異なるもの  15




 また幾日か経った、涼しいある日の宵。
 垣根の向こうから、青左がひょこりと顔を見せ、縁側に並んで座っている化野とギンコを見るなり、大声を出した。

「先生、今夜はいい風だなぁ。今からみんな集まって来るから、ちょっとそこいらへん、片付けてくれよ!」

 まただ。と、化野は心の奥で呆れ返る。確かに農家の奴等も漁師たちも、夜は大してやることもない。その上、こんな過ごしいい夜は、ただでも仲のよいもの同士、集まって騒ぐのが常だ。

 青左が言い終えるか終えないかのうち、坂の下からガヤガヤと、人の騒ぐ声がする。頭を掻きつつ億劫そうに、化野は畳の上に広がっている本やら何やらを、重そうに抱えて隣の部屋へ運び出す。

 入れ替わりに運び込まれた料理に酒、十人と少し程度の村の面々。最初に集まったあの日と同じように、一瞬にして、化野の家は賑やかな集会場のごとしとなる。

 青左は当たり前のように、ギンコの隣に陣取って、膝が触れるほど傍で、何くれと話しかけてきた。

「あんた、生まれはどこなんだい? いや、待ってな、俺が当ててみっから。ええっと、あ、あれだろ、雪の多いとこ! だって、あんた綺麗な雪みたいな髪してるし」
「さあなぁ…」

 ギンコは、曖昧に言葉を濁す。ギンコの逆隣にいた化野は、自分もそれを聞きたくて、半ば身を乗り出していたのだが…。

「化野、お前も…そういうこと、知りたいとか思うか?」

 問いかけた青左へではなく、化野の方を斜めに見て、ギンコはそんな事を言った。その深い翠の瞳に見つめられ、化野は自分の心臓が、どきりと跳ね上がる音を聞く。

「あ、いや…。俺は…」

 ギンコは妙に静かな目をして、それから緩く笑みを浮かべると、青左の方へと顔を戻して、実に巧みに話を逸らしてしまった。化野からは、青左の方を向いた、ギンコの横顔が見える。

 前髪に隠れた左の目は、ちらりと見える時もずっと目蓋に塞がれていて、最初に見た蒼い蟲を、化野に思い出させた。いつも、いつも、ギンコは布団に横になった後で、蟲の話を一つだけしてくれる。

 けれど、その蒼い炎の姿をした、綺麗な蟲の話をしたことは無かった。そして、ギンコ自身の事が判るような話も、一つもない。やっぱり、話したくないのだろうと思って、化野は今までずっと、それを聞こうとしなかった。これからも、多分。

「なんだぁ、先生、湯のみなんかと睨み合って。こういう日は、酒だよ、酒! うちの秘蔵の赤菜酒だ、今飲まにゃ無くなっちまうよ」
「…俺は酒はいらん。あんたらの誰かが飲みすぎてぶっ倒れたら、介抱しなきゃならんからな」

 飲みたくない時には、いつもそうやって逃げてきたのに、もういい加減に酔っ払ったオヤジは、化野の言う事など聞いてやしない。大きな徳利を、どすんと置いたと思ったら、別の村人の器を取って、それに並々と赤い酒を注いだ。

 赤菜酒は、紫の色をした紫紅の葉を、何年も焼酎につけて作る酒で、簡単には出来上がらない上、美味に仕上がることも稀だから、確かにそうそう口に入るものではなかった。

 仕方ない、折角だから一口だけ、と思わず手が伸びたのは、その酒の色と香りに惹かれたせいか、それとも化野の心のどこかに、酔いたい気持ちがあったせいなのか…。



 家の中を、海を渡った涼やかな風が渡る。波の音が、村人達の笑い声の合間に聞こえて、それもまた心地いい。

 そういえば、一昨日の夜だったか、飲むと蟲が見えるようになる酒ってのも、あるんだと聞いたっけ。

 そんな事を思った時には、自分でも知らずに、化野はかなり酔っていたのだ。火照った体に、縁側から吹き込む風が心地いいが、半袖を着たギンコの腕が、何故か妙に寒そうに見える。

「ギンコ…」
 と、ただ名前だけ呼びかけた。そして化野はふらりと立ち上がって、壁伝いに隣の部屋へと入って行き、持ってきた自分の着物を、ギンコの肩にかけてやる。

 肩を包むようにさせ、それから、ギンコの傍らに膝をついて、怪我をした方の彼の膝を、着物の裾の方で丁寧に覆う。

「治りかけってのは、意外に冷やすと厄介だからな…」

 その静かな言い方と、ギンコを見る眼差し。村人、皆がそれを見たが、青左が最初に、居づらくなって膝を浮かせる。

「あー。ええっと…俺、明日の海苔採りの用意がまだだったから、そろそろ…」
「なら、俺も手伝ってやるよ」
「じゃあ、少し冷えてきたし、うちんとこも」

 そう言って、それから村人は帰り支度を始め、次々と帰っていき、半時もしないうちに、化野とギンコは二人になった。不意に二人にされて、かえって化野は居心地が悪い。

「なんだ、あいつら、いきなり来て、いきなり帰っちまって」

 部屋の中に居ながらにして、丁度、月がよく見える場所を選んで、化野が畳の上に脚を投げ出して座る。その乱暴な所作を見て、ギンコは呆れたような顔をしていた。

「随分、飲んでたみたいだな、化野先生」

 そんなふうに言われて、化野はとうとう、仰向けに寝転がってしまい、首を横に向けて、酒の残った大徳利を眺める。

「……誰のせいだと、思ってんだか」

 化野の投げやりな呟きを、耳にした様子はなく、ギンコは更に言葉を接いだ。

「酔っ払いを介抱するのは、医者先生じゃなくて、俺になるのか? もう今日は飲むなよ、化野」
「…介抱、してくれるのか…?」
「怪我人に何させる気だ? お前」

 何も特別なことなど無い、その些細なやり取りに、心臓が煩い音を鳴らす。仰向けの体を、ゆっくりと起こして、ほんの僅かだけギンコの方へと寄って、化野はぽつりと言った。

「今夜は、その左の目にいる蟲の話を聞かせてくれ。そうでなければ、お前の…お前自身の話が、俺は聞きたい…」

 怖くて、そんな言葉さえ、今まで言えなかったのだと、胸に深々とした思いが染みていく。酒のせいなどではなく、化野の目に映るギンコは綺麗だった。

 髪は海を渡る白い霧のようで、瞳は霧の中で露に濡れる、草木の緑のようだった。

 その目が化野を見ると、化野は心が揺らぐ。
 その声が聞こえると、化野は辛くなる。
 そこに、目の前にいると思うと、胸の奥が痛んでどうしようもない。

 ギンコはやがて、ここを出て行くのだ。
 その目は、化野の居ない風景ばかりを映し、声は化野のいない場所で響き…。ギンコは化野の居ない世界に旅を続ける。

 食い入るように自分を見る、そんな化野の目に、その時、ギンコは何を感じただろう。幾らか、怯えたように顔をそむけ、彼は片膝を駆使して化野から離れようとする。

「…本気で、酔い過ぎまってるようだ。今日はもう、すぐ眠ったがいい。布団…。あっちから引きずってくりゃいいだけだろ。なんなら、俺が敷けるかどうか、やってみても。…っ!」

 肩に掛けたままだった、着物の裾に化野の片手が掛かった。そのまま、着物を畳に縫いとめられて、ギンコの体は均衡を崩す。次に足首を掴まれ、指でくるぶしあたりをなぞられ、あっさり膝から力が抜けた。

「あ、あだし…ッ」

 叫んだギンコの唇に、化野の熱い息が触れる。両肩を押さえ込まれている事も、脚の間に化野の片膝がおかれていることも、気付く余裕は無かった。

 その時の感情に、付ける名などない。逃げたいのか、それとも流されたいのか、それすらも、ギンコは判らなくなっていたのだった。


                                       続











 なんか。このまま、Hっちへ突入するんだぜーっ。イェーイって、期待されると困る惑い星なんです。すみません。突入はしない、と、だけ告白しておきます。でもーーっっ。私が欲求不満じゃよ!

 さっきも友人とチャットしていて、そんな話になり、アブにゃイ、蟲話を一本、書きますねとか豪語してしまった。でもそれはきっと、この連載が終わってからっす。

 しかし、この後のキスシーンが、Hシーンではないですが、エロくなると思われます。なので見捨てずお付き合いくださいぃぃーっ。

 酔った勢いで、押し倒しちゃったのにさ。そのあと、特に理由があったとはいえ、ギンコさんから…ごにょごにょごにょ…。なのにさ、普通の友人として…というスタイル、崩さないってか!? 

 そんなの無理…てーか、いい根性ですね。二人ともっ。驚いちゃうよ、惑い星は! そんなに一歩踏み出すのが怖いか?! まあね、恋すると、人は臆病になるのさ。

 判ったよ。仕方ないから、惑い星は読んでくれる皆さんと一緒にタイムマシンに乗って、貴方達がもう、カラダの関係ありありな世界に行って、(ショートシーンの小説で)堪能しまくっちゃうからね!へへーん、だ!

 ま、またコワレてるな、自分。


06/08/19