水揺らぐ夜 sui you ya 9
「…あんた、酷いヤツなんだか、偉いヤツなんだか、さっぱりわからん」
「あぁ、そりゃ、両方かなぁ」
溜息をつきながらそう言って、化野は横になったまま、薄く開いた目元でふわりと笑う。その目はギンコの姿を映して、それが心底嬉しいのだと告げている。
「少し、そこにいてくれるか。お前見てると、それだけで幸せだから…。ほんとに、綺麗、だなぁ…。見てるともっと惚れちまいそうだ」
「…冗談じゃない、誰が」
ギンコは立ち上がり、足音も荒く隣室へ消えると、暫くごそごそと物音を立てていた。そうして戻ってくると、化野に肩を貸してなんとか立ち上がらせ、今出てきた隣室へと歩かせる。
「横になるなら布団に入れ。失血で弱ってるのに、あんなとこで寝たら、それこそ風邪を引いちまう。…薬の入ってるとこ、ちょっと見させてもらったよ。で、化膿止めとか色々、調合させてもらったからな」
語られた言葉に、ちょっと驚いたふうに目を見開き、化野はギンコをじっと見つめる。
綺麗な銀の髪…。それを汚していた血の色は、いつの間にか見えない。いつ血を拭いたんだろう。怪我はいいのか? 医家の俺がこんなんで、情けないことばかりだ。客人のギンコに治療やら薬やら用意させてしまって。
そういえば、ギンコのことを何一つ聞いてない。そう思えば知りたくて、知らないままでは休まらない気がしてくる。好奇心は誰より強い彼なのだ。
「…お前…医者なのか?」
「そんな立派な代物じゃない。蟲の関わった厄介ごとなんかを…。いや、別に、俺の事はどうでもいいか」
「どうでもよくないぞ。ムシ? ムシがなんだって? 教えてくれ、お前のこと」
全身弛緩して動くのも辛いだろうに、化野はギンコの袖を掴み、離そうとせずに言い縋った。だが、その指からはすぐに力が抜け、ずるずると布団の上に体を伸べてしまう。ギンコは丁寧な手付きで彼の体に布団を掛け、用意してあったクスリを白湯に注いで溶かしている。
「どうでもいいんだ、俺のことなんか。…まぁ、ちゃんとした医家のあんたにしたら、何だか判らんヤツの作った薬なんぞ嫌だろうが、まぁ、多少は心得もある。飲んで眠ればかなり元気になる筈だから、飲んでくれ」
そう言って湯飲みを差し出したが、横になったままの化野にそれを飲めと言うのは無理だろう。差し出した自分の手を眺め、困ったように眉を寄せて、それからギンコは、また薄っすらと頬を染めた。
見ていた化野はそんな彼に見惚れ、見惚れるあまりに次のギンコの動作の意味を、考えるのを失念したのだ。ギンコは湯飲みに口をつけ、薬を口に含むと、そのまま化野の顔に顔を寄せていく。
「え…。な…っ。ギ、ギン」
重なる唇。薬を零さないようにしっかりと、唇と唇を斜めに合わせ、ギンコは薄目を開けて化野の顔を見ている。化野はしばし呆けて、口を閉じたままでいたが、やがては意図が判って薄く唇を開く。それだけ近付いたからだろう、どれがどっちか判らない心臓の音が響いていた。
飲み込んだのか? ちゃんと…。
確かめるすべもなく、ギンコは離れようとしていたのだ。それが唐突に彼は震え上がって、そのままの姿勢で目を見開く。目開いた目には、ちゃんと大人しく目を閉じている化野が映っていたが、大人しくしていたのは、表向きだけだ。
舌がギンコの唇に触れ、口の中をそろりとなぞっていく。背筋を何かが這うような、微妙な心地に怯えて、ギンコは急いで身を離した。
「あ、あんたな…っ…」
「…すまん…。その…つい無意識に。悪かった…」
可愛く思えてしまいそうなほど、化野は素直に侘びを言った。身動きできないままで、頭を下げているつもりか、首をカクリと前後に揺らす。哀しげな目も、本気で済まながっているように見える。詫びられて、縋るような目をされて、怒る気も失せてしまう。
と、言うよりも、本当はギンコは欠片も怒ってなぞいなかった。
「いや、別に…悪かない……」
ぼそりと言った言葉は、彼の耳に届くような大きさではなくて、横を向いてしまったギンコの機嫌を取ろうと、化野はまだ、必死に言葉を探している。眩暈がしているのに身を起こそうとする努力が、ますますギンコの気持ちをほぐす。
「起きなくていい。横になっててくれ、薬がまだ残ってるんだ」
「…って、ギンコ。ん…」
ついさっきと同じように、ギンコは湯飲みの薬を口に含む。そのまま化野に近付き、身を寄せ、顔を斜めにしながら唇を重ねた。首を持ち上げていた化野のうなじを、支えるように手を触れて。
さっきよりもうまく薬を飲み込んで、そのまま化野は間近にあるギンコの顔を見ていた。今度は化野が目を開いていて、ギンコは目を閉じている。閉じた瞼には綺麗な銀色の睫毛。その美しさに殆どうっとりとして、うっとりしながらも化野は胸を高鳴らせていた。
もう薬は飲み込んだ。なのに離れていかないギンコの唇の、その柔らかさに、眩暈が酷くなる。何もしないで堪え続けるのは無理で、それでも自分から顔をそむけるなんて、あまりに勿体無いじゃないか。
それで、化野はまた、ついついさっきと同じことをした。舌を差し伸べてギンコの唇を辿り、そのままそろそろとギンコの口の中を辿ってみる。嫌がらない。身を強張らせ、化野のうなじに掛かった指が震え出したが、それでもギンコは逃げないのだ。
化野の舌の愛撫が、そのままゆっくり…ゆっくりと、時間を掛けて濃厚さを増した。
やがて唾液が、淫らな音を鳴らすのを聞いて、ギンコは微かに眉を寄せ、酷く悩ましい顔をする。逃がさないように、いつの間にか包帯だらけの化野の両手が、ギンコの背を抱いていた。
これからは何かが欲しい時も、けっして無茶はするまい。自分の欲が、あわや里を滅ぼすところだったんだ。それをわきまえ、理性は常に平静に保たなきゃ駄目だ。子どもじゃないんだ。ちゃんとした大人だ。出きるはずだ。
そう思ったのは、ついさっきのことだった。でも止まらない。欲しいものを目の前に用意されて、それで見るな触れるな考えるなと、そう言われても彼には到底無理なのだ。
「ん、ん…ふ…っ…ぅ」
ギンコの喉から零れる色っぽい嗚咽に、ついつい抱き締める腕にも力が篭ってきて。
「…い、ててて…っ。く…」
「あ! 馬鹿っ、無理をするなっ」
たった今まで、口腔内を好きにされていたギンコが、心底心配そうに化野の顔を覗き込む。化野は両手を布団の上に投げ出して、欲情してしまって火照った顔のまま、不思議そうに、でも酷く嬉しそうにおずおずと聞いた。
「いや、うん。無茶するなったって、お前…。その…なぁ。でもなんで、ギンコ…俺に口吸われて逃げないんだ? そ、その気になっちまうだろうが」
ギンコは化野の顔に顔を寄せたまま、視線だけを横に逸らして、ぽつりと一言だけを言ったのだ。
「俺はお前に、買われた身だろう」
「…えっ…!? ま、まだ払ってないが」
「別に、後払いでいい。ちゃんと払ってくれるんだろう? 信用する」
なんて大胆なことを言ったのか。ギンコはそう思った。だがそう思ったのは、翌朝の事だった。この時はまだ、いろんなことが無意識で、でも無意識ながら、化野に想われていることが嬉しくて、ついついそんな事を言ってしまったのだ。
多分、後悔はしないと思う。欲しかったものを手に入れたのは、化野ではなくて自分だと、気持ちの素直なギンコだからこそ、本当によく判っていた。
「ちゃんと…払うよ…。約束する。手が治ってきたら、一筆書こう。二、三日で書き物くらいは出きるようになるからな。だから、それまではお前に傍に…居て欲しい…」
そう言った化野の声は、ギンコの心の奥の深いところに染みていった。
続
ラブラブモードって、癖になりますよね? えっ、ならない? 甘すぎて吐きそう? そりゃー大変だ。思う存分吐いて、続編に備えてください。次はもっと甘いかもしれません。いや、もといっ、もっと「エロ」いかもしれませんっ。
あ、今回はさほどエロくならなくてすみません。この二人ったら、すっかり二人の世界になっちゃって、キスだけでかなーり楽しんでいるみたいなんですものっ。何分してた? あんたたち。
そんなこんなで微エロな9話。楽しんでいただけていたら嬉しいです。なーんかノリノリで書きましたんで、惑い星的にはやや満足です。それではまた、次回、お会いしましょうっ。
2007/12/7
