かいなのぬくもり   4





「……驚いた。…いや、でも良かった。お前のお陰だな、ギンコ」

 遠目にだが彼女の腕が治ったのは見たし、やはり邪魔は出来んようだ、と化野はギンコの手を引いて、家への坂道を歩いている。ギンコはどうしていいのか判らないような顔をして、化野について坂道を登った。

「なぁ、お前のお陰だぞ」
「え、あ…あぁ、いや、仕事、だからな…」
「そうだけどな、ええと…その…」

 何か言い掛ける化野。それでも言葉は途切れて、二人の歩く音と、視界に見えている海の、遠いさざめきだけが聞こえる。黙っているのが辛くて、ギンコは思いついた事を言った。

「あの、赤い布の…」
「あぁ、あれな…俺は一昨日ちょっと聞いたんだが。いつも持ち歩いていては、時々小さな赤の布を継ぎ足し、継ぎ足ししてたんだと。さっき小さな女の子がいたろう?」
「いたな」

 化野は立ち止まって、ギンコの方を見て、それから視線を少し逸らすと、青い青い海を眺めて言葉を続ける。

「蟲を寄せちまう彼女は、夫や娘の傍にいられずに、ほんの時々会うだけで。娘の育つ姿も見れないし、生んだ時から今まで、両の腕で抱き締めてやることも、ましてや抱き上げることも出来ずに、辛かったろうな…」
「…あの蟲は、傍の誰かに移るものじゃない」
「そうか。けどなぁ、万が一にも可愛い娘が自分と同じ不具なったらと、とても傍にはいられなかったんだろう」

 静かに笑う化野の顔の、なんと優しいことだろう。ギンコは視線を離せずに、それでもただの友の顔をしていられるように、何とか唇に笑みを浮かべる。

「だから、ああして…布を継ぎ足して、中に布を詰めてなぁ。娘は今、このくらい育っただろうと言いながら、一昨日のあの時、それを抱いて泣くカイナの顔を見て、恥ずかしいと俺は心底思ったよ」

 それから化野は頼まれて、彼女が夫へ書いた文を持ち、すぐにも旅へ発つものを、探し回ったのだという。彼女の夫や娘は、いつも幾つか先の里にいるから。

 そうか、だから、あの時中々戻らなかったのか。あの赤い布は、そういう意味か、とギンコもやっと腑に落ちる。だから、って何がだろう。どうして化野か恥ずかしい? 

「ギンコ」
「あ、なんだ」
「好きだぞ」

 あんまり唐突過ぎて、ギンコは何を言われたのか、随分と間を開けてから気が付いた。

「え…」
「誰よりもだ」

 足元が、いきなり無くなりでもしたかと思った。目がよく見えなくなったのかと。耳がちゃんと聞こえなくなったかと。口もきけない。首も動かない。

 ただギンコは化野の姿だけを見て、声を聞いて、何も言えずに、少し後ろへよろめいた。化野、という存在以外が、自分の中から消えてなくなったような、そんな気がするほどだった。彼の存在をしか意識できない。

「すまん。いきなり過ぎた。でも本気だからな」

 化野は強引にギンコの手を引っ張って、道の脇の切り株に彼を座らせ、その隣の大きな石に自分が座り、少し頬を染め、けれども変に真剣な顔で言った。

「俺はな、カイナに蟲が見えると判って、だからこの里にいてくれないかと思ったんだぞ。そうなれば彼女からお前の見てるものの話を聞いて、俺も少しはお前と近くなれるかと。それに…どうしても治って欲しかったのは、彼女の痛みが…お前の痛みと似てると思ったから、見ていて俺が辛かった」

 はは、と力なく笑って、それから化野はぽつりと言う。

「卑しいもんだろ。自分のことばっかりだ。でもなぁ、今までずっと我慢していて静かに笑ってたカイナが、あんなふうに大声で喚いて、夫に気持ちをぶつけてさ、泣きながら子供を抱いてるのを見たら、それが正しいんだ、って、そう思ってな」

 だからな、と化野は言葉を切り、言葉にしない心の奥で、それまでの自分を振り返っていた。

 ギンコとはただの友達のふりをして、彼が去った後はいつも、隠れて歯を食い縛ってた。言うのが怖かっただけの癖に、こうして普通に接するしか選ぶ道はないと諦めたふり。そうしていつまで、逃げているつもりだったのか。

 化野は真顔でまたギンコを見て、

「俺は、おま…」
「わ、判った…っ、それはさっき聞いたから、もう…いい」

 聞きようによっては、拒絶ともとれるその言葉を、それでも化野は笑って受け止め、まだ掴んだままだったギンコの手首をやっと離した。

「別に、何も望んじゃいないぞ。嫌でなければまた俺んとこへ寄ってくれ。珍しいものの話が聞けりゃ…。それからお前の元気な顔が見れりゃ、俺はいいんだ。想いもちゃんと告げたしな。さ、戻るぞ。朝飯、どうするかなぁ」

 能天気に言って化野は歩き出すのだが、ギンコはそれに続かない。切り株に腰を下ろした恰好で、呆けた顔して化野を見ていた。

「なんだ、どうした。あっ、具合が悪いか。どら、負ぶってやる」
「ちが…。ただ、足が。足に力が入らない」

 目の前で背中を向けて屈まれて、ギンコは化野の、紺色の着物の背を見ている。

「カ、カイナが好きなんだと、思ってた」
「違うぞ、そう言っただろう」
「だっ…て、俺を好いたりする理由が無い」

「好きに理由なんかあるか。気付いたら好きになってて、それからもう気持ちは大きくなるばっかりだ。最初は会えればよかったのに、今はなるべく長くいて欲しくて、四六時中声が聞きたくて、お前の蟲煙草の匂いにまで中毒なんだぞ。それに…お前の寝顔なんか見せられるとなぁ。どうにもこうにも、その…なんだ。いや、これは今度にしとく」

 まくし立てていたものを、いきなり口を引き結んで黙って、化野は強引にギンコを負ぶった。触れた肌の温かさが、どうしてか家に着くまでのほんの数分で、熱いほどにまで高まっている。

 まさか、とは思いつつも、次に聞かされるかもしれない告白を、ギンコは少し想像した。そうしたら心臓が破れそうに鳴り出して、化野は本気でギンコを心配する。

 少し前に抜け出したばかりの布団へ戻されて、子供がそうされるように、喉元まで掛布団を掛けられて、ギンコはそのままそれを引き上げ、顔を隠して寝返り打った。

『好きだぞ』
『誰よりもだ』

 勘弁してくれ。

 ギンコは染みるような胸の痛みに、言葉に出さず呟ている。奈落に落ちたと思ったら、いきなり凄い勢いで引き上げられ、他に比べるものの無い、高いところへ座らされた気分だ。

 好きだ、だと、
 俺だってだ。
 自分だけだと思うなよ。

 きっといつまでも言えない、そんな拙い告白を、ギンコは大事に胸へとしまい込む。別に病気とかじゃないと判るだろうに、化野はどうやら粥など作り初めているらしい。

 温かな匂いが、布団にもぐったギンコの鼻にまで仄かに届いているのだった。


                                     続











 すいません。またお詫びです。ひゃあー。エチどころかっ、チューもしてねぇっ。「かいなのぬくもり」。タイトルと合っているのは、オリキャラの名前だけだという体たらくぅ〜。抱き締めるくらいしろ、このヘタレ医者ぁっ。

 はぁふぅ、これはもうっ、この続きをそのうちに書いてやるぅ、という気持ちです。こんなこと言うから、いつまでも予定が減らずに増えるのさ、わかっているさと自分を笑い。にゃははははは。ちょっと寝不足もあって、まだコワレている惑い星です。

 ということで、一応のラストです。リク主の音無さま、本当に大変お待たせしましたうえ、こんなもんですみません。どうか少しでも気に入る場所を見つけて可愛がってやってくださいな。そのうち続きを書きそうですし。笑

 そうそう、先生がお粥を作り出してしまったのは、照れ隠し&ギンコに何かしてやりたい病です。そんな先生なのです。
 

2008/4/14