紅 は こ び ・ 3
「…紅はこび…? で、どうなる? 大丈夫なのか…ッ」
「でかい声、出さなくていい…。紅はこびなら…」
前に読んだ資料を、おぼろげに思い出しながら、ギンコは腕の青もみじの上を、逆の手のひらで擦り出す。
「あっためてやりゃ、離れるはずだ」
「も一回風呂へ」
「…それも一つの手だけどな。今しようとしてたことを、してりゃそれで、もう」
「今…あぁー」
視線を逸らす、頬の紅色が愛しい。黙って顔寄せて、唇の端に唇をかすらせた。ギンコは蟲が所以の寒さに震えているから、温めてやらなきゃならないのだ。特別な事はいらなくて、いつも通り、したいように触れればいいという。
「冷たいな、肌が」
「んん…。だろうな。…寒いよ」
段々とギンコの体は冷えてゆくから、化野は氷に触れるような思いして口づけして、自分まで寒くなりがらも、躊躇いなく手のひらを肌に滑らせ続けた。緑の葉は震えながら、ひとつ、ひとつと紅色に染まって行く。
だけれど一つが染まれば、その一枚は薄れていって、肌の下に隠れるようなのだ。そうしてまた別の、緑の葉が浮んでくる。震える体を開かせて、その身を貫いて揺さぶって、イかせた後もそれは同様だった。ついに不安が、化野の脳裏を過ぎる。
「だ…だいじょうぶか? ギンコ…。なんだか、これじゃあ、キリが…」
「………」
返事のかわりに、カチカチと歯のなる音。そうしてその後は必死になって、ギンコは何か、言葉を綴ろうとしているようだった。
「寒いんだろう、やっぱり風呂へ」
「お、…お、同じだ…。体を温めるだけじゃ…な」
「じゃぁ、どうすれば…っ」
「あー、今、思い出す。ちょ…っと、待……」
目を閉じて、脳裏に浮かべるのは自分の手。木箱の抽斗の中から、古い巻物を取り出し、それをするすると開いてゆく。さほど緻密ではないが、特徴をとらえて判りやすい「もみじ」の絵が描かれた箇所へ、指をするり、辿らせる。そうか、昔読んだんじゃない、書いたのだ。自分で。
だけれど、記憶の中で見ている筈の文字が、どうしても読み取れないのだ。巻物は木箱の中にあるから、実際に取り出してみれば済むが、もう凍えるばかりで、どうにも体がいう事を聞かない。
「ま、巻…も、の…」
「巻物? どこだっ、どれだ…っ、この中だなっ」
聞くが早いか、化野はすぐに木箱へと飛びついた。当然素っ裸のまま、足元に絡みついてる下帯を、邪魔臭そうに蹴りたてて。木箱の中に、巻物は五つ六つ入っていた。すべてを取り出し、手当たり次第に広げる。歯の根の合わなくなってるギンコに、これ以上問い掛けても無駄だと判っていたからだ。
二つ目に広げた巻物の終わりに、もみじの絵が見えた。貪るように読む。
『紅はこび
新緑のもみじの葉に酷似。
生き物の体に取り憑いて、密やかに仲間を増やす。
時が来れば、赤く色付いた成体になって、徐々に離れていくが、
その過程で宿主の体温を奪うとも言われる…。
熱を与えりゃいいのは、早く成体になるよう促すためか。そう、化野は思った。でも、抱き合い、愛撫を続ける程度の温みじゃあ、足りないってことなんだろう。なら、後は…。また視線を下して化野は続きを読んだ。
離れた成体は、また新緑の色になって、
もみじの中に紛れてゆくという』
もみじの、中に…。あぁ、そうか。
こく、と頷いて、化野は奥の部屋へと飛び込んだ。見ていた巻物は放り出され、凍えたままのギンコの傍へと転がっていく。ギンコがなんとか首を持ち上げ、それを読もうとしている間に、なにやら奥でばさばさと音立てていた化野が、ギンコへと駈け戻ってきた。
「さ、出かけるぞ!」
「……何…」
化野が手にしているのは、真白い着物。それをギンコの裸体へと掛けて、包むようにして抱き締め、強引に抱き上げる。
くぉぉ、とかなんとか、呻くのが聞こえた。旅暮らしのギンコに比べたら、非力でか弱い腕をして、それでも化野はなんとかギンコの体を持ち上げた。着物越しの肌も、氷のように冷たくて、その冷たさに急かされるように、化野は必死に歩く。
「ど、どこ…へ…」
「山だ。すぐそこの。大もみじが、ある」
「…っ、お、おろ…せ、自分で、あ…歩けるか、ら」
「いいからっ。じっとしとけ!」
抱き上げる、などと言う言葉には似合わぬ恰好だったかもしれない。半ば肩のうえに担ぎ上げるような様子で、着物の中で揃えたギンコの両脚に、抱きついて持ち上げているみたいな感じだ。
よたよた、と歩き出し、こけそうになりながら草履をつっかけて、一歩一歩と、化野は山道を登る。
「あだ…し、の、ほんとう…に…」
「黙っ…とけって…。ああ、そうだなぁ。母親に抱かれてる、ガキの、気分にでもなっときゃ…いい…っ。俺がもしも母親、ならな…。小さなガキのお前のことは、どんだけ可愛いか、しれんから、な…っ」
ところどころ跳ね上がる声。凸凹な斜面を、ふうふう言って登る体の、熱いほどの温もりと、優しさの温度。
「そぅら、着いたっ、もみじだぞー」
化野は言った。ギンコと、そうして、彼へ憑いたもみじの姿の蟲へと。それから彼は、大きくて立派な木の幹の、その大きさを借りて、ギンコの体を寄りかからせながら下してやる。
「こうして木の下で、ってのも、いいかもなぁ、ギンコ…」
ふうふうはあ、と息吐きながら、その息を整える間も待てはせず、化野はギンコへと口づけした。ちゅ、と小さく音立てて、塞いでは離れ、また啄ばむように口づけを。
「まだ寒いんだろ、熱が足りんのだろう。俺のをやるから、持ってけよ、そら」
そう言いながら抱き締める。ぴったりと肌を重ねて、金輪際離れはせんぞ、と、そんな願いまで込めつつ、柔らかく、化野はギンコの体を包んだ。
ふわふわと体が温まりつつ、肌のそこかしこはまだ、氷の如く冷えていて、その落差にくらくらとする。心細さにしがみ付いてくるギンコの指の感触が、化野の背中に刺さっていた。
どれだけそうしていただろうか。すくなくとも一刻、は経っていたように思う。ギンコはまるで眠るように目を閉じていたが、それでも細かく震えていて、薄れつつもなくならない寒さを、じっと我慢していた。
「化、野…」
「……………」
「寝…てんのか? こら」
寝てるはずは無い。首筋に押し付けられた唇は、ほんの時々熱を込めて肌を吸い、忘れた頃にまた舌先で舐めてくる。耳に近いその場所で、ちゅ…ちゅく…と、湿度の高い音を聞かされて、ギンコの体には、さっきから甘い熱が灯ったままだった。
「蟲が、離れてくれそうだから、お前も、離れてくれ…」
「えぇ? 嫌だぞ」
「馬鹿か。なんの為にこんなとこに来たのか、忘れたのか!」
「なんだっけな」
この期に及んで、忘れたふりをするこの男の頭を、ギンコはあとで叩いてやるつもりだ。
「…綺麗なもんを、多分見せてやれるから」
「そんなことより、このまま」
「それも後でさせてやるから…!」
ギンコは叫ぶように言って、どん、と化野の体を突き放した。よろけて離れた化野の目の前で、ギンコの纏う白い着物はうっすらと透けて、その下に、確かに美しいものが、見えていたのだった。
続
次がラストでーーーーーーーーす。途中でかなり時間が立ってしまって、間延びしたような連載で申し訳ありませんっ。でも、一応、望んでいたとおり…もとい…望んでいたのと近いようなラストを迎えられそうです。
どうも言いたいことがよく現れてませんが、最初から最後まで、どっかコミカルなお話でいけそうですー。また次回を待っててくださいね。読んでくださってありがとうございますっ。
09/07/27
