りーん、りーん、りーん、と音が聞こえていた。涼しげな音は季節を示す虫か、それとも違うモノなのだろうか。ぼんやりとそれを思う。


 紅い、紅い糸のような。燃えるようなその色は人の血を連想させた。己の中に流れているはずの紅い、紅い血。光沢を持って美しく輝き、さりげなくどこかに咲いていながらも凛とした印象を与える。


 目の前に見える美しいその花は、群れを成すように周りを囲んでいた。背丈の違う花々とともに、自分が放り出した腕が見えて。次第に力が抜けて色を失っていくそれを、他人事のように凝視した。


山も、空も、風も、海も。
何もかもが、冷たい季節になっていく。一度伸ばした手を戻し、触れかけたその花を体を横たえながら見る、凍えるなら、手放すなら今でもいいと。


 紅い花、枯れ落ちて地に舞うそれらに囲まれて、そっと目を閉じる。
色をつけた枯葉に埋もれ、紅い花たちに囲まれるそれはまるで、死への手向けのようだ。



 音は止み、五感も遠のいていく。最後に考えたのは子どものころから思っていた言葉。

───── もともとはこんなもの惜しくはないと、
                         それだけ思って。










 背の高い草の中に、ひとつ、ふたつ、唐突に炎が燃え上がるのを見たのかと思った。それが炎ではなくて花なのだと判っても、ギンコはそこから視線を離さずに歩を進める。

 真っ赤な花。それがひょこひょこと草の上を動きながら、だんだんとこちらに近付いてくる。ギンコは無意識に少し後ずさって、その赤い色を見つめていた。

「こぉら、お前ら、その花どっから取ってきたんだ。可哀想だろ、そんなことしちゃ」

 いきなり声が後ろから聞こえて、ギンコは飛び上がりそうになってしまう。目の前の草の中から、小さな子供が二人飛び出してきて、手に手に持った彼岸花を、得意そうに揺らして見せる。

「花が、かわいそぉ?」
「そうだぞ。花だってちゃんと生きてる。もっと生きたかったろうに、折り取ってこられちゃかわいそうだ」

「あ、化野」

 振り向いたギンコの目が、藍色の着物の医家を見る。秋風に袂やら髪やら揺らしながら、化野と呼ばれたその男は、に、と笑って手を伸ばしてきた。ギンコの片方の二の腕を、彼は軽く、ぽん、と叩いて、それからゆっくり笑みを深める。

「よく来たな。随分と久しぶりじゃないか。春以来ってとこだろう」
「かな。まぁ、忙しかったんだよ。たまたま、ここらを通らなかったしな」
「…そうか」

 子供らは、化野のたしなめた言葉など忘れたように、一本ずつ手にした花を刀にでも見立てたふうに、二人して交互に振りかざし、打ち合わせたりして遊んでいる。

 無邪気な声で楽しげに、子供がそうやって遊べば遊ぶほど、花は、はらはらと血の雫のように花弁を散らし、終いには二つの花のうち一方が、茎の中ほどからポキリ、と折れてしまった。

「あはは、おれの勝ちぃっ」
「違うもんっ、まだ負けてないもんっ」

 丈の短い着物の裾を揺らしながら、子供は駆けていってしまった。化野とギンコの立つ足元に、赤い赤い花が二本、無造作に打ち捨てられている。

「…どうした、疲れてるのか?」

 化野はそう言ってギンコを気遣いながら、足元の花を拾い上げる。葉の一枚もない長い茎は折り取って、短い茎の残った花だけを二輪、片手で持って歩き出す。ギンコは化野の隣に並んで歩きながら、一度だけそっと花へ手を伸ばした。

 花弁に触れると、花びらが一枚ほろりと落ちて、捩じれた赤い糸のように、砂混じりの土の上に落ちる。

「少しは…」
「ん?」
「少しは疲れてるけどな。けど…」
「けど? 旅の話をするくらいできる、か?」

 化野は少しギンコから視線を離してそう言った。指先の小細工で、化野の胸の前に掲げもたれた彼岸花が、くるくると綺麗に回った。

 風呂を貰う。飯を喰う。それから酒を飲みながら、旅の話を少しして、そのあと化野が敷いた二組の布団で、隣り合って横になりつつ、さらに蟲のことなど聞かせ…。そうしていつも、化野の方からギンコへと、黙って身を寄せてくるのだ。

 きっと、今夜も、そう。

 くるくる、彼岸花の赤が回っていて、少し眩暈がした。思い出していることがあって、そのせいだと、ギンコは思っていた。



* ** ***** ** *



 寝返りを打つと、畳の下の床板が、きし、と微かな音を立てた。よく手入れされてはいるものの、この家もそれなりに古いのだということが、こんな時には判る。それでもいつも、気になどしていなかったのに、それが今日は妙に耳に残る。

「ギンコ…。どうした、今日はあんまり話をしてくれないんだな。そんなに疲れてるのか?」
「…いや、でもないんだ」

 ふう、と短く息をついて、化野は小さな寝返りを打ち、仰向けでいるギンコの方へと体を向けた。

「疲れてるのを、自分で気付けないこともある。そういう時は、ちゃんと休んだ方がいいんだぞ。もう灯りを消そうか」
「いや…。いや、違う。別に大丈夫だ、本当に」
「…そうか…?」

 優しい声音が、なおも静かに問う風情を滲ませる。ギンコは天井を向いたまま目を閉じて、声に出さずに化野の名前を呟いた。息遣いだけで放たれた呼び声が、化野の耳へと届く。

 こうして年に数回、ほんの時々会いに来て、風呂に飯に酒、そして温かな寝床。語られる蟲の話を嬉しそうに聞いてくれ、それから…。あぁ、それから…。
 化野に何かを告げられたわけじゃあないし、特別な仲なんだと思った覚えもない。恋人? そんなのは、別の世の話だけど、ギンコはいつも、いつも嫌がってなんかいなかった。

 いいのか…。などとは問わずに、化野はそっとギンコの被っている布団の上から、彼の胸を撫でた。そのまま手が上へと滑り、微かに髪に触れる。ギンコは黙ってもそり、と動き、自分の首のあたりから、片手の指先を外へと出した。その指に化野が触れて、ゆっくり布団を捲ってくる。

 あぁ、そう…。いつもの「始まり」だ。年がら年中旅暮らし、雨だろうと雪だろうと吹雪だろうと足を止められず、旅を進み続けている自分への、これは褒美だ、と、そう思う。

「ギンコ」
「…うん……」

 名を呼ばれて小さく頷く。その所作の意味を、きっと化野は知らない。ギンコはその頷く仕草に、その時小さく、うん、と言う短い声に、沢山気持ちを込めている。


 嬉しい…

 お前が俺を どう思っているか知らない

 知らなくていい だけれど出来るなら

 年に 何度かでいいから

 こうして求めて もらえたら

 あぁ 俺はお前を…


 布団を退けて、ギンコに着させた着物の帯を解き、襟を広げて、化野は少し乾いた手のひらで、さらさらと彼の胸を撫でる。胸の骨を指先で数えられるくらいに、痩せたギンコの体の形を、覚えようとしているかのようだ。

 指先を立てて、脇腹をするりとなぞられると、途端にびくり、と身をすくませて、ギンコは両手の五指で畳を掻いた。

「…ぁ…っ」
「こそばゆいか…? 少し、我慢しててくれ。で、こういう時は俺に縋れと、そう言っただろう、な」
「…ぁあ…、ぁ」

 少し、躊躇した。前にも言われて戸惑ったのを覚えてる。でも結局縋った。揺さぶられて、心も体も、どこかへ飛ばされそうだと思ったから。だから今日は、なけなしの勇気を振り絞った。絞って辛うじて雫みたいに結ばれた勇気の、全部を使った化野の方へ両腕を伸ばした。

 化野はそんなギンコを見て、酷く嬉しそうに微笑んで、縋り易いように、ずっと体を低くした。背中に回されたギンコの腕のぬくもりに、酷く素直に彼は言う。

「嬉しいなぁ…。いつもは素っ気無いけど、お前、少しは俺を好いてくれてんのか、ギンコ」

 耳元で名前をまた囁かれる。そのまま感じる場所をまさぐられ、少しばかり急いた仕草で撫で回されて、あっと言う間に上り詰めた。喉を反らして喘ぎながら、自然とギンコは脚を開いている。

 化野は自分の指に唾液を絡めて、そのぬめる指先でギンコの後ろを探った。尚更脚を広げ、腰を持ち上げているギンコの、その脳裏に…。

 そのとき、ぱっ…と、何か赤いものが散ったのだ。

「あ…ぁ…ッ!」
「…! ど、どうした…?」

 いきなり胸を押し放されて、化野はまずギンコを気遣った。嫌だったのか、それともどこか痛いのか、具合が悪いのかと心配する。ギンコは化野が退いた布団の上で、一糸まとわぬ裸身のまま、目を見開いて宙を見据え、それからうつ伏せになって呻いた。

「赤…。赤い…」
「あ、赤? なんだ、なんのことだ?」

 訳も判らず聞き返しながら、それでも化野には一つ、思い当たることがあった。彼の視線が、蝋燭の小さな火に照らされた部屋の中を動く。そうして床の間の端で、深皿の水の上に放された、赤い二輪の花を見た。

「彼岸花…か…? あの花が嫌なのか?」

 疑い半分にそう問えば、確かにギンコは激しく頷いている。化野は着物の前を開いたままの格好で、皿の上の赤い花を、乱暴に掴んで部屋を出た。そのまま縁側への障子を開け、雨戸を開け放って庭へと降りる。垣根の向こうのなるべく遠くへと、その花二輪を投げておいて、彼は急いでギンコの傍へと戻った。

「捨ててきた。もう花は無いぞ。大丈夫か? ギンコ」
「は、花…。俺は今、何を…言ったんだ?」
「……わからん。ただ、赤い…と。花とは関係なかったか…?」

 ギンコはぶるり、と大きく震えて、きつく一度目を閉じる。意識してゆっくりと息を吸って、吐いて、しばらくして彼はおずおずと化野の顔を覗き込んだ。

「途中、だったのに、すまん。続きは…」
「…いや、何言ってんだ、お前。やっぱり疲れてるんだろう。眠った方がいい」
「そうか。そう…だな。じゃあ、また明日でも」

 くるり、と寝返りを打ち布団を被って、ギンコは化野に背中を向けた。化野は酷く面食らってはいたが、このまま行為の続きを始める気にもなれなくて、灯りを消してから、ギンコの髪の上に口付けをした。

 その優しい口付けの瞬間にも、ギンコの脳裏では、真っ赤な血の飛沫のような、捻れた花びらが零れて散っているのだった。

















 時期はずれも甚だしい…のですが、それは気にしない方向でお願いします。目ざとい方は気付いたかもしれないですが、このノベル、冒頭部分はJINさまに書いていただいています! うーわー、豪華絢爛! なんて素敵でプレッシャーなんでしょう。

 しかし幸せなので、いいのです!

 そして本当は、それだけじゃなくてもっと豪華絢爛なことが! 挿絵がね、挿絵があるんですよー。うふふふふふ。それをどうするかは、これから相談しにいこうかと。うひひひひひ。

 この話って、実は凄く時間かかって取り組んでまして、続きがどうなっていくのかは、それだけにかえってよく判らないという…、あ? いつものことだろって? えぇ、まぁ、そうですね! 頑張らせていただきます!

JINさま、そして絵描きの御方ー。ありがとうございますっ。


10/03/21





常世花檻  とこよ の はなおり 一