かいなのぬくもり   6




 ギンコは薄闇の下で寝返りを打った。少しだけ離れた隣の布団に、化野が体を伸べている。少し読みたい本があるとかで、彼の枕元には小さな灯り。ギンコは視線を流して、化野の様子を眺めているが、さっきから、かなり長いこと紙の音一つしないし、彼の視線は本の一点を凝視したままなのだ。

「何の本だ?」
「え…っ…。あ、いや、い、医学書…じゃなくて、その…えーっと…」
「身が入ってないなら読むなよな。そんな暗い灯りで」
「あ、そ…そうだな。じゃあもう寝るよ」

 そう言って化野は灯りを消そうとする。ギンコは枕元に手を付いて身を起こし、そのまま素早く化野の手首を捕まえた。

「な、なな…っ、なんだ」
「どもりすぎだろ」

 ふう…とギンコのついた吐息が、化野の耳にも届く。自分の肌へ届いたわけでもないその息が、甘やかに感じられるのはきっと気のせいで、ギンコの声がいつもより甘えて聞こえるのも、勿論気の迷いからで。

「聞いていいか…?」
「何…っを?」

 辛うじてどもらずに聞き返すが、声は変に跳ね上がるようで、手首にあるギンコの肌の温度ひとつで、化野はくらくらと眩暈に襲われる。うつ伏せで、腕を捕まえられたまま、化野は身じろぎも出来ずに凍り付いていて、ギンコはもう少しだけ彼の傍に身を寄せた。

「何って。判らないか? 今朝のこと…。俺は、嬉しかった、から、な…?」
「ほ、ほんとか…?!」

 ギンコもさすがに言葉が変に引っかかって、すんなりと気持ちを告げられない。嬉しかったと、そう告げたけれど、自分もなのだとは言い出せず、彼にとってはそれよりもずっと言い易いことを伝えようとする。だから、その為に化野の望みを、早く言葉にして欲しかった。

「嘘言ってどうすんだ。だから…あの時、今度にしとくって言ってたこと」
「あ…っ、それは…ま、また今度で…」
「今、聞きたいな」
「…ギ、ギンコ」

 ここまで言っても言わないのか、とギンコは随分と焦れた。一度化野の手を離し、布団の上にすっかり身を起こすと、化野に見えるように、わざと着物の襟を緩めた。元々着慣れていなくて、既に寝乱れている着物が、こんな時には都合がいい。

 さすがに化野も判ったろう。欲しいのは、お前だけじゃなく俺もなのだと、きっとこれで気付いた筈だ。さぁ、欲しいと言え。いっそ押し倒せ、と視線をやれば、化野は息の止まったような顔をして、視線だけを必死でギンコから外しているのだ。そうしてやっと、確信に近付くことを言う。

「も、もしかして…俺の願いが判ってる、のか?」
「…多分」
「いや、それはないだろう。だって、俺はお前を…だ…」
「抱きたいんだろう」
「…う」

 見れば化野は布団の上で、妙な恰好に這っていて、今にも逃げ出しそうな顔をしている。ギンコにとっては化野のその焦りが不思議で、好きだと気持ちを告げながら、そこを隠す気持ちがさっぱり判らないのだ。ギンコの見ている前で、化野はごくりと息を飲み、這い蹲った恰好のままで、今朝の言葉をもう一度言った。

「俺は、お前を好きだ。…が、別に…押し付ける気持ちはなくてな。だから、その」
「抱きたいなら抱けばいいだろ」
「…嫌じゃないのか? お、男に…」

 あんまりにもあっさり告げられたので、化野はまじまじとギンコを見た。ギンコの頬はうっすら染まっていて、それは「好きだ」と言われたせいなのだが、それなのに「抱く」の「抱かない」のと、淡々と言う。化野はぐるぐると混乱する心地でいたが、その混乱をさらに掻き混ぜるようにギンコは呟いた。

「別に、珍しくねぇし。いいぞ」
「へ、平然と言うなよ。まるで慣れてるみたいに…。あ、そ…そう、なのか?」
「…ああ、まぁ、金が底をついてるときに言い寄られりゃな。飢え死にはごめんだから」
「別に、特別なことじゃないと…?」

 化野は、唐突に空虚な顔をした。ぼんやりとギンコを見て、それから目を逸らし、哀しげな顔になる。

 ギンコは夜目の利く碧の目で、はっきりとそれに気付き、ついで自分の失敗にも気付いてしまった。化野の望んでいるのは、これじゃないのだと、今やっとギンコも判ったのだ。そうして勿論、自分がずっと欲しかったのも、化野の望みと同じなのだと。

 ついさっきまでとは正反対に、ギンコは口を開きかけ、それをまた閉じ、もう一度開いて唇を湿し、死にそうに胸をどきつかせながらやっと言った。

「悪ぃ…。言い方を…間違えた。抱けばいいだろ…じゃなくて。その…だ…」

 だいて くれ

 声が出ない。唇は辛うじてその形に動いてくれた。同じ言葉でも、こんなに違うのだとやっと判り、ギンコは胸を突き破りそうな鼓動と必死で戦う羽目になる。

 こんなことなら言葉よりも、態度で誘う方が余程楽で、ギンコは着物を肩から落とした。化野へ視線を向けられず、暫し相手の反応を待ち、待っても何もないので、そろりと首を動かし、流した目で化野を見る。

 化野は布団の上で未だに這い蹲ったまんま、それでも熱に浮かされたように顔をして、じっとギンコの体を見つめていた。早い息が聞こえるが、それがどちらのものなのか、二人とも分かっていないに違いない。やっと身を起こして、化野は言った。

「…お前を抱きたい」
「うん」
「抱いていいのか…?」
「いい」
「な、慣れてるからとか、そういうんじゃなくて…?」
「…少しは慣れてるが、今日のは、違う」

 抱いて欲しいのだ、化野に。

 衣食住の為とかなんとか、そんな事ではなくて、純粋に、求められたい。服になど邪魔されず、肌を重ねたい。もっと近く、耳元で、もっと体を寄せて胸に直接注ぐように『好きだ』と言ってくれ。

 一度や二度言われたくらいじゃ、また離れ離れで過ごす間に、夢か幻だったのだろうと、そう思えてしまいそうで哀しい。

「じゃあ、抱くぞ…?」
「あぁ…」

 なんでこんな遠回りなのかと、ギンコはさらに焦れている。いっそこちらから押し倒したいくらいだが、そんなことをしたら、この男は逃げてしまいそうだ。こんなにも頼りない相手に抱かれるのかと思って、ギンコは少し笑いそうになった。

 でもそんな男を、こんなにも好きな自分なのだ。化野はまた、触っていいか、などと聞く。口を吸いたい、などとも言ってきて、しまいには、ギンコの腰に纏わり付いている布を摘み、この着物が邪魔だなぁ、とか。

 触るのも口付けも好きにしていい、裸にされるのだって嫌じゃない。さっさと襲い掛かって、押し倒して唇を奪い、破くような勢いで着物でも何でも剥ぎ取りゃいい。

 肩に触るのもびくびくしていて、口吸いなんぞ、鳥が何かを啄ばむようにほんの一瞬だった。何に戸惑っているのか、着物を剥ぐのは変にゆっくりで、やっと裸にされた頃には、ギンコはもう泣きそうなくらい化野が欲しくなっていた。

「い、いい加減に…っ」

 つい言うと、驚いたように化野は跳ね起きて、触れていた場所全部から手を離してしまう。

「あ…っ、やっぱり嫌か…? やめるか?」
「この、馬鹿…ッ。焦らすなっ。早く、抱いてくれ…っ!」

 跳ね起きて身を離したせいで、化野の目の前に、ギンコの裸体がはっきりと見えた。薄闇に浮かび上がるような白い肌と髪、透ける翡翠のような瞳、気付けば眉も睫毛も白くて、その上、今まで見たこともなかったその場所の…。

「…うわ…。ギンコ、お前の…こんなとこまで、白い…んだな」

 それまでの遠慮は何処へやら、化野は真っ直ぐにそこを凝視し、さらに顔を寄せてまじまじと眺めるのだ。ギンコはいきなり羞恥を感じ、体を捩って隠そうとするが、両腿に手を掛けられて封じられてしまった。震えながら、ギンコが言う。

「あ、当たり前だろうっ。ここだけ違う色だったら、かえって変だと思わないのか、お前っ」
「そうだが。考えたこともなかったんで。…凄く柔らかそうだ…」
「…くぅ…ぁぁ…」

 あんまりいきなり触られたので、ギンコは上擦った声で喘いでしまった。化野は人差し指の腹で、そろりそろりとそこを撫で続け、その触れ方は、性的なものではなく、何か愛しいものを可愛がるかのような、そんな優しさがあった。

「あぁ…あだ…しの…」
「…嫌なら言ってくれ、すぐ止めるから、な?」

 やっと抱いてくれるかと思ったのに、始まった愛撫がこんなで、ギンコは本気で泣きたくなる。こんなことではいつになったら、彼の望んでいる性の行為となるのだろうか。気が遠くなりそうに思いながら、ギンコはそれでも、自分に触れる化野の腕に、そっと手を触れるのだった。













 ラストはいつだろう? 誰に聞いてるんだ私〜っっっ。焦れるセックスってのは、当人たちも焦れますが、書いてる私も焦れるのです。もしや読んでる貴方も焦れていますか? すみません。堪えてください。ギンコも泣きそうになりつつ堪えています。先生は楽しそうですよね!

 エチはここで終了なので、きっときっときっと、ラストは次だろう。後日談だの次回となったらゴメン。勘弁して! ではオヤスミナサイ。ばったり。


08/04/28