響きの声 2
茅葺の鐘楼。その茅を雨に濡らし、軒からしとしとと雫を落とすその傍に、ぼんやりと項垂れ、びしょ濡れの髪で、びしょ濡れの着物で、跳ねた泥に草履の足指を汚した姿の…、それは、見紛うはずも無い化野の姿。
「あ、ぁ…ぁ」
化野はギンコが叫んだ途端、苦しそうに頭を両手で覆った。緩く辛そうに、首が横へ振られる。
「ど、どこか具合が悪いのか…?!」
そもそもここには、得体の知れない蟲が居る。どんな蟲か、害が有るか無いか、これからギンコが探して見極めるはずの蟲だ。
「う…、ギ…ギンコ…?」
「そうだ、俺だ。どうした化野、目が…見えないのか?」
近付いてそう訪ねれば、化野は嫌そうに後ずさり、ギンコの方を見ることも出来ずに項垂れている。か細い声が言う言葉を聞いて、やっとギンコには意味が判った。
「目、は見える…。だが、音が…音が、みんな、何十にも鳴り響いて聞こえて…。頭が、痛いんだ。ぅう…」
その激しい頭痛のせいで、目を開けるのも辛い、と。
「天千響…か…!?」
声をひそめてギンコは言う。ならばどんな音も、それこそ雨が葉に振る音とて辛い筈だ。一つの雫が水面に落ちて、幾つもの波紋を生むように、化野の耳の中には、一つで、十も二十もの音が響いている。
天千響は酷く見え辛い蟲だと、話には聞いた事があった。もともとが透明で、雨の雫と似通っている。
透き通って見えない糸に綴られるようにして、雨に紛れて地上に落ちてきて、普通は木々や土や、岩や屋根などに下りるだけの蟲だが、稀に生き物の上に降りてしまうと、自分ではそこから離れられない。
だから天千響は、その生き物の耳に悪さをする。聴覚に異常を及ぼさせ、それでなんとかその相手が、自分を自然の中へ帰してくれるよう仕向けるのだ。
「化野」
「う…。な、なんだ…」
「すまんな、話し掛けると辛いのは判ってるが、少し聞かせてくれ。でなきゃ対処が出来ん」
「……あぁ、わか…た…」
多分、化野は今、自分の声どころか、自分の出している鼓動や呼吸の音さえもが辛い。あたりに降り頻っている雨の音ですら、彼の耳を刺す針のようなものだろう。出来る限り、小さな声で、出来る限り、苦しめないよう、ギンコは聞いた。
「そうなった時、雨が…降っていたろう?」
「……っう…」
「…辛いか、すまん」
化野はギンコから遠い方の片耳を手で覆って、それでも懸命に返事をしようとしていた。痛みを与える声を聞き取り、意味を理解することも難しく、それへ返す自分の声もまた、恐らくは刃物。
「ふっ…てた。今より、弱く…。軒、下へ入ろうとして走って…いて、い、きなり…耳…、あ、ぅう…ッ」
「判った。だんだん、痛みは強く、なったか?」
「そ、うだ…。今も、だんだん…」
「…こっちへ」
ギンコは化野の腕を掴んで、鐘楼の軒の下へと入らせようとした。引き摺られるように、化野の足が水溜りを踏む。ギンコの足も同じように。水飛沫が飛んで、音がした。
「う、…っ、く、ぁあッ」
弾かれたように振り向き、ギンコは唇を噛んだ。それでもそのまま化野を導いて、雨の掛からない場所へと歩かせる。
「座れ。ここの方が、多分雨が掛からない分、きっと…」
雨が掛からなければ、きっとさらに蟲がつくことは無い。そしてこの場所の方が、木の葉に雫の落ちる音が遠いから。しばらく荒い息をついていたが、それでも化野は、さっきまでより安堵の顔でいた。石に座り、情け無さそうな顔で彼は涙ぐんでいる。
「どんな蟲かは、少しは判る…が、払い方が判ってないんだ。思いつくことを試すしかない」
ギンコは手を伸ばし、化野の前髪の先に触れた。零れてくる雫は、蟲ではない。滲んでいる涙にも触れてみたが、それもただの雫だった。蟲煙草の煙を浴びせてみるのも考えてはみたが、もしもそれで、何か悪い方向へいってしまったらと思うと、酷く怖い。
こんな気持ち、もしも自分自身がこの蟲に憑かれて苦しいだけなら、考えもしないだろうに。
続
今度は写真が一枚だけです。しかも書いているうちに、当初考えていた蟲の生態が変わってきました。おま…、葉っぱの蟲じゃなかったのかよ! せっかく決めた名前も変更だよ! 蟲ってやつは勝手ですね!
生態が変わったせいで、使う写真も変更だよぉ! 加工してあったのにぃ。そんなヘタヘタですが、まだ続きますっ。よろしくっっっ。
09/06/02

