水揺らぐ夜  sui you ya   7





ギンコの腰に結びつけたランプが、一歩歩くごとにカラカラ言う。最後に残った油の一滴までもを、焚き火を焚くのに使ってしまったから、揺らしても油の零れる心配はない。

 カラカラ カラカラ
  カラカラ カラ …

「少し、休んだ方がよくないか? 体が熱い」

 ギンコが化野を気遣ってそう言った。あれだけの怪我を四肢に負っているのだ、怪我した範囲の広さから、多少の熱が出るのは医家の化野でなくとも判る。

 辛そうな顔を盗み見て、ギンコが歩みを緩めると、困ったように化野は呟く。

「恨んでないのか…俺を」
「……今、聞かなきゃならん事じゃないだろ」
「そうだが、でも」

 ギンコは今度は、逆に足を速めた。化野は痛みに呻いたが、それでもギンコの肩に縋り、懸命に歩いて家の庭へと二人で入る。開け放ったままの縁側に、崩れるように腰を下ろすと、多少の苛立ちを含めた声で、ギンコは化野に聞き返した。

「恨まれると判ってるんなら、なんでしたんだ、あんた」

 その苛立ち混じりの声を聞いて、化野は少し安堵した。憎まれた方がマシに思えるからだ、それだけの事をしたと判っている。

 安堵のあまり、返答が遅れると、ギンコは声をささくれ立たせてさらに聞いてくる。だが、論点が少しずれていた。いや、少しじゃない、随分と。

「珍品好きは判ってたが、人間にまでそんなじゃ、ヒトを診る生業してて、色々まずいだろ」
「なぁ、ギンコ…お前は俺を、恨んでないのか…?」

 はっきりと聞かれて、今度はギンコも黙り込む。彼は何も言わず、腰に結びつけたランプを外し、それから木箱を背中から下して、引出を全部取り出し、洞窟でそうしていたように、中に入っているものを縁側の板の上に並べだす。

 一つずつ丁寧に。特に濡れているものは、足元の踏み石の上に、転げてしまわないように気をつけて。それらは化野が見たこともないものばかりで、そんな場合でもないのに、視線がその上を彷徨う。

「好奇心旺盛な、小さい子供みたいな目ぇして…」

 溜息を一つ落とし、ギンコは作業を続けながら、ちらちらと化野の顔を見ていた。

 そういえば化野は、色々と不埒なことをする間も、こんなような目をしてた気がする。ガキのおもちゃにされたにしちゃぁ、薬盛られたり、とんでもないとは思う。笑って「いいさ」で済ませられないことを、されたとも思っている。けれど。

 なのに、俺はこいつを、嫌いじゃない…。
 酷いことをされたが、あの程度、
 こいつを嫌う理由にゃならないらしい。

 考えれば考えるほど、酷く不思議な心地がした。理由を探すなぞ、無益なことだと判っていた。

 好かれているのは確かでも、こいつのそれは『好奇』という名で、そんな真っ直ぐな『好意』じゃないのだろう。判っていてもこうだ。だから自分はどうかしている。化野の気持ちを受け止め、心のどこかで喜んで、あまりにも妙だ。不思議でならない。

 自分自身では判らないことだが、彼は随分と餓えていた。

 好かれることに。求められることや欲しがられることに。旅ばかりしてきたギンコは、こんなにも淋しいのだ。顔を上げると、必死の眼差しで、化野が彼を見つめていた。

「ギンコ…?」
「恨むほどの事か。あの程度…」

 溜息をつきながら、ギンコは自分の周りに並べた、色々な形の器を見回して言った。

 布袋、紙袋、木の箱に紙の箱、瓶や竹筒。それらは持ち運びの出来る彼の日用品、漢方など様々な薬、そして人やら動物やらとは、別の命を持つ生き物たち。

「この通り、俺は旅人だからな、一つところに住んでる人間に比べりゃ、いろんな事が取るに足らない。あんたには、金を騙し盗られたわけじゃないし、腕一本、足一本もがれたわけでもないし。たがが見られただけ、体をちょっと、いじられただけのことだ」

「でも…あんな、嫌がって…」

「あぁ、そう、なぁ…。まあ、そりゃ怖かったからな。ああいうのは経験無かったし…。だから償うってんなら、色々と便宜はかって貰うかな。それだとこっちも助かるよ」

 何気なく言いながらも、ギンコの首筋が朱に染まっている。化野はそんなギンコを、穴の開くほど眺め、見惚れて…それから、はた、と我にかえった。

「ああ、あぁ、償うよ。それこそ有り金全部、払ってもいい! お前になら、惜しくはない。待っていてくれ、金は蔵に…ッ」
「あ、有り金…?!」

 その言いように、ギンコは驚いて口を開ける。そのままギンコは、二の句が告げずに呆けていた。彼の見ている前で、化野は立ち上がり、傷で埋め尽くされた手足の痛みに呻き、縁側の戸に縋りついたまま、ずるずると座り込んだ。

「い…って、ぇ…」
「馬鹿っ、無茶するな…ッ。だいたい、金の詰まったでっかい甕なんぞ、背負わされてもこっちが困る!」
「いや、甕じゃなくて、き、金庫…なんだが…」

 ギンコは額に手をあてて、呆れたように首を横に振った。

「余計に困る。いいから座っとけ。大体、財産全部はたいて…。あんた、俺を買い取る気か…?」
「…え。売ってくれるのか…っ?」

 これだ。

 軽口もうっかり叩けない。だが、呆れると同時に胸の鼓動が騒ぐ。馬鹿は自分かも知れない。この気違い医者に、買いたいと言われて喜んでいる。

「い、幾らなら…? 足りなきゃまだ貯める。言ってくれ、ギンコ…!」
「あんたな…」

 本気か? どうも本気らしい。

「…高いぞ」
「だから、い、幾ら?」
「すぐにゃ決められん。考えとく」
「…判った。後で教えてれ。じゃあ、今、幾らあるか数えてくる」

 そわそわと、いても立ってもいられないふうに、化野は腰を浮かせる。足には血止めの布を巻いたまま、両手とも布でぐるぐる覆われ、そんな恰好で、どうやって金を数える気なんだか。

「後にしとけ。こっちだって、そう簡単にゃ、自分に値段なんか付けられない。それよか、ちゃんと手当てして、着物も着替えろよ。手の怪我が治らなきゃ、医家の仕事も出来んだろう。金貯めるんなら尚更だ」

 厳しく言い聞かせると、化野は素直に言うことを聞く。半日前は、自分の方が物売りに来た客で、立場もずっと下だったのに、こんな奇妙なことになろうとは。

 奥の部屋に行って、治療の道具の場所を聞き、ギンコは化野の手足を診てやる。医家の家で医者の怪我を診るなんて、妙な成り行きもあったものだが、この程度、妙のうちに入らないだろう。

 そのあと、ギンコの問いに跳ね返った、化野の答えほど奇妙なものはないからだ。

「…なんでそんなに俺が気に入ったんだ。珍品好きにしたって、全財産投げるなんて、普通じゃあ……」
「その…ほ、惚れたから」
「…あぁ??」

 手にしていた包帯が転げて、部屋の隅まで行ってしまった。


                                      続









 そりゃあ、先生、あんたはマジなんでしょうけど、それにしても人を舐めてる。強姦しといて「惚れた」、だって?! 好きならなんでも許されると…思ってないから動揺してんのかぁぁぁ。

 後悔は先に立たないけど、あっちは勝手に勃っちゃうんだね。なんて…執筆後にこんな下ネタ発言ゴメンナサイ。

 でもまぁね、強姦されたのに「欲しがられて嬉しいv」なんて頬染めてるヤツが相手なんだから、なんつーか、あんたら、ぴったりな二人なんだよ。きっとそうだよ。運命だよ。

 こんな馬鹿な話を書いといて。しかもまだ続きがあるなんて。そんな惑い星の罪も、一緒に許してくれるのかな、寛容なギンコさんは。汗。あ、そっちは駄目ですか。許せませんか。そうですよね。涙。


07/11/16