変わらぬ変容   6




 …魂は抜かれ、そこへ蟲を入れて、魂の代わりにすると言うのぅ。その技を施されたものは皆、蟲が見える体質となるが、心など最初から持ち合わせていないようになるそうでな。
 その男、もう過去のことなど覚えてはおらぬやも知れぬぞ。魂代わりの蟲にも寿命はあるじゃろう。とすればそれを新たなものと入れ替える時、また、それまでの心も記憶も、消え去るのやも知れぬ。

 使命の為、家の為とは言え、惨いことよ…。
 それくらいでなくば、為せぬ使命、なのかも知れん。

 心を失くし、与えられた使命の為に淡々と永らえる姿は、人としては哀れだが、いつまでもどこまでも永劫に流れていくだけの、命の川にもどこか似ておるな…。


 問われるまま、老人はそう語った。
 問うた相手はずっと、黙って、聞いていた。




 イサザは長から聞いたそんな話を思い出していた。その話を信じなかったわけじゃないけど、でも、クマドには心も記憶も、ちゃんとあると筈だと、彼はずっと思っていた。なのにクマドと寝てる間、いろいろと話し掛けたことの全てに、彼はあんまりなほど無反応で。

 あーぁ、馬鹿みてぇ、俺。

 ただ仰向けで黙って横になって、そこにいるだけみたいなクマドを眺めながら、イサザはこっそり溜息をつく。

 餓鬼の頃のことなんか、ほんとに覚えてないんだろうな。それどころじゃなくて、二年前のことも全然記憶にないんだろうなぁ。覚えてたからあの時、助けてくれたんだ、とか、夕べ薬をくれたのも、覚えてたからだろうとか、どっかでそんな期待して。

 だから、金払う以外なんか用があるのかとか言われて、かっ、となっちまったんだもんな。ほんと馬鹿みぇだ、俺。そんでまた今日のことも、あんた全部、忘れるんだろうなぁ…。

 それでも寝てくれたのは、なんか嬉しかったけどさ。

 あ、そういや、俺、夕べあんたに色々言っちまったかも。あんたに忘れられるの辛いとか、言ったかも。思い出したら急に照れくさくなった。女相手にだってこんなこと思ったことないし、言ったことないのに。なんであんたにあんなこと。

 その時、唐突にクマドが身を起こした。寝るのに邪魔とか思って、結局イサザが全部脱がした着物を拾い、すらりと立ってそれを手早く身に着けると、彼は傍らの木箱を背に。

 もう発つ、とかなんとか、そんな一言も無しで、イサザは焦りつつ自分も慌てて身繕いする。

「ちょ、…ちょ、待てよ。こんな高そうな部屋に置いてかれたら居た堪れねぇって、俺が」
「……」
「なぁ、残りの代金、いつ払えばいいんだよ? 俺も移動しちまうし。なんか連絡取る方法とか、って…。そうだ、蟲師だったらウロ持ってるんだろ?」
「…薬袋一族と、一族が許したものの文だけをやり取りする、専属のウロ守だ」

 あぁ、にべもない。じゃあもう払わなくていいってことか、とは聞きたくなかった。だって、頷かれたらそれで終わりだ。なんとか出来ないか。何かないか。また会う理由に出来るもの。でなければ少しでもクマドの記憶に残せそうなもの。

 考えているうちに、クマドは部屋を出てしまい、悩みながらもイサザはそれを追い駆けて、道へ出て街を通り抜けて山道にまで差し掛かる。クマドは振り向きもしない代わりに、付いてくるなとも言わなかった。ただ眼中にないだけかもしれないが。

「じゃ、じゃあさっ、これ。…これ、持ってろよ」

 懐から掴み出したものを、イサザはクマドに差し付けたのだ。

「全部、払い終えたときに返してもらうからっ。それまで持っててよ。そのこと忘れないように、ちゃんと書いといて。『ワタリのイサザからの預かりもの』だとか、分かるようにさ」

 そしてイサザは、とうとうクマドの傍から離れた。前に会ったのは二年も前のことで、次はいつなのか、そもそも次があるのかも分からないままで。自分がどうしてそんなにクマドを気にするのかもよく分からずに。

 


「たま」

 と、傍らの老婆を呼ぶのは勿論、この屋の主、淡幽である。読んでいた書から視線を上げ、どこか気掛かりそうな顔をして彼女は問うた。

「最近、クマドの姿を見ていないな。この頃はどうしているんだろう」
「…まだ、いろいろと、当主であることに慣れてはおりませぬようで。ここへ呼んでもお嬢さんの気鬱の元になるばかりでございますので」
「私のことなら気にしなくていいから、たまが心配なら、呼べばいい。なんなら私に会わせなくても構わんのだぞ?」

 片耳に掛けた黒髪が零れ落ちるのを、彼女の白い指がゆっくりと掻き上げる。もう大人びたような仕草と、眼差し。クマドよりも幾つか年若い彼女の、その物言いと姿とを、たまは複雑な思いで見ていた。

 薬袋家の当主になったばかりで、未だ己の運命を恨み、それゆえどこか危ういクマドを、どうしたものかと思う反面、こうして既に運命を受け入れて、心静かにいる淡幽の姿にも、たまは心揺らいでしまうのだ。

「では、呼んでまいります」
「…来ているのか?」
「はい」

 そして部屋へと通されたクマドは、一見して、どこにも心の無いもののようであった。淡幽は逸らし掛けた目を、すぐに元のように真っ直ぐに彼へと向けて問い掛ける。いつもの問いだった。どこを歩いてきたのか、何か変わったことはあったか、と。

 クマドは「禁種の蟲」に関わる事柄は何も無かった、と答え、それ以外のことは催促せねば口にはしない。それもいつものことだったが、土産は、と問うと、いくつかの見目の美しい鉱石と、貝の化石らしきものと、それからさらに木箱の奥を探って、布に包まれたあるものを淡幽に差し出す。

 一つだけ別の布に包まれたそれを開くとき、彼女は何気なくクマドに聞いたのだ。

「これは? 他のものとは別にしまってあったようだが、これも土産のひとつなのか?」
「…その筈です」

 奇妙な答えだった。だがクマドの態度のどこにも揺るぎはなく、それが逆に不思議な感じがする。

「筈」
「でなければ、そのような意味の無いもの、俺がわざわざ持ち歩いていた理由がない」
「あぁ、そうだったな。私が欲しがるような土産ものはどれも、お前には無意味でしかないのだしな」

 勿論、嫌味なつもりはなくて、小さな痛みを感じながら淡幽はそう言って、言いながら布を静かに開いた。

 中に納められていたのは、紅い、美しいものだった。縦に小さく楕円の形の、山桜の可憐な実。二つ連なったその実は、紅色を残したまま、濁りなく透き通っていて、思わず言葉を失って暫し見つめていた。やがて、淡幽はこう言ったのだ。

「誰かに、貰ったのか?」
「…よく…覚えていません」
「どうして覚えていないんだ?」
「それは、いつものことです。不必要なことを覚えておくなど、ただの無意味。禁種の蟲に関わりのある品とも思えず、ならば思い出すまでもないことかと」

 けれど、淡幽はそんなクマドの返事を聞いて、微かに笑った。そしてそれを元の通り布にくるんで、クマドの方へと静かに戻した。

「思い出してみてくれ。これはある蟲に憑かれて、このように姿を変えた実だが、これを渡す行為には意味があると聞いたことがあってな、頗る興味があるから、ぜひともお前の口から経緯が聞きたい。思い出したら、その話を添えて、またこれを私に見せてくれ」

 楽しみにしている。

 そう言って、淡幽はクマドを下がらせた。その日のうちに、クマドはまた旅に発っていき、それを見送ったあとで、たまが彼女に聞いてきた。

「クマドの持っていたあの品を見ましたが」
「…あぁ」
「何かの間違いではございませんでしょうか」
「間違い、とは?」
「渡されたとか貰った、ではなく、ただあのように変化したのを偶然見つけ、お嬢さんの土産にと思っただけでは」

 それを聞くと、淡幽は卓に頬杖をつき、たまの方をちらりと横目で見た。

「つまらぬことを言ってくれるな。そうでない方が楽しいし、いいことだろう?」
「…しかし、例えあれをクマドがどこかの」
「どうしようもなくとも、悪いことではないと、私は思うんだ」

 何かに心が動かされたり、誰かの心を動かしたりすることは、貴いことだと思うし、何一つそんなことのない人生よりも、ずっと幸せなことだと、私は思うんだよ、たま。












 イサザのターンと、場面変わって淡幽とたまのターン。この三人は喋ってくれるから有り難いです。ええ、本当にありがたいです。クマドよりずっと協力的だ! ああぁ、変なこと言ってすみませんですー。

 自分で自分の心をどっかにやっちゃうヤツほど、書き難い奴はいませんぜ! このあと事件が起こります! たぶんっ、事件の一つも起こらにゃ、あいつ動かねぇよっ。


12/12/16






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