銀花降る…  2





 ギンコは蔵の、埃にまみれた狭くて急な階段を上がる。目の前に先を歩く化野の足首が見える。その足首と踵を見ていてさえ、切なくなる自分が、笑えるほどだった。少し視線を上げると、一歩ごとに揺れる化野の背中。

 会いたい、会いたい、会いたいと、そんな想いを、旅している間は思い出さないように、ひと月、ふた月、み月、もっと。やっと会いにいくと決めて、その想いを解き放つのに、会う直前で、会えない…会ってもすぐに離れるしかないとなれば、辛くて。

「…何を見せたいってんだよ」

 平静を装おうとするだけの、震える声が聞いた。残りの数段を上がり、すぐ目の前の小さな格子窓に片手を掛けて、化野は言うのだ。笑う顔が、落日の逆光で、よくは見えない。

「うん、いや、別に…。あ、そうそう、花だよ、あの」

 別に…とか、それがここへと連れてくる口実なのだと、化野は言下にもう言っている。苦笑しながら隣へ立てば、それでも彼の言葉の通り、白い花が、窓の外の間近に、いくつもいくつも咲いていた。

 蔵の傍にあったのは、柏の木じゃあなかったか? よく見ればそれはやはり拍で、花はその枝にびっしりと巻きついている蔦草の花のようだった。見たことのない花だ。夕日に照らされ、ほんのりと赤く見えるが、五枚の花弁の素朴な花。

「結構、綺麗だろ、なぁ。いい匂いがするから、手ぇ伸ばして一枝引き寄せてみれば」
「別に、よくあるような花だろが」

 言いながら窓辺に立って、それでも言われる通りに格子から外へ手を伸べて、一番傍に見える花に手を触れて…。

「……ギンコ…」

 後ろから首筋を吸われて、ぞくりと肌を震わせる。背中に胸を重ねられ、ぬくもりが移って、それだけで吐く息に湿度が増えた。 

「…お、お前な。ばれてるぞ、もう」
「ばれてても、ついてきてくれたんだろう」
「……好きに思えよ。でもほんとに、何時間もとかは、駄目だからな」

 気の無い振りなどせずともよいものを、ギンコはまだ花に手を伸ばしている。化野も、ギンコの触れている花に指を触れ、そうしてから彼の手の甲に手のひら重ね、指に指を絡めるのだ。

「…切ないよなぁ」

 と、化野は言った。ギンコのシャツの裾を、ズボンから引っばり出して、脇腹を撫でまわしながら、それでも本当に辛そうに。

「なんで蟲なんかくっつけて来たんだ」
「あ…ぁ、す…好きでそうしたわけじゃない」

 判っているのに化野は聞く。そうしてギンコのズボンの前を緩めながら、言っても詮無いことを更に言う。

「なんで今日に限って、俺は忙しかったんだ」
「しょうがない、だろ…。ふ、ぅう…ぁ」
「立ったままで、いいか? 辛くないか?」
「い、から、早く…っ。あんまし、時間、ねぇしっ」

 喉を反らして喘ぐ、ギンコの伸ばした手の中で、握り潰されてしまった花の花弁が、ひらひらと地まで舞い落ちていく。化野は着物の前を開き、下帯を解いて、ズボンを引き下してあらわにしたギンコの腰と、自分の腰とを近寄せた。

 灼熱が触れ合い、二つの体は今だけは一つに…。

 その時、少し強く風が拭いて、枝から千切られた花弁が一つ、格子の中まで飛んできてギンコの髪の上におりた。その花びらは、二人が体を揺らすごと、もっとずっと、髪の奥の方へ絡んでいく。

「ひ、ぁあ…。く、そ…っ、慣らしもしねぇで…ッ」
「すまんな、痛かったか? よくないか…?」
「く、ぅ…。き、聞くな…っ」

 せめても、と化野がギンコの体の前へと手を回す。放って置かれていた前を、いきなりすっぽりと握られ、上下にゆっくり揺すられて、ギンコの視界が白くぼんやりと霞んだ。あられもない声を上げてしまってるだろう、と、心の何処かで思ったが、もう理性ではどうしようもない。

「は、ぁう…っ。ぁぁ、あッ。あだし…。手ぇ、や…ッ」
「やだ、ってか? 嫌がってるようには見えないけどな」

 指先から与えられる責め苦が、余計に執拗になる。先端をほぐすように撫で回され、零れ落ちる精液を、性器全体に塗りたくられ、白い下毛から雫が滴るほど濡れそぼつ。

「もっ、か、勘弁…し…てく…っ」
「一時間とか言うから、お前をせめて一晩分、濃く味わいたくて、な」
「そ、そん、な…。ぅぁ、あーッ!」

 ぐい、と腰を打ちつけられて、ギンコの涙の雫が幾つも零れた。

 哀しいわけじゃない。泣くほど辛いわけでもなくて、ただ、あまりにも快楽の深さが怖くて。こんなに求め合うほど、互いに好いているのに、もうすぐあとに離れて行かねばならなくて、それで平気でいられるのかどうか、不安だ。それが怖い。


     ソンナラ ココニ イレバ


 その時、何処からか聞こえた声が届いたのは、ギンコにだけだったのか、そうでなかったのか。


     ソンナニ ハナレタク ナイノナラ

     ハナレズ イラレル モノニ ナレバイイ

 
 蟲の気配だ。ギンコの中に残った理性の欠片が、そう警告した。だけれど、顎を掴まえられ、無理な姿勢で唇吸われて、舌で互いに求め合っているうちに、理性の最後のひと欠けまで、煮えて蕩けて判らなくなった。

 二人の視野の外で、白銀色の花びらが、ひらひら、ひらひらと、地面へ向けて落ちていく。落ち続けている。


 *** *** ***


 立ったままでなぞしてしまって、正直、腰やら膝やら辛かった。

 快楽漬けのたった一時間とちょっとだが、その時間が短いせいか、肌の下にはまだ淫らな熱が揺れていて、繋がりあっていた場所や、散々弄られた先端など、まだそこから何か、口では言い難いものが、とろとろ零れ続けている気がする。 

 二人、苦笑いなどしながら、支えあって狭い階段を下り、支えあって家まで戻る途中、ふとギンコは頭上を見上げた。

 真上に花が見える。あの花だ。気付かなかったが、柏の枝は、随分と幹から広く遠くまで枝葉を広げており、そこに絡みついた蔦草は、その枝よりも更に遠く伸びて…。

 あぁ、もしも、俺がこの花ならば、ここからいつも家の中の化野が見えるじゃないか。声も聞こえるじゃないか。化野がいつも見ている海の音を聞き、山の景色を見て、この里の匂いを嗅げるのだろう。

 
 ハナレズ イラレルモノニ ナレバ …


「馬鹿くせぇ…」
「ん、何か言ったか?」
「いや、何にも」

 ギンコは花から目を逸らした。体は辛かったが、もうほんの少しだって、ここに留まらない方がいい、肩を支えられたまま、ほんの少し、少しだけ化野の肩に頬寄せて、彼の匂いを肺いっぱいに吸い込んで、ギンコは言った。

「じゃ、な、行くから。その手、もう離せ」
「蟲を払えたら、すぐ来るだろ?」
「…さぁな、判らん」

 つれないなぁ、と、声に出さずに化野が言った。そう思えた。ギンコが傍から離れる時、化野が髪に手を伸ばそうとしていたが、それすらかわして、彼は木箱を手にして坂を下りた。


    ソンナニ ハナレタク ナイノナラ

    ズット ツイテイケル モノニ ナレバイイノニ


 また、声がした。

 夜になりつつある里。坂の上の医家の家。その蔵の前の地面に、白銀色の美しい花弁が、少し光を放ちながら、ひらひら、ひらひら、ひら、ひら…。まるで生きているもののように、ひらひら、と。














五つのキーワード使用ノベルってことで。

「蔵の二階」
「散る花」
「小雨」
『それがなにより怖くてな』
『目が離せないぞ』

 そのうち、上の二つは何とかクリアです。あと三つはラスト近くに使用かなぁ。そんな感じです。蟲、出てきているようですね。どうやらはっきりと、意思のある蟲のようですが。人の姿にはなりませんが、綿吐き、を思い出しましたよ。 

 イマイチ、ノリが悪いですが、こんなんでも読んで頂けて嬉しいです。ありがとうございますっ。



08/09/24