水揺らぐ夜  sui you ya   1




「さ、茶を」

 目の前に座る客人に、化野はどこにでもあるような湯のみで、いい香りの立つ茶を出した。客は冷えた指に熱い茶碗を持ち、熱過ぎたものか、唇にちょいとつけただけで畳の上に戻す。

「…実は、知人に聞いてきたんだが、この里の医家先生が、珍しいものを買ってくれるとか。あんたがその、化野先生」
「ああ、そうだ。買うよ」

 即答してやるが、客は少し顔を上げ、化野の顔を見た途端に、また視線を逸らして項垂れた。たまにはこんな客もいる、何か売りつけたくて来たものを、実はあんまり売るのに気乗りじゃなくて、今更のようにもたつく奴が。

「買うが、まずはその勧めたい品を、見せてもらわんことにはな」

 そう言うと、客は傍らの木の箱を引き寄せて、背負う形のその入れ物の、引出を一つ引っ張り出して、中から紙に包まれた焼き物を取り出す。

 見たことも無い形の器で、少しばかり急須に似てはいるが、それとも違っていて珍しい。…が、それよりも化野は、実はさっきから、目の前の男の姿ばかりを眺めている。

 確かに俺は珍品好きだ。本当に珍しいものなら、その種類なんぞ特に問わない。焼き物だろうが、衣服だろうが、食い物だろうが、土くれだろうが、自分が気に入りゃ何でも欲しい。

 それが例え、生きたものでも。

「買え、と言われりゃそれも買わんでもないが、他には何か無いのか?」

 言われて客は別の引出を開け、今度は別のものを出す。今度は小さな布切れで、開いてみればそこには、明らかに今の時代と違う姿の、人々の様子が絵となって織り込まれていた。多分、随分古い時代のものだろう。

「うん、それは珍しいな。買おう。他には」
「…他に……」

 一枚取り出すごとに、客は困惑顔になる。こういう客は今までにも来たことがある。恐らく自分で値打ち判らんものを、人に高く売って金を貰うことに、抵抗があるのだ。

 でも金には困っているから買って欲しい。同時に騙すようで気が引けて、数が増えるごと、額が増えるごとに困ってしまう。可愛い奴だ、と思いながら、化野は笑って言葉を繋ぐ。

「もう無いのか?」
「いや、他にも多分何かあると…」

 カタカタと引出を閉めて、別の引出を開ける。
 また閉めて開ける。
 閉めて開ける。

「ん、今の綺麗な色のガラス瓶は?」
「…え。いや、あれは売りもんじゃないから」
「見せろよ」
「だから売り物じゃないんだ」
「…ふん。そうか」

 意外にあっさりと引いたのを、驚いたような顔で眺めて、目が合うとその視線は急いで逸らされる。

「あー。実はもう今日は、時間が無くてな」
「え」

 結局何も買ってもらえないのか、と、客は困った顔になった。からになっている銭入れの中身を思うと、情けない気分になる。腹も空いた。この空腹で、夜はもう寒いこの時期に、里の外れで野宿かと思うと、無意識に縋るような顔になる。

「お前、名前は。まだ聞いて無かっただろう」
 
 化野は唐突に、客人の名前を尋ねた。急いたように立ち上がり、奥の部屋へと行こうとしながら、振り向いた顔が、人懐こそうに笑っている。

「何なら泊まって行ってくれ。粗末でいいなら食い物くらいは出すし、眠る布団もそっちにある。名も知らん相手を泊めるのもいいが、呼ぶのに不便だから、名前」
「…ギンコ、だ」

 その時に笑った化野の顔が、さっきの笑顔と比べて、何かもの言いたげだったことなんか、ギンコは気付いていなかった。

「ギンコ、か。いいな、その名前も珍しくて気に入った。お前のその姿に似合ってる。じゃあ、俺は夜まで向こうの部屋に篭るが、遅くには何か食うものを出す。そう固くならんで寛いでいてくれ、ギンコ」

 たん、と音を立てて、ギンコと化野の間に、白い襖が閉じられる。ギンコは脚を畳の上に伸ばして、もうすっかり冷えてしまった茶を飲んだ。美味い茶だ。畳の上に座っているのも、暫くぶりだから心地いい。

 それなのに、何故だか心が落ち着かなくて、ギンコは深い溜息を吐いた。確かに金を手に入れないと困る。困るからここに来たのだが。

 暫くの間、仕事にありつけず、所持金は随分前に切れ、ついで食い物の持ち合わせも尽き…。野宿も続いていたから疲れ切っていて、ギンコはその場に横になる。

 畳の上で眠るなんて、それだけで今の自分には贅沢なくらいだ。布団なんか無くても眠れちまいそうだ。風邪をひくかもしれないが。でも、眠い…。凄く眠い…。

 ギンコは睡魔に抵抗できずに、そのままそこで寝入ってしまうのだった。


 *** *** ***


 それから半時も、経っただろうか。

 ほとんど音もさせずに、すう…と襖が開いて、火の入ったランプを手に、化野が隣の部屋から入ってくる。彼はギンコの傍らに膝を付き、ランプを少し離れた場所に置いて、そっと彼の寝顔を覗き込んだ。

「…暫くぶりだなぁ……」

 ひそめた声で、化野は呟く。手を伸ばし、するりとギンコの髪を撫で、その頬に指先を辿らせて。

「こうしてもう一度会えるとは思わなかったから、嬉しいぞ、俺は」

 あれから半年も経ったのだ。それでもこの姿をよく覚えていて、化野はうっとりと見惚れるようにギンコを見つめていた。

 前に見たのは山の中。

 木々の生い茂った山奥を、隣の里からの帰り道に、偶然、化野が通っていなければ、あの光景を見る事は無かった。そう思えば、手伝いに呼んでくれた隣の里の医者にまで、手をついて礼を言いたいくらいだ。

 底まで綺麗に澄んだ泉で、体を洗っていた白い髪の、白い素肌のこの男を、化野は木々の枝の向こうから見たのだ。遠目にもこの男を、美しいと思った。

 あの時にも見た、翡翠の色の瞳が゛、見間違いではないと判って、今日はそれが、どれほど嬉しかったか。

 珍品が好きだ。
 珍しいものなら、その種類は問わない。
 自分が気に入りゃ何でも欲しい。

 欲しくて欲しくて、箍が外れる。



                                  続













 
はーい、連載開始です。えっ、もうかいっ?! はーい、そうでーす。しかもヤバイ話でーす。

 目次ページでも書きましたが、この話は実は、「犬神屋よろず店の犬神さまと私、同キーワードでなんか書いてしまおう♪」っていう、嬉しいお話が、形になったものなのです! やっほーっ。

 テンション高くてすいません。
 本当にありがとうございます、犬神さまっ。ぺこりっ。

 しかも随分、書き始めるまで長くかかってしまって、その上これ連載ですよー。すいませーんっ。長い目で見てやって下さい犬神さま〜。涙。どんな話になるのかは、自分でもよく判らないですーー。大泣。

 一つだけ御注意ですが、このノベルは、いつもうちで書いている二人とは、別の世界の彼らだという事です。ここ、重要ですので、読んで下さる方、よろしくお願いしますです。

 ではでは、次回を楽しみにして下さる優しい方、どうぞ待っててやって下さいませねー。


07/09/30




 

 
 




 
犬神屋よろず店さまとの、企画モノとして書きました。
犬神屋さまのところには【化ギン】【無理やり】【野外】【エロ】【蟲】という
同じキーワードで書かれた素敵なノベルが! 
サイト名から飛んでいけまーす。