「こら、こら、待て」
猫の子のように呼び止められて、ギンコは不機嫌そうに振り向いた。いつもの上着に、いつもの服。秋の終わりごろと差ほど変わらないようななりで、ギンコは今回も訪ねてきたし、そうしてその同じ格好で、行ってしまおうとしている。
「…なんだよ、人を犬か猫みてぇに」
「いや。そんな格好で、駄目だろう。まだこの季節だ。風邪をひく」
「あのな、もうじきに三月だぞ」
ギンコの言葉は偽りではないが、化野は厚い綿入れを着て、襟の中に暖かそうな肩掛けをたくし込み、それでも寒そうに肩をすぼめて戸口まで出てきていた。
「三月……確かに…。でも、今はこんななんだから!」

「…まぁな」
咥えた煙草の先を、表情豊かに、ひょい、と上げながら、ギンコの視線があたりを眺める。
真っ白、だった。昨日まではこんなじゃなかったのに、一夜明けたらこの通りで、人々も驚くを通り越して呆れてしまっている。
ただのお天道様の気まぐれか、それとももっと別の何かなのか、まるで真冬の一日が、ぽっかりとどこかから落ちてきたようだった。こんな真っ白な姿を見せているこの里に来たのは、ギンコも初めてだ。いつも真冬を避けて、三月に近付いてから来ているというのに、これでは真冬に来たのと変わらない。
明け方過ぎに目を覚まして、気付いた時には本気であと一日二日、滞在を延ばそうかと迷ったほどだ。
だけれどギンコは思い直した。こんなだからこそ、早く化野の家から出て、これがなんらかの蟲の影響であるのかないのか、調べてみなくては、普通に旅に戻ろうにも戻れやしない。
「な、ギンコ、これ着てけ、これ」
もそもそと綿入れを脱いで、それを肩に掛けてくれ、自分はいかにも寒そうに震える化野に、ギンコは無愛想にそれを突っ返した。
「気持ちだけ貰うさ。それで寒さに弱くなっちゃ、命取りなんだよ」
本当に大丈夫だろうか、と、酷く心配そうにしている化野に、軽く、に、と笑って見せて、それから目だけ真顔になって言う。
「この雪の事だが…調べてみて、何かやばそうなら戻る。ただのお天道様の気まぐれなら、すぐにも普通に春がくるだろうから、そのまんま行く。せいぜい俺が戻らんよう祈っててくれ」
「馬鹿を言うな…ッ!」
「…っ」
それがあまりに、大きな声だったので、一瞬息をするのまで忘れた。化野は悲しそうな辛そうな、ややこしい顔をしてギンコへと手を伸ばしてくる。
「お前が戻らんよう祈る、だなんて、出来ると思うか、ギンコ」
伸ばされてきて、今にも髪に触れそうな化野の手を、ギンコは自分の手の甲で払った。一瞬触れた化野の手のひらと、ギンコの手の甲。それだけで体温が移って、そこばかりじゃなくてもっと深いところまであたたかくなる。
化野の優しさと温もり。そうして夕べ一晩、この雪や冷え込みにも気付かない程、ぴったりと肌を合わせていたこと…。
それらもろもろが、体の奥の奥、心の芯まで染み通っているのがわかって、ギンコは急いで背を向けた。いつもこの坂を下るとき、足早におりていくのはこのせいだ。
もう一日二日、もう一晩、あと一時。甘く絡みつく何かが、この家には満ちていて、いつも手ごわい、と思う。
「さあ、仕事だ、仕事」
蟲師なのだから、気持ちを切り替えて、やると決めた仕事はきちりとしたい。
「それにしても、なんなんだ、こりゃ。うぅ、さみぃ…」
はぁ、と煙草の煙とともに白い息が零れる。その息と煙の膜の向こう側の景色では、幼い子供らが雪景色の中で嬉しそうに走り回っていた。はしゃいで田に入るんじゃないよ、と、大人らは笑いながら嗜める。
和やかで優しい風景。様々に、様々に豊かな場所。人も自然も…。ここは化野の大切な里なのだ。
「仕事だ」
もう一度、ギンコは噛み締めるように言って、空気に蟲の気配が混じっていないかと、静かに神
経を研ぎ澄ませた。
続
この頃タイトル四文字シリーズ? でもこれが気に入ったんですもの。
冒頭終了ですーーーーーーーちょっと短いですけど。しかも、三月になる前の話を、四月に入ってから書くってのも…。
いえ、今回はそれよりもぉぉぉぉっ、ごらんになりましたか、皆様ー。またしても挿絵つきなのですよ。ごらんになりましたかぁぁぁぁぁぁっ♪ 影様、ありがとうございます。まだまったく大したことない内容ですが、先ほどあらすじ練りましたし、後はラストまで走るだけーーーーーーー。です。
とは言っても、やや長めの連載にしたいと思ってますよ。何しろ挿絵があと三枚! うふふーうふふー♪ 浮かれていてすみませんっ。うふー v
イラストが美しいので、少しでも近付こうと、頑張る惑い星をよろしくー。ではでは、お読みくださった方、ありがとうございますっ。
10/04/03
