誘い叶う  … イザナイカナウ ・ 7 …






「権利…? なんの話だ。言ってることが判らない」

 喉で何かが凍り付いている。冷えて痺れる舌を無理に動かして言葉を紡ぐと、化野の零した声は変に擦れていた。ギンコは化野の方を見ないままで、やっと聞こえるくらいの小さな声で言うのだ。

「俺は一つところに留まっていられないから、棚の上の品物みたいに、いつもここにはいられないが…。時折くるだけでいいなら、その時はどうでもお前のしたいようにすれば」
「おい、待てよ、ギンコ。さっきからお前、いったい何を言ってるんだ、俺は別にお前をそんな、モノのように思ったりなぞ」

 ギンコは、すい、と顔を上げて、やっと化野を見た。歪んだような笑みを見せ、暗く沈んだ瞳の色で「聞きたくない」と彼は言うのだ。化野は思わず黙り込み、何も言えなくなってしまう。

「…とにかく、話は明日ちゃんと。今日は…疲れてるし、患者の事も書き記しとかなきゃならんし」

 閉じる襖の隙間から見えた顔が、何の話をするつもりなのかと、言ったように見えた。化野は襖に掛けていた手を下して、ギンコと自分の間にある、その古びた襖の唐紙を見ている。

 胸の奥で、鼓動が酷い音を鳴らしていた。その音だけで体が変になりそうだった。化野は襖に背中を向け、珍品のある部屋へいって、殆ど無意識に棚の上のものを手に取った。

 歪な形の巻貝。
 奇妙な絵の扇子。
 綺麗な色した翡翠。

 それから、昨日ギンコに渡された土産。

 そりゃあ、奇妙なものやら珍しいものやら、そういう珍品が大好きだが、ギンコのことをそんなふうに思ったことはなかった。髪や瞳や肌の色を綺麗だとは思うし、惹かれもするがそうじゃない。

 俺はギンコを……。

 化野は部屋の隅の机の前に座り込み、鞄を手元に引き寄せた。忘れないうちに、今夜の治療の事を書きとめておかねばならず、溜息をついて鞄を開いた。

 すると中には乾いた紙にくるんだ、握り飯が二つ。黒々とした海苔が巻かれ、ほんのりと梅干の香りが漂う。治療に出向いた先で、夜食にでもと手渡されたのだ。

 それを黙って見つめ、化野はしばらく項垂れていた。


 *** *** ***


「ギンコ…。もう眠ったか。少し話がしたいが、今からいいか?」

 閉じた襖に手を掛けて、化野はそう言った。返事はなく、ギンコはもう眠っているのかと思った。それなら起こしてでも話をしたくて、化野はそっと襖を開ける。

 ギンコはそこには居なかった。布団にも入ったようすはなく、縁側へ向う障子と、外への雨戸が少し開いていた。

 一瞬、目の前が真っ暗になったような心地がした。もう終りかと思った。化野は夢中で外へ出て、星明りもない風景を見渡すが、ギンコがどっちへ言ったのかもわからない。

 当てずっぽうで山道の方へ入り、慣れた道すら見えない暗がりを、当てもなく歩いた。ギンコ、と、化野は彼を呼ぶ。大声で呼んだりはせず、すぐ隣にいる彼に話しかけるようにして、何度も呼んだ。

「ギンコ…ギンコ……。近くにいるんだろう、ギンコ」

 山道に入ってすぐのところで立ち止まり、化野はギンコの名前を呟き続けている。

「…出てきてくれ、ギンコ」

 そんな化野の声を聞きながら、ギンコはすぐ傍らの藪に隠れて蹲って、零れそうな嗚咽を堪え続けていた。 

 珍品狂いの藪医者で、その上、心のある人間を、自分の収集品と思って愛でるような、そういう奴だ。嫌いだ、と、そう言えたらどんなにいいだろうかと、彼は思っていた。

 化野は何も悪くはない。こんな変わった姿をしていて、物珍しく思うなと言う方が間違っている。珍しいとは言われたが、それでもちゃんと一人の人間として、化野は自分を見てくれた。それくらい判る。

 前に来た時も、華蜻蛉ばかり庇って難儀をさせて、それでも化野は、よかったな…と、そう言ってくれたのだ。忘れてなどいない。化野はヒトをモノ扱いするような奴じゃない。

 だったら、何故、いったい何がこんなにも恐ろしいんだろう。どうしてこんなに逃げたいのだろう。怖いのだ、どうしようもなく。もう一度でも、化野に触れられるのが怖い。目を見ることすらも恐ろしい。

「…ギンコ。なぁ、もしも聞こえてたら聞いててくれるか。今日の患者の話だよ」

 化野は急に妙な話をしだした。傍らの岩に座り、辛うじてうっすらと明るい藍色の空を、喉を反らして見つめながら、彼は淡々と話をする。

 ギンコは蹲った自分の膝に、片方の頬をのせた恰好で、耳に流れ込んでくる化野の声を聞いていた。このまま二度と、会えなくなるかもしれなくて、だからじっと声を聞いた。


 *** *** ***


今日の患者は、海の傍に住んでる婆さんなんだが…。

 何年も一人で暮していてな。旦那とはもう十年も前に死に別れて、一人息子はいるけど、山を越えた向こうの里に出向いて、そっちで海苔採りの仕事をしてる。

 いや、この里でも海苔は採れるさ。青左を覚えてるだろ? あいつは今も一人でここの海苔を採ってるしな。でも二人で採って売りに出て、身が立てられるほど豊かじゃない。

 年老いた母親のことも考えて、息子は里を出て時折稼ぎを置きに来るんだが、婆さん、一人になってすっかり気弱になっちまってな。その上、息子は隣の里で、気の合う娘に出会っちまった。

 息子はそんなつもりもないだろうが、婆さんにすれば、これで死ぬまで自分は独りでいることになったんだと、心の奥で泣いてたらしい。元々体も弱ってたし、そうやって消沈したせいか、先月あたりから寝たり起きたりしてたんだよ。

 近所のものは、かわりばんこに面倒見てたし、息子からもいい文が届いてたんだが。奥さんもらって、近い内こっちへ戻って、そっから先は一緒に住むからと、な。

 でもな、ギンコ。人間ってのは困ったもんで、あんまりずうっと淋しいと、淋しくなくなるのすら怖くなっちまうもんなんだな。下手に期待して喜んで、それが裏切られたらって、怯えちまうんだ。

 近所のものが、息子の手紙を読んでやっても、嘘だ、そんな筈ない、って言ってばっかりでな。その上、病が悪くなって何日も寝込んで、一人淋しく死なせてくれ、なんて言って…。

 でも、倒れたって聞いて、息子は山を越えて飛んできた。一緒になるって言ってるその娘さんの手を引いて、二人で何時間も歩き通してきたんだ。それで息子とその娘さんと、二人で婆さんに誓ってた。

 これからは、ずっと一緒に暮すから、そんな淋しい顔しないで、信じて、安心して長生きしてくれって。

 婆さんも二人に抱き締められて泣いちまって、見てるこっちまで貰い泣きだ。まぁ、ほんとによかったな、と思ったよ。

 だからなんだ…ってわけじゃないけどな。
 変な話して悪かったよ。

 なぁ、ギンコ。そこにいるのか? そっちへ行っていいか?
 さっきも言ったが、俺はお前をモノのように思ったことは一度もないよ。約束なんか、どうでもいい。お前は大事な友人だ。



                                    続

 








 お待たせしたうえに、変なところで終わっててスミマセン。どうもこの頃、スランプっているようでして、こんな難産は暫くぶりです。はーひー。なんかダラダラしてばっかりだし。

 でも、このノベルをこのまま放置し続けるのはとっても嫌だったので、無理やり書いてしまいました。それもどーだかな、とか思いつつ。だからこんな内容ですみません。

 先生、もう少しサクっとギンコさんを救ってあげてよ!とか思ったよ。ああ「あんたの方こそな!」って言い返されそうです。汗。

 ではでは。このノベル、ちらっとでもツボにはまるところがあると幸せです。


07/09/04







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