異なるもの  18




「起きたのか?」
「あ…あだし、の…?」
 
 仰天してもがくギンコの体を、抱き締めるようにしながら、化野は湯のみから湯気の立つ白湯を少し口にして、ギンコの顔に顔を寄せる。あまりに自然な仕草で唇を塞がれ、逃げるとかもがくとか、そういう仕草をするのを忘れそうだ。

「ん、くっ…やめ…。や…。んん…」

 湯はもう飲み下したというのに、化野は唇を離さない。深く重なった唇を吸うようにしされ、ギンコはそのまま布団の上に押し倒された。舌先で唇を辿られ、力の抜け掛かる腕で、ギンコは必死に化野を押しのける。

「は、ぁ…。はな…せ…っ」

 また体の奥に、火が灯りそうだ。蟲のせいじゃない。化野のせいでもない。それはきっと、ギンコ自身のせい。自分でどうすることもできないような、淫らな衝動に押し流されそうで、心底恐怖がわく。それは見開いた碧の瞳に、涙が滲んでしまうほどの感情だった。 

 その時、きつく抱かれていた腰から、不意に化野の腕が外された。急ぐでもなく、それでいて少し焦ったように、彼はギンコから身を離して、ぽつりと言うのだ。

「すまん。…つい……」
「つ…つい…っ、て」

 着せられてある着物の前を、無意識に片手で掻き合わせ、ギンコは見開いた目で、化野を見ている。何があったか、勿論、忘れたわけではなかった。いきなり押し倒され、唇を塞がれたことも、肌を辿られたことも覚えている。

 貪られるように、その腕に抱かれた。逃げたい思いよりも、身を投げ出したい欲が勝り、体を縦に貫かれるような激しい快楽に、ギンコはあの時、確かに溺れたのだ。

 そして、そう…。ギンコから、化野の唇を求めもした。縋り付いて、唇を吸い、深く舌を絡めた。

 それが、紛いようのない事実。ただ、ギンコからそうしたのには、理由が一つあった。蟲のせいだ。ギンコの眼窩から、化野の口へと入り込んでしまった『洞居火』。

「あの…な」

 どう説明したものか。説明して判るものなのかも、正直、判らない。

 あの蟲がずっと自分の眼窩に潜んでいたように、今度は化野の中に入ってしまったのを、そのままにしておけなかった。だから…。だからああしたのだ、と、どうやって伝えたらいいのか。

「あの時…蟲が…」
「判ってる。別に誤解、したりとかはしない」

 見るからに怯えた顔のギンコから、化野はゆっくりと離れた。畳の上に、腰を滑らすように後ろに下がって、部屋の端までいって襖に背中を預ける。

「蟲が俺の口から入ってったんで、それを抜き出そうとして、ああしたんだろう。お前は、蟲師の役割を果した。んで、その蟲がさっき、月みたいな姿になって、空に昇ってった…。そうだろ?」

 大雑把な言い方だが、その通りだった。話が蟲の方へ逸れていくのが、何よりギンコは嬉しい。

「どんな蟲だ。詳しく聞きたい。さっきは俺にもはっきり見えたんだ。今はもう…見えないが」
「…ああ。あれはな…」

 問われて安堵し、ギンコは話した。化野がその話に夢中になるように、丁寧に、詳しく、殊更に時間をかけて。

 あの蟲は湿気と、より強い熱を喰らって生きる蟲。そうして成長し、白く丸い形になって天高く昇り、蟲師にすら見えない存在になって、上空で長い長い年月を生きるのだ。

 それは数百年生きるとも、数千年生きるとも言われている。その命が消える頃、地上におりて己の身を無数に千切れさせ、またあの蒼い焔の姿になり、その生を繰り返すのだという。

 白い月のような姿の『月揺』となれば、もう人に害はなさないが、そうなる前の蒼い焔は、それなりに危険な存在だ。人の身の内に入れば、穢れた空気や煙を嫌う性質のせいで、時として入れ物となった人の体に、痛みを与えることもある。

「…ふぅん…。じゃあ、あの時、本当に俺の体の中に蟲が入ってたのか。別に、なんの感触もないようだったが」

 化野は自分の顎に触れながら、興味深げな顔をし、立てた指の先で開いた唇の上をなぞっていた。蟲の話を聞き終えて、そんなふうに言うと、彼は暫し黙り込む。

 化野は視線を下に逸らし、自分の膝の先の畳を黙って眺めているのだ。

「…まあ、よかったな、『月揺』が見られて。それなり珍しい蟲だし」

 ギンコがそんな事を言ったのは、その沈黙が重かったから。化野がいきなり立ち上がって、傍らを通っていくのに、彼は思わず身を竦ませる。それだけ、まだ化野の所作に、彼は怯えてしまう。
 
 ぱん…と微かな音を立てて、開きっぱなしだった障子が閉められた。外はもう、日の出を間近に待つ時刻。障子越しでも、部屋には明るい光が差している。

「…じゃあ、今度はこっちの話、だな」
「な、なんの…」

 出来れば聞きたく無い。いたたまれないようなギンコの気持ちを、化野は判っているのか、いないのか。微かに笑いさえして、彼は話し始める。

「言ったろう。つい…、と」

 白湯を飲ませるついでに、化野はギンコの唇を吸った。舌を、その口に滑り込ませようともした。つい、する事ではないと、誰にでも判ることだった。

 手を伸ばせば、ギンコの体に届くかどうか…。そんな微妙な近さに腰を落として、化野は続きを語ろうとしていた。

「酔ってたからとか、膝の具合を診る時のお前の態度がどうとか、別に、言い逃れる気はない。ああ、医者だから患者をそういう目で見ないとも言ったな。そんな偉そうなことも、散々言ったが、正直を言って、俺は」
「い、言うな」

 化野の言葉が止まる。怯えた顔をしたギンコを見て、化野はそうして一度口を閉じたが、それでも、そのままさらに言葉を続けた。













 化野先生、自分の気持ちに正直すぎです。お育ちがいいから? 拒絶されたらどーしよとか、思わないんですかね? ちょっと書いててドキドキしちゃうよ〜。ってか、ギンコさんが一番ドキドキでしょうけどねっ。

 この話の中ではねー。これ以上の進展は、させないようにしたいデス。暴れないで下さいな、化野先生。ケダモノ化はダメだぞ。今はまだ、理性のヒトでいて欲しいんです。お願いしますっっ。

 思わず、頼んでみました。はは。そりゃ、力ずくでモノにしようとすれば、ギンコさんには抵抗できないと思うけど、でも二度と会いに来てくれないかもしれないよっ。ってことで。笑。

 えーと、もしかしたら、次回でこの連載、終わるかもしれません。書いてみないと判らないですけどね。でも、終わったら終わったで、次の連載をすぐ始めるしっ。

 読んで下さってる皆様、今後ともよろしくでございます。


06/09/16