。お前はされるままでいりゃあいい。今まで待ってたんだ。もう待てねぇ…」
「た…頼む…か、ら」
声は擦れていた。ギンコの片膝が、彼の膝を割ろうとするように、後ろから摺り寄せられる。唇の愛撫はゆっくりと位置をずらして、化野の耳朶を舌で舐め上げた。
「頼みてぇのは、こっちだよ。餓えてんだ。抱かせろ」
あぁ、待っていたのは、俺の方だよ。ずっと、ずっと待たされて、焦がれて焦がれて、遠く離れたお前と少しでも近付きたくて、愚かなおこないで蟲に憑かれて、この様だ。
だから、もう待てないのは、俺だよ…。
化野は顔を無理に向けて、唇を重ねて欲しがる。縋るような彼の目を、ギンコは眺めて、その唇を柔らかく吸った。
今はギンコに触れられることを、間近で見られることを、嫌がる理由もあるというのに、それすら一瞬で溶かすくらい、それほど焦がれていた。待っていた。気が変になるほど、この男に求められたくて。
「ん…ん…っ」
「…そうだ。お前だって、欲しかったんだろう?」
そう言って、ギンコは化野の手を引いた。もう抗わず、引かれるままに部屋へ上がって、敷いてあった布団に身を横たえる。囲炉裏に火も入れていないから、夜具はひいやりとしていたが、そんなことはどうでもよかった。
繰り返される口付けが、手のひらを這わせる愛撫が、怯えてしまえるほど甘くて、痺れるほど気持ちよくて、何もかもが白く消えていく気がした。快楽に、腰を震え上がらせて身もだえし、身に纏う何もかもが邪魔に思えて、着物を脱がそうとするギンコの手の動き一つにも歓喜する。
「ギンコ…、ギンコ…っ…」
「…お前は妙なヤツだよ。いつもそんなふうでいりゃあ…余計、可愛いのにな」
「ぁ、あ…っ…」
耳元で、ぽつりと言ったギンコのそんな言葉に、身を仰け反らせて化野は軽く達した。下帯の中がしっとりと濡れて、放った直後の敏感すぎる先端が、布地に擦れて泣きたいほどだ。
早く脱がせてくれ、もっと、その手で、指で、全部に触れてくれ。こんな邪魔な着物なんか…。
もどかしげに身じろぎして、着物の袖から腕を抜く。きっちりと着た襦袢だけが、煩いくらい身に纏いついて、それを引き千切ってしまいたいほど。腰の帯はギンコに解かれ、やっと襦袢の襟が、左右に幾らか寛げられて、痩せた鎖骨にギンコが噛み付いた。
「そう急くなよ。まだ朝まで、時間はあるだろ? にしても…、今は、痛くねぇのか? ここ…」
「…い、痛…く…?」
ギンコの手が、晒の上から化野の胸を撫でている。布越しでも判る、微かな隆起は、化野の脇腹から胸へと。木の枝が細かく広がるように這っていた。まるで生き物のように、それは今もじわじわと広がっていく。指の腹で辿るようにしながら、ギンコは言った。
「ここに痣があるだろ。隠したがってた癖に、忘れてんのかよ。…晒、解くぜ…?」
する、とギンコの手が触れた場所を、化野自身も見下ろした。巻いてある、白い布。きついくらいにしっかりと、化野の胸を覆っている晒に、まさに今、赤い染みが、じわりと…。
「や、…い、嫌だ…っ」
「…何言ってる、今更。…見るぜ」
「嫌だ…。は、離してくれ。嫌だ、ギンコ…ッ!」
化野は唐突に暴れ出した。晒を解こうとしていたギンコの手を振り払おうとし、はだけられた襦袢の両袖を、それぞれに布団に押さえられて動きを封じられ、それでも身を捩ってもがく。
ギンコの見ている前で、赤い染みは、ぽつりと小さな点になり、その色はだんだんと濃くなって、雫に…いや、小さな実のようになって零れ落ちる。ころころと、それは化野の胸の上を転げて、ギンコと彼の間の布団に、真っ赤な染みをつけた。化野の胸の白布には、一点の赤い色も残らない。
「く…、ぁ…あ…」
化野は、胸に滲む痛みに浅い息をついている。そうして、体を無理に捩じるようにし、その丸めて縮込めた自身の体で、ギンコに見られないようにと無意味な抗いをしていた。
赤い実の滴りは、ぽつり、ぽつりと三つまで落ちて、そのどれもが化野の身には色を残さず、差し伸べたギンコの手と、布団の敷き布ばかりに朱を残して消えている。
「あ…ぁ…、はっ、離し…て、くれ…。ギンコ…。苦し…」
「あぁ、どこがだ。胸が痛むか」
襦袢の袖を押さえつけ、裾を膝で踏んだまま、見られる限りを見ていたギンコが、化野の言葉に手を緩め、膝を退かせた。
「そら、見せろ。それを解いて…」
そう、ギンコが言った途端のことだ。抗いを止めたように見えた化野が、いきなり彼を突き飛ばした。ほんの一瞬たじろいだギンコは、本当はすぐに腕を伸ばし、化野を捕まえることも出来たのに、そうはせずに逃げていく背中を、もう一度見送った。
今度は白い襦袢一枚きりの格好で、化野は裸足で草を踏み、落ちていた枝を踏み折って、蔵の方へと行ってしまったのだ。
「…ったく。しょうがねぇ…」
呟いて、ギンコは縁側に腰を下ろし、取り出した蟲煙草に火を灯した。一本を吸い終るまでの間、彼は目を細めて宙に漂う紫煙を眺め、吸い終わった後、物憂げに立ち上がって、蔵へと足を向けるのだった。
続
むむぅ、目指していた路線から少しずれた気がしますが、心配しつつそのまま続行。中々こう…恋する複雑な気持ちというのは難しいですねぇ。好きなのに相手を遠ざけたいとか、むむぅ〜経験のない事を書くのは難しいっっっ。いや、書くものすべて経験あったら、大いに問題ありますが。焦。ともあれ、続きも頑張るよー。
10/11/12
