変わらぬ変容   2




 夢を、見ていた。

 紗の掛かったような淡い視界で、誰かがこちらを見て笑っている。おどおどとしたような顔だった。でも、そいつは自分の足元を指さして、イサザに何かを話し掛けては、少し嬉しそうにしているのだ。それへ自分も、笑い掛けたような、気がした。

 会ったらさ、俺の好きな蟲、また教えてやるよ。



「…サザ…、イサザ…。イサザ…!」

 体を揺さぶったりはせず、男は幾度もイサザの名を呼ぶ。やがてイサザが目を開けると、手を貸してゆっくりと起き上がらせ、心配そうにこう言った。

「俺が、分かるか…?」
「…え…何、言ってんだよ、分かるよ、そりゃ」
「俺らの名を、言ってみろ?」
「名前ったって…シマのオヤジさんだろ。それからそっちはキナさんと、その後ろは」

 正しく名を告げていくイサザの声に、皆から安堵の息が漏れた。キナは懐から小さな布の包みを出して、手の上に赤い小さな実を転がし、それをイサザに見せる。

「な、これ、欲しがってただろう、お前にやろうか」

 イサザは目を見開いて、体を乗り出して喜んだ。赤い実は本来ただのイチイの実だが、ある蟲の影響で少し透けていて、中の種の形が薄っすらと見えていた。ワタリの彼らにとっても、それはかなり珍しいもので、中々手に入るものではない。

「えっ、うわ、いいのかっ」
「あ…いや、今のは無しだ。欲しい気持ちが残ってんなら、いい。よかったよ」

 何だよそれー、などと抗議の声を上げたイサザに、別の男が近付いて、イサザの手に別のものを握らせる。固く握らされた手のひらを開くと、それは二つ連なった山桜の実。イチイの実と同じく、蟲が憑いたせいで透けていたが、さらにもっと美しい。水晶のようにきらきらと光って、中の種までが半透明になっていて。

「代わりにこれをやる。大事にしろ。失くすなよ。…そうだな、そのうちどっかで好きな女でも出来たら、この実を片方千切ってくれてやれ」

 突然そんなことを言われ、イサザは随分たじろいだが、それでも手の中に大切そうにその実を握り締めた。そんなイサザを見て、皆は嬉しそうに一つずつ頷き、あとはそれぞれが傍を離れていく。まだ傍にいた一人に、イサザは聞いた。

「でさ、俺、どうなったの? コゴリドロに捕まったのは覚えてんだけど」
「……薬袋の御当主が、お前を担いで連れてきてくれたんだ。まぁ、長が代表して礼を言ってたが、お前ももしかしてどこかで会ったら、ちゃんと礼を…。って、中々会わねぇだろうけどなぁ、薬袋家の、しかも御当主なんぞとは」

 イサザは判然としない思いで項垂れた。助けようとしたのは自分の方だった筈なのに、結局は助けられて、そのうえ仲間の元まで運んで貰ったというのだ。もしも会ったら、などではなくて、会いに行ってでも礼を言いたいと思ったし、それに…

 夢で会ってたのは、あれは…あいつだ。そしてあの夢はただの夢じゃなくて、過去に実際あったこと。コゴリドロに捕まって、意識を失う寸前に、イサザが見た姿は、確かにあいつの、成長した姿だった。

「えと、ちょっと…俺。…す、すぐ戻るから!」

 言い捨てるなりイサザは走り出した。無茶と知りつつ道を逸れて、茂みを突っ切って山頂を目指す。途中、長の姿が遠くに見えたが、咎められたりはしなかった。

 やがては彼は山頂に出る。ひときわ高い木に取り縋って、するすると器用にその木をよじ登ると、右へ左へと視線を流して遠く広くを見渡した。木々の枝の隙間に、疎らになりつつ歩いているワタリの仲間の姿が見え、他の見知らぬ旅人の姿も、山道沿いに見えたりしたが、求める男の姿は見つからない。

「…駄目か。そりゃ、そうだよな」

 落胆して、イサザは枝の一つに跨るようにして、幹に凭れた。両足をぶらぶらとさせながら彼は思う。

 あいつ、大丈夫だったのかな。
 いや、全然…大丈夫な訳はねぇよなぁ。
 あんなすっぽり、
 頭をコゴリドロに絡められていてさ。

 コゴリドロに長時間捕えられていると、人は「記憶」を喰らわれちまう。極短時間なら「心」を喰われる。イサザの意識が戻った時、皆が名前を言い当てるように言ったり、前から欲しがっていたものを差し出したりしたのは、そのせいだ。

 仲間の名を覚えていたから「記憶」は無事だ。
 前から欲しかったものを見て、目を輝かせたから、
 イサザの「心」も喰われちゃいない。

 それは彼を助けてくれた、薬袋家当主のあいつのお蔭で、だけどあいつ自身の「記憶」は?「心」は? 喰われず無事であったのだろうか。それとも喰われて、失くしてしまっていただろうか。過去にイサザと会った記憶や、あの時、蟲の話を喜んだあの「心」は。

 でも、あの時のあれは、うっかり捕まったなんて姿にはとても見えなかった。分かっていて故意に絡め捕られ、わざとあんなふうにしてたみたいな。一体どうしてそんな、とイサザは思う。

 そういえば、蟲が見えなかった筈のあいつが、今は薬袋家の当主だなんて。山の分かれ道で会った、あの蟲師達は何を噂していた? 反感だらけの嫌な響きで、会話していたあの内容は。

 薬袋家には、昔っから怪しげな…。

 なんだよ、分かんねぇことだらけだ。知りたいことばっかなのに、全部分かんねぇ。

 はあ、と、長く雄弁な溜息をついて、イサザは高い木から飛び降りた。枝々に幾度か掴まり勢いを殺しながら、無事に地面に足を下ろすと、今度は長がいた方向へと茂みを突っ切って行く。姿が見えて、躊躇いなくその前へと出た。

 世話を掛けたことを一言詫びて、それから彼は聞いたのだ。

「長。…俺、薬袋家の事が、知りたい」

 皺深い顔に埋もれたような目が、暫し淡々とイサザを見て、それから彼はその場に坐して、周囲へとゆっくり視線を流した。その眼差しひとつで分かったように、傍にいた仲間から順に足を止め、思い思いの様子で身を休める。長は身振りでイサザにも座るよう促し、それからこう言った。

「…よかろう。お前が、このワタリの次の長だからの。継ぐまでそうは間もない」

 言われて、ぎくりとイサザの心臓が跳ねた。そんなのは初めて聞いた話だったが、心のどこかで知っていたような気もした。目の前にいるこの長が、ワタリの長を継いだのも、今のイサザと変わらぬ年だったと聞いたことがある。

 聞いた一瞬、我が身を押し流すような不安を感じたが、それと同時に抱いた想いの方が強かった。

 ワタリの仲間の皆が好きで、
 ワタリのすべきことを、
 これからも守っていきたいと願う心。

「うん、やる、俺。でもさ、なるべく長生きしてよ、長」

 まだまだ子供のような言い方に、長は皺深い顔で笑う。

「いつまで、この世にいられるかは、ワシ等が決めることではないからの」

 高い梢の上で、鳥が囀り鳴き交わす。きらきらと木漏れ日が降り撒かれ、風が葉を鳴らしながら、光をも揺らしている。湿った土の匂いの中に、何かの気配が幾重にも重なって、そのずっと、ずうっと下を、確かに流れるものがある。

 イサザはふと目を閉じた。瞼と、そのさらに下の瞼を、ほんの一呼吸、二呼吸の間だけ、ゆっくりと。金色の光が、遠く見えた。ごうごうと命の流れる音がした。そしてその遠い金色の中に、ぽつりと黒い人影。クマド…。そうだ、あんた、そういう名だった。

 ごうごうと、命の流れる音が、していた。
 
 







 クマド出てなーいっ。てゆか、なんだ、この話。変だぞ? 変じゃないですか? 赤い透き通った実。どっから出てきた。だってそれ、お嬢が好きそ…。いや、なんでもないんです。ちょ、引きずられたんじゃないか、私、kさんの言葉にっ。

 あーーーーーーー、どこいくか分からん話になってきちゃった。怖いよ。ガタブル! 変なこと言っててすみませんっ。


12/11/04






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