誘い叶う  … イザナイカナウ ・ 6 …




 閉じた襖を黙って開けた。開けると、壁の一面に作り付けた棚があり、上から下まで、そこに何かが乗せられている。薄暗いままのその部屋で、ギンコはぼんやりとそれらを眺めた。

 歪な形の巻貝。
 奇妙な絵の扇子。
 ツノのある小動物の骨。
 用途の判らない器具。
 変わった色の真珠。
 
 その真珠の隣に転がされた、小さな石を手にとって、ギンコは黙って唇を噛む。

 翡翠、だった。

 小さいが、酷く澄んだ色をしたそれが、僅かな光量の下でも光っている。項垂れて、幾分乱暴にそれを棚に戻すと、そこでコトリと、石は微かな音を立てた。

「翡翠より、綺麗…だってか…? そんなことも、ないけどな…」

 呟くと、その言葉のあとから、誰かが、どこかでこっそりと、自分を嗤っているような気がする。


 そうら、見なよ。この珍品達を。
 お前のことなんか、珍しい置物やなんかと同じなんだ。
 きっと少しは好かれているんだなんて、思ってたんだろうが。
 お笑い草さ。現実がやっと見えたろう…?


 薄暗い部屋が、なお暗く感じて、ギンコはそのままそこに、座り込んでしまいたかった。

「ギンコ。おぉい、ギンコ!」

 唐突に外から呼ばれて、ギンコはギクリと顔を上げた。化野の姿が見えないからと、閉ざされたこの部屋に勝手に入って、彼の収集品に手を触れていたのが、酷く悪いことのように思えた。

 物音を立てずにそっと出て、後ろでに襖を閉め、黙って縁側へと出て行くと、そこには化野ともう一人、焦った顔の里の子供。

「あぁ、すまんな、ギンコ。急ぎの往診が入っちまった。村外れの家まですぐに行かなきゃならん。婆さん一人だもんだから、山向こうの息子が戻るまで、ついてることになりそうだ。今日中には帰れると思うが」
「…あぁ、判った」
「え…ギンコ?」

 ギンコの様子がおかしいのに気付いて、化野は思わず数歩近付いた。だが彼の袖を必死で引いて、早くきてくれと訴える子供を、振り払うわけにも行かず、化野はただただ、心配そうにギンコを見る。

「早くいけよ。医家だろう、お前」
「わかっ…た。行ってくる」

 庭の外へと駆け出しながら、化野はそれでも振り向いて、真摯な顔で言うのだ。

「まだ、ここに居てくれるな? ギンコ」
「無論だ」

 そう返事をしたギンコの顔。項垂れて、唇だけに微かな笑み。その笑みが、何故そんなにもと思わされるような…哀しげな。

「ギ、ギン……」

 言いかけて、それから唇を噛んで化野は医家の顔になり、子供に引かれるまま坂を駆け下りて行った。ギンコは縁側に足を下ろし、両の素足を庭石に上に下ろし、無言のままでそこからの景色を見下ろした。

 海へとなだらかに続く山の斜面。その斜面に点在する粗末な家々。家々に潮風を吹き付ける海。その海の上に揺れる幾つもの波。

 波先に煌めいているあの光は、半分は日の光の反射だが、残る半分は蟲。潮風の中に、時折揺らぐ紐状のものは、「糸縒り」と近い種類の「縄萎え」だろうか。

 気付けば足元には、その「糸縒り」もいる。空気中に波紋を描いては消える、あまりに弱く微かな蟲も。

 ギンコはポケットから、よれた煙草を取り出して、その一本を唇に咥え、火を灯そうとして躊躇した。唇に、微かに残る化野の匂いが、消えてしまうのが嫌だった。

 そんな自分の戸惑いを、泣きそうな顔で自ら笑い、ギンコはそのまま煙草に火を付ける。白い煙が薄い膜のように揺れ漂い、傍らにいた蟲達は、波が引くように遠ざかっていく。

 こうして払っても、払っても…
 好いてくれるのはお前らくらいだよ
 なぁ?
 お前たちは、俺の何が好きなんだ?
 まさかこの白い俺の髪とか
 こんな色した俺の目が
 珍しいからじゃぁあるまいに…

 一本の煙草を吸い終わると、ギンコはまた例の部屋への襖を開けた。そこへ入ると、隙間だけ残して襖を閉じて、入り込んでくる微かな外の光を浴びながら、ずうっとそれらを見ていた。

 日が傾いて、部屋が暗くなっても、それでもギンコはそこにいる。波の音が、遠くから聞こえていた。それ以上に、小さな蟲たちの声が、途切れずに彼の耳に届き続けていたのだった。


*** *** ***


走っても走っても、見えるはずの灯りが見えない。あまりに乱暴に走り続けたので、とうに手元の燈篭は消えていて、ただ足に染み付いた記憶を頼りに、化野はその坂を駆け上る。

「ギンコ…っ! いるのかっ、いるんだろう、ギンコ…ッ」

 入り口へ向うのももどかしく、縁側へ向おうとするが、もう雨戸は閉じていて、中の様子は判らない。躓きながら改めて入り口へ走り、乱暴に扉を開けると、奥の方の部屋にだけ、ぽっ、と灯りが灯っているのが見えた。

「…返事、くらい…してくれても……。いや、居てくれて、よかった」

 無意識に医療道具の鞄を置いて、化野は灯りの方へ近付く。もう視界に入っているギンコは、二つきちんと敷いた布団の傍で、何か巻物を広げて眺めていた。

 すう、と顔を上げ、ギンコは表情のない顔で、それでも化野を労った。

「大変だな、医家も。夕餉とか、用意するべきだったか? 勝手が判らなかったし、あまりものも無いようなんで、何もしてないんだが」
「いや、俺は、婆さんの息子がくるのを待つ間、近所のものの差し入れを食べたが、お前は…?」
「俺はいつも持ち歩いてる干し肉とか、干し飯とかがあるから」

 折角来てくれたのに、何も振る舞わずに、しかも一日留守にして、本当に済まない…と、その言葉は、声にはならなかった。

 そんなことを言っている場合ではないのだと、化野は意識の何処かで気付いている。それよりも「何があった」と、問いたかった。「何故、そんなにも余所余所しいのか」と。

「化野。実は、俺も用があってな。出来れば、明日の昼には発ちたい」

 ギンコはランプの灯りを、少しだけ強くして、化野に言った。巻物は巻き取られて、彼の木箱に片付けられたが、視線は化野へは向かなかった。

「昨日、途中…だったんだろう? 嫌がって、悪かったよ。俺にはその権利はないのにな。だから、今からでも…。今は疲れてるんってんなら、明日の朝になってからでも…」

 告げられるギンコの言葉すら、化野に届く前に、畳の上に朽ちて落ちる。そんなふうに、彼には思えるのだった。


                                      続









 あんた達って、どうしてそうなのぉーーーーっ。

 すいません、読後の余韻もヘッタクレもない執筆後コメントですよね。泣。でも書きながら、泣きたくなってきちゃったので、一瞬、騒がせてやって頂けると…。

 幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよっ。判ってるのかよ、おぃぃぃっ! でも、このまんま不幸にさせておける訳がないよ、勿論さっ。頑張るよ、惑い星。

 ちょっとしかも、あんたたち、今回は互いに触れてもいないじゃんっ。ダメだよ、化野ギンコ、接触不足だと、私が禁断症状でちゃうから。あぁ、本当に壊れたコメントでスミマセン〜。


07/08/08