水揺らぐ夜 sui you ya 8
「あ、あんた…。な、何言っ…」
「嘘じゃないっ。最初に見かけた時からだ。一目見た途端に欲しくなって。欲しくて欲しくて、何日も夢にまで見たくらいなんだ。今日、思いがけずお前が訪ねてきて、一時でも俺の自由に出来るんなら、嫌われようがどうしようが、どうでもいい気がしてきて。だから…その、あんなことを…」
真摯に告げる言葉を聞いても、あの時の悪役ぶりを思い出せば、どうにも信用し切れない。
「…あんたは誰かに惚れると、相手を生け捕りにするのが趣味なのか…? あんな薬とか持ってて」
「く、薬は…本当は麻酔なんかにも使うやつで、別にああいう用途のためのものじゃない。でもその…お前がここに来るような事があったら、使えるかも、とは夢見てたが」
そんなことを、夢見ないで貰いたいものだが、そう言われてさえギンコはやっぱり、この医家が嫌いじゃない。部屋の隅に転がった包帯を拾いにいき、改めて化野の手に巻きつけてやりながら、自分では知らずに徐々に項垂れた。
惚れたってか。これはもう、どうしようもない。化野も化野だが、その言葉が嬉しくて、頬を火照らせている自分も救いようがない。
「モノと一緒かと、怒るか知れんが…」
叱られた子供のように、目だけでギンコの顔を窺い、化野は言う。
「お、俺が珍品を集めてるのも、一つ一つ、全部に惚れ込んじまってるんだ。でもな…。でも、ヒトに惚れたのは初めてでな。だから、俺にされたことでお前がどう思うかとか、そういうことを考えてなかった」
ギンコは淡々と手当てをしてやりながら、化野の方は見ずにいる。熱い視線が、ずっと自分に注がれているのが判って、それだけでも鼓動は速い。心臓がどうかなりそうだ。
「金でいいなら、全部やるよ。ほんとに洗いざらい全部だ。それ以外でも、できる事は何でもする。だからギンコ、俺と…ここで暮して」
「それは無理だ」
「…やっぱり、駄目か…。そうだよな」
見ていて気の毒になるほど、がっくりと落胆し、化野はまだ手当て途中のギンコの手を、やんわりと押しのけた。痛みに顔をしかめながら、彼はギンコに背中を向け、かわいそうなくらい消沈して背中を丸めている。
「実際、俺の顔も見たくないだろうな。それなのに手当てしてくれて、お前は優しい男だよ。そういうお前につけこんで、あんなことした俺が悪いんだ」
「いや。俺にはちょっとした理由があって、どこのどんな場所だろうと、定住はできん、と言ってるんだ。別にお前が嫌だからじゃない」
「え…っ? じゃあ、気が向いたらまた、来てくれたりする可能性も、ちょっとはあるのか…?」
言った途端に、えらく嬉しそうな顔。まるで小さな子どものようだと、ギンコはまた化野のことをそう思う。
「あぁ、よかったっ。全財産で買っても、二度と会えないかと思った」
「……ほんとに買う気か。冗談じゃなく」
「か、買わしてくれ。それで気が向いたらまた来てくれよ、ギンコ。惚れた相手が、いつか来ると信じて待ってるだけでも、俺はきっと充分幸せだよ」
自分を買うという化野の方が、滅多やたらに低姿勢で、ギンコは居心地悪そうに目を逸らした。惚れた惚れたと繰り返され、言われるたびに頬が火照る。
「最近、ちゃんと数えていないが、山ほど珍品を買いあさろうとおもって、医家を始めた頃からずっと貯めてた金だ。お前を買えるんなら、他には何にもいらないよ」
「……へ、変な…医者だな、あんた」
その変な医者に、真っ直ぐ見つめられて、どきどきしている自分も、随分と妙だとは思うのだ。手を伸ばして、包帯を最後まで巻き終え、畳に手をついて体を横に向けてから、ギンコは小声で聞いた。
「その…なんで俺を買いたいんだっけ?」
「惚れたんだ。好きだ。自分だけのものにしたい」
「あ、あぁ、そう…か」
こんなふうに、本気で想われて欲しがられて…。そんなにまでいうのなら、買われてやったっていい。傍にはいられないが、たまに会いに来ることはできるんだ。こいつがここで待ってると思えば、いつまでも続く旅も、少しは楽しくなるだろうか。
金は手に入るし、待っててくれる相手も出来て、何一つ悪いことなど、起きていないような気がする。
「あんたが…そ…」
そんなに言うなら、買われてもいい。
そう言おうとした途端に、いきなり素っ頓狂な声が部屋に轟いた。
「せ、せんせっ、あんたその手ぇ、一体っ」
振り向いてみれば、開け放ったままの縁側から、恰幅のいい中年の女が身を乗り出してこっちを見ている。片手には魚が数匹入った籠を持ち、縁側には土のついた大根が一本置かれていた。女の後ろには幼い女の子が一人、何事かと首を伸ばしている。
「怪我かい?! 両手ともそんな、包帯ぐるぐる巻いて、まぁ…」
「…あぁ、ええと。実は火傷なんだ。薬草を煮て塗り薬を作ろうとしててうっかり。この人は旅の人なんだが、昨夜からたまたまうちに来ててな。それで手当てをしてくれて」
「お医者先生が、旅のお人の手を借りてんのかい。そりゃあ悪いところに居合わせなすったねぇ。見ればあんた、随分変わったナリをしてるけど、異国の人なのかい?」
横幅のある彼女の右に左にと、子どもが顔を覗かせて、ギンコの白い髪や、変わった色の目に驚いているふうだ。
「いや、俺は…」
「綺麗だろう…! この人の髪も目も! それですっかり気に入っちまってなあ! もう見てるだけで嬉しくて…」
ギンコの言葉など、誰の耳にも届かなかった。化野が大きな声で喋り出して、女も子どももびっくりしたようにそっちを聞いている。
「この髪なんか、手触りも」
「あ、あ…化野…っ!」
叫ぶように咎められて、化野はやっと口を閉ざした。無意識に頭を掻こうとして、指の怪我を痛がり、女はそれを気遣いながら、部屋の中へと上がり込んでくる。
ついてきた女の子は、縁側に膝をのせて身を乗り出し、ギンコをじっと見つめていた。
「大事にしなきゃ駄目だよ、せんせ。里のみんなはせんせが頼りなんだからさ。早く治してくれなくちゃ。しばらくの間、怪我や病気をなるべくしないように、みんなに言っとくけどね」
女は慣れたように台所に入って行く。そこで飯を炊き、魚をさばいて煮付けを作り、大根の味噌汁やら何やらを作って帰っていった。
子どもは一人残されたが、その子を相手に化野が、綺麗な人だと思うだろ、だとか、この人は異国の人じゃないけど、異国にだって、きっとこんな綺麗な人はいないと思う、だとか言っているのが、ギンコの耳に入ってくる。
やがて子どもは帰ってしまい、ギンコと二人になると、化野は見る間に青ざめ、体を斜めに傾けていき、痛む手を畳に付くことも出来ずに横倒しになってしまった。
「っ痛…て…ッ」
「…おい…っ、だ、大丈夫か…っ」
「いや、平気だ。貧血なのと、多分、かなり疲労してるからだろ。自業自得だけどな」
「さっきまで、元気だったのに」
そう言うと、化野は青ざめたままで薄く笑って
「里のもんには、弱ってるとこ見せられないしな。医家は多少、怪我とか病気とかしてても、元気な顔してなきゃならん家業なんだよ」
続
さっき、この連載の最初から最後までを、読み返ししたんですけど。きゃーーーっ。先生、二重人格にも程があるっていうか。ベコ(凹んだ音)。読んでくださっているお優しい皆様が、モノスゴイ勢いで頷いていらっしゃる…よね? 涙。
先生は「悪いヒト」なの? そうでもなさそうですよね。いや、きっと「物凄く害はあるけどイイヒト」なのよ。もしくは「悪気はないけど悪いヒト」? タチ悪ぃなぁ、それ。でも二人がお互いにイイならそれでイイのよ。
結局、新たなる馬鹿ップル誕生??! いや、むしろ馬鹿夫婦誕生? 初夜は済んだのか、まだこれからなのか。先生、手があんなんだもの、ヤるんならギンコさんが積極的にゴニョゴニョリ。
ぁぁぁぁ。こんなノベルを読んでくださったそこの貴方。本当にありがとうございますっ。ぺこっ。まだ続きます。エロい方へいくように、只今、脳内努力中!
07/11/29
