紅 天 蓋   クレナイ テンガイ   2








 噂が伝わってきたのは確かにここらの筈だ。ギンコはそう思い、近くに里はないかと暫し歩き回った。けれども、随分前に滅んでしまったらしい、里の跡がひとつあるきりで、人の気配は感じられない。

 仕方なく探す範囲を広げて、少しずつ井戸から遠ざかって歩いていけば、山を抜けてしまった後で、小さな村に行き当たった。その村へ入ってすぐのところに建っている、こじんまりした寺に念のために、と彼は入っていく。

 舞い落ちて枯れた紅葉の葉を、箒で集めている若い僧侶をつかまえて、ギンコはとりあえず聞いてみた。

「ここらで…、むししを探してる里、ですか」
「あぁ、蟲師ってのは…えーと…」
「…?」
「いや、とにかく、この唄を聞いた事もないだろうか」


 
   真黒な闇に 落ちている こんまいこまい モノの居た

   口から 見下ろし探さねど…



「そんな唄は初めてで…」

 そう言い掛けた言葉を聞いて、落胆しかかったギンコだったが、いつの間にか現れた老いた僧侶が代わりにこう言った。

「その山の奥の古井戸に伝わる唄ですな…。そのことなら、この寺にも前々から伝わっておる。すこし長い話になるから、よければこちらへきなされ、若いひと。それは悲しい、悲しい話でな」

 僧侶は皺深い顔を、そっと俯けてそう言った。 

 

 

* ** ***** ** *





 あなた あなた あなた
 今宵もこんなに美しく、紅葉が綺麗です。

 あぁ、本当にそうだね。
 蟲たちも、こんなに喜んで騒いでいる。

 座敷牢の円窓は高くて、紅葉はとてもよく見えるけれど、娘が中を覗き込むには、背伸びしてやっとのことだった。赤い鼻緒の草履の足で、毎晩毎晩、背伸びするから、娘の足の指は痛んでしまう。

 あなた あなた あなた
 そこから紅葉が見えますか。

 季節が少しずつ移り変わると、高い枝先の紅葉の葉は、次々枯れて落ちてしまい、今は低いところの葉が少し残っているだけだ。

 あなた あなた あなた
 見えているならどうかお返事を。
 どうか どうか お返事を。

 男は紅い色の蟲に憑かれ、その蟲は紅色に染まる紅葉の季節、月の出る夜しか目を覚まさない。蟲に憑かれて久しい男は、蟲が眠ると共に眠って、また同じこの季節まで、愛しい娘の問い掛けにも一言の返事も返さなくなる。

 あぁ、あなた… それでは今宵は帰ります。
 そうして貴方の目が覚める時まで、つまりは次の秋が訪れるまで、
 私も心を眠らせて、あなたの夢を見ています。



 娘は項垂れて、すぐ傍の母屋に戻る。家の中には自分しかおらず、ひいやりと冷えた佇まい。蟲に憑かれた愛しい男は、幼い頃から娘の許婚なのに、ある時から、紅い霧に包まれて見えるようになった彼を、里人みんなが厭うて、この館の牢へと入れてしまった。
 
 気味の悪い、蟲憑きが。

 と、蟲の見える里人達は言い、蟲の見えぬものも嫌がった。もともと二人はそれぞれに天涯孤独。それゆえ庇うものは互いしかおらず、里人のすることに従うより出来なかったのだ。

 里を追われなかっただけ、よかった。
 打ち殺されなかっただけ、幸せだ。
 そう思っていよう。
 牢屋越しでも、声は聞ける。

 そうして秋だけを数えるように、二人は紅い紅葉の季節にだけ逢瀬を重ねて生きていく。紅い蟲も共に、二人が結び合う心を知るように、ゆらゆらと牢の中を漂っていた。


 あなた あなた あなた
 今宵はとても美しい月です
 紅葉の葉の合間から見えはしませんか。

 あぁ、見えるよ。本当に美しい。
 蟲たちも判るのだろう、喜んでいるようだよ。
 綺麗な月だ。お前と見れて嬉しいよ。

 だけれど
 一つ心配ごとがあるのだよ。
 紅葉の葉の色が年々冴えない。
 もしや寿命じゃあるまいか。
 
 言われて娘は黙り込む。娘の立つ傍、紅葉の幹は、病にやられて腐ってきていた。それでも言った。そう言うしかなかった。牢から出られぬ男に、この上不安な想いなぞ、させてはいけないと思ったから。

 いいえ、きっとそれは、夏の日差しのせいでしょう。
 今年の夏は酷く寒くて、紅葉も少しばかり、
 戸惑ったに違いありません。


 そうして紅葉は、その後の冬に、雪の重みに堪えかねて折れてしまった。娘は別の紅葉を、ここえ植え替えてくれるよう里人に願ったが、その声を聞くものは一人もいなかった。


 次の秋が巡ってきた時、男が蟲と共に目覚め、牢の中から円窓の外を見ると、前の秋以上に、美しい紅色の紅葉がはっきりと見えた。

 あなた あなた あなた
 今年も美しい紅色に紅葉が染まりました。

 そうだね、お前。
 お前の言うとおりに心配なんかいらなかった。
 月も見える。欠けているが美しいよ。

 お前の顔も、少し見せておくれ。
 この高い円窓では、背伸びの足が辛いだろうけれど。

 言われて、娘は黙ってしまった。円窓の縁に手をかけて、精一杯に背伸びして、男に顔を見せることが、今はどうしても出来ない。娘の腕は、山奥から折り取って運んできた大きな紅葉の枝で塞がっていたから。

 動けば枝が不自然に揺れて、この紅葉が今までの紅葉と違うのだと、男に悟られてしまうから、娘は一歩も動けずに、恋しい相手と言葉を交わし、そのあと立ち去った振りをし、月明かりが消え、紅葉が見えなくなってもおかしくない闇になるまで、じっと動かずにいた。



















 最近そんなのばっかりですけど、先生が出てこないばかりか、ギンコまでちらっとしか出てなくてすみませんっっっ。なんだか難しい設定に半ば酔って書いていたら、こんな長く過去?のシーンを書き綴っていました。しかもまだ途中。

 うわぁぁぁ、皆様が飽きずに読んでくださいますようにっ。それだけを願うばかりです。それではドロンー! 逃げ足はや…っ!


10/01/11