かいなのぬくもり 3
「……これを、こう…腕に巻いて、二日」
淡々と、酷く淡々とギンコはそう言った。治療することを承諾させる為に、化野が彼女に告げた言葉の数々が、ギンコの心をずたずたにしていた。
諦めては駄目だ。
俺はあんたには幸せになって欲しいんだよ。
そしてこの里に、居て欲しい。
そんな言葉達はもう、気持ちを告げているようなものだ。カイナがどんな顔をして聞いているのか、ギンコは一度も見なかった。もうこれ以上暗い奈落へと、自分を突き落とさなくともいいだろう、と、歪んだ笑いをしてしまう。
始められた治療では、着物を崩し肌を曝してもらわねばならず、化野は慌てて背中を向けて、草履を履き損じながら外へと出て行く。ギンコは彼女の肌の美しさに哀しげな目を向けながら、何かを言いかけ、言わずに唇を閉じて、ただ治療のことだけを言った。
「二日たった朝には治ってる筈だ。蟲がそこから追い出されるのに、抵抗するだろうから、明日の晩は…ちぃと痛むよ」
「えぇ…はい…」
守りにでもするように、カイナは傍らの赤い袋を自分の傍へと引き寄せた。優しい綺麗な左手の指で、ゆっくりと撫でる布地は、今朝も彼女が縫い合わせていたものだった。
「治ると、いいな」
ギンコはそう言った。辛い顔を隠しながら、声の震えを必死に押さえ。
そうしてあんたはこの里で、俺の欲しかったものをみんな手に入れて、化野の横で笑って暮すんだろう。治るといいな? よくもそんな心にも無いことを、言えたものだよ。
「あ、その…済んだか? ギンコ」
「…あぁ」
視線を横に逸らしながら、化野が部屋へと戻ってきた。木箱を背負って、ギンコは擦れ違いに外へ出て行く。それを追いかける化野の背に、弱々しくカイナの声が掛けられた。
「…先生……」
「え? あぁ、カイナ…ギンコは腕は確かだから、安心してるといい」
「はい…。あの…」
「先に戻ってる」
口篭るカイナの声の心細げな様子。ギンコは何かを察し、足早にそこを離れた。化野の家へと道を進んでも進んでも、追い掛けてくる足音は聞こえない。いつも彼と並んで腰掛けた縁側に、ギンコは座って海を見ている。煌々と輝く海の風景までもが、ただ辛くて…辛くて。
やがて走って戻ってきた化野は、息を弾ませ、頬を紅潮させながらも、少し嬉しげな顔、そうして少し、落胆した顔。
「…いかんな」
と化野はギンコの隣で言った。
「その…医家としても、一人の人間としても、まだまだだ、俺は」
「…そんなことも、ないだろう」
「いや、あるよ。お前には…言えんが」
「調べものをする。奥の部屋、ちょっと借りるよ」
惚気など、聞かされたくもない。逃げる為にギンコはそう言った。化野はきっと、カイナの治療に関しての調べものかと思っただろう。たん、と音を立てて障子はしまり、薄暗い部屋にギンコは一人になった。項垂れて、ずっと一人だと、彼はそう思っていた。慣れなければと、そう思った。
*** *** ***
「ギンコ、起きろ。カイナが」
いつまでも布団の中で身を縮めていたギンコは、とっくに覚めていた耳に化野の声を聞いた。昨日は化野はずっと帰ってこなかった。最後の夜は腕が痛むのだと聞き、化野は昨夜からずっとカイナのところに。
起き上がり顔を上げて、ギンコが化野を見ると、朝日を背にして彼の顔は緊張していた。
「痛がらなくなったと思ったら、すとんと意識がなくなった。大丈夫なのか?」
「一晩苦しんでいたんだろう。痛みが消えてほっとして気を失っただけだ」
「そ、そうか…ならい…」
その時、すぐそぱの山道から、黒い影が飛び出してきた。背中に大きな荷物、腕にも何か赤いものを抱えて、そうして二人の前を飛ぶように過ぎ、かいなの家の方へと走って行く。
誰だ? ギンコは思ったが、化野はそれを見て微笑み、こう言った。
「邪魔をせん方がいいかもしれんが。ま、行こうか」
立ち上がる化野の顔を、ぼんやりとギンコは見上げる。疲れているんだろう、と心配そうに言って、化野は気遣うようにギンコの腕を引いて立たせた。急ぎ足に行けば、聞いた事のない女の泣き声が聞こえた。喉も裂けんばかりの叫び声。いや、泣き声だ。
知らない声でも、それはカイナの声だった。
「…!? カ、カイナ…?」
化野は顔色を変えて走り出す。ギンコもその後を追い、そうして二人は道端で、抱き合って座り込んでいる二つ、いいや三つの姿を見たのだ。
「カイナ…あぁ…ッ、カイナ…っ」
男がカイナの名を呼ぶ。カイナの声は言葉にならず、彼女は寝間の着物を襟を開いて、右腕だけでなく胸までも曝したあられもない恰好だった。
「…治ったんだな、今度こそ、治ったんだなカイナ…。う、うぅ…」
「えぇ、えぇ、あなた…ぁっ」
震える声が、立ち尽くしたギンコと化野にも聞こえる。
「あなた…見て。見て下さいもっと。あの忌まわしい蟲は死んだの。やっと私から出ていった…ッ。やっと…私、逃げられたんだわ」
カイナの声からは、蟲へと向ける怒りが隠されずに零れ出ていた。美しい顔を歪めて、今はもう、ただ白く綺麗な右腕を、日の光に翳し男の首を掻き抱いて泣き声を上げる。
穏やかに静かに、恨み言の一つも言わず、昨日までいつも笑っていた同じ女とは思えないほどの、その激しさ。怒りと哀しみ。そうして喜び。
「…お出で、さぁ、抱かせて…。やっと…お前をこうして抱き締められるのよ」
彼女があの赤い布を、抱き締めたのかとギンコは思った。でもそれはまだ小さな少女だった。多分、夜通し山道を走り通した父親の腕で、その子も眠れずにいたのだろう。
寝ぼけた目をしてぼんやりとカイナを見上げ、可愛らしい顔で少女は言ったのだ。
「おかあ…さん」
続
ちょっと今回、短いです。キリのいいところで切って三話目とさせてもらっちゃった。今回の話はどうでした? 大体予想してた方もいたりして? さぁさぁ、次回こそラストー。エチ入れられるかな。せめてチュー。
朝から書いてアップする私でした。さぁ、出勤用意せんと!
08/04/12