異なるもの 14
あの宴会騒ぎの日から、余所者のギンコが珍しいのか、それとも騒ぎたいだけなのか、村人達は時折、この家に集まってきている。
昼どきだとか夕飯どきに、示し合わせたとしか思えない様子で、化野の家に上がり込んで騒ぐのだ。それが大体、週に一回程度、庭の中くらいしか出歩けないギンコは、退屈しなくていい、と笑う。
思えばもう、ギンコがここで行き倒れた日から、三週間が過ぎようとしていた。時の経つ早さを思って、立ち働く化野の手はふと止まる。もうギンコは、杖をついて歩く練習を始めた。今も、庭の中で懸命に訓練している。
傍らに置いた、彼の脚の治療用の薬を、複雑な思いで化野は眺めた。
と、ギンコのいる部屋から、話し声が聞こえてくる。化野は、調合する薬を、奥の部屋の棚から選びながら、酷く苛々とそれを聞いた。
また来てるのか、あいつ。
苛立ったまま、両腕に薬の材料を抱え、彼は無言でギンコの傍に戻る。ギンコは半分開いた障子に、体を寄りかからせて座り、村の若い男と話をしている。
「おー、また邪魔してるよっ、先生」
「青左、お前、自分の仕事はどうなってるんだ。三日とあけずに油売りに来やがって」
いきなり不機嫌な顔でそう言われても、彼は一向に気にする様子がない。
「んん? 仕事ったって、俺ん仕事は昼日中の引き潮時だけだって、先生、判ってんだろ。だから今日みたいに、引き潮が夜や明け方前の日は、仕事になんかなんねえよ」
"あおざ"と呼ばれたこの男は、岩場の方に住んで、海苔採りを仕事にしているから、当人が言うとおりに、潮が満ちている時間は大した仕事はない。
暇なのは判るが、なんだってこう、しょっちゅう来るのだろう。週に一度程度、集まってくる村人たちなどとは比べられないくらい、彼はここにやってくる。一日置きか、下手をすれば毎日のように。
そうして来るたび長々とギンコに話しかけて、青左は段々、馴れ馴れしくなっていくのだ。まるで昔からの友のように見えてくる。
化野が苛立っているのなど、気付いているのかいないのか、青左は縁側に座ったまま、幾らかギンコの方へ身を乗り出す。そして、じっとギンコを見つめながら言い出した。
「なあなあ、こないだから思ってたんだけどさ、あんた、なんか綺麗だよな。髪とか。それに目なんか…。深い海ん中から、陽のほう見上げっと、時々、こんな綺麗な翠色が見えんだよなぁ」
「そうか? そんなこと言われたことなんか、いっぺんもないが」
ギンコは軽く笑いながら、淡々と答えている。青左は着物を絡げたむき出しの片膝で、縁側に乗り上げて、さらにギンコの目を覗き込んでいた。
「へえ? 言われねえ? っかしいな、誰が見ても綺麗だと思うけどなあ…。なんで、前髪長くしてんだ? もうかたっぽも見せてくれよ」
化野は腹の中に居心地の悪いものが渦巻くようで、無言でいつつも更に苛立つ。苛立って、心の奥で奇妙な事を思った。
…髪とか目とかも綺麗だが、そんなんじゃない。俺はもっと、ギンコの特別な顔、もう何回も見てんだぞ。知らねぇだろ、青左。
思った途端に化野はぎょっとした。脳裏によぎるギンコの姿に、その声に、息遣いに、ほんの一瞬で、その時置かれている状況を忘れそうになった。
殆ど呆然となって、その場に立ち尽くした化野を見て、何を誤解したのか、青左は慌てて腰を上げ、庭先から小道へと出て行く。
「なんだよ、先生、おっかねぇなあ。じゃ、またな、ギンコ」
ギンコは縁側に置かれた皿を、化野の方へ押しやってから、いぶかしむように彼の顔を覗き見た。皿の上には、湯気を立てる炊き込み飯と、ふかした芋。青左が土産に持ってきたものだ。
「どうかしたのか?」
「ギンコ」
縁側にどかりと腰を下ろし、化野はギンコの方に、斜めに顔を見せたままで項垂れた。傍らに薬の材料や、調合用のすり鉢を置き、溜息を吐きながら片手で顔を覆う。
「ギンコ、あまり…無理はするなよ」
なんの事を言われたのか、一瞬判らなかったが、化野の視線の先に、歩く練習に使う杖があるのを見て納得する。無理をして、折角治りかけた足の筋が、また悪化するのを気遣っているのだろう。
それにしても、化野の様子は何処かおかしい。さっきまではいつも通りだったのに、青左が来てるのを見た途端、いきなり怒り出したように見えた。
「あだし…」
「じゃあ、飯にするか。青左もたまには気が利くんだな。冷めねぇうちに、それを頂くとしよう。茶を入れてくる」
にっ、と笑って、化野は立ち上がり、すぐに背を向けて台所へと消えた。様子が変だと思ったのか、ただの気のせいだったのか。
火をおこす音、外の井戸で水を汲む音が聞こえる。それを聞きながら、ギンコは化野が傍らに置いたすり鉢に手を添えた。
まだ、ほんの僅かだが、化野の手の温もりが残っている。じわりと滲むように、その温かみが体の芯に染みた。指先で、すり鉢の中のすりこぎを突いて転がし、ギンコはぽつりと呟くのだ。
「無理はするな…か…。それが、そうもいかねぇんだ、化野…」
閉じたギンコの左目の奥で、別の生命体が、ひっそりと蠢く。炎が揺れるように、彼の眼窩で熱の塊が息づくのだ。ギンコはその熱に、心の奥で話しかける。
…なあ、もう少し、待てるだろう? ここを発ったら、もっと湿り気のある沼の傍とか、谷地とかに行ってやるよ。それまでは、狭いだろうが、俺の眼窩で我慢してくれ。まだ「洞居火」のままでいてくれよ。
この蟲を、この村の中に放つ訳にはいかないのだから。
まだ満足に動かない足を、ギンコはじっと見下ろした。手で触れると、自分の手のひらの感触よりも、化野の手の熱さを思い出し、その身は深く熱を持つ。
その熱を吸って「洞居火」はゆっくりと、成長していくのだ。眼窩の奥という洞の中に、ゆらゆらと揺れて居座っている一塊の蒼い火。
…もうすぐ何とか歩けるようになる。そうしたら、この村を出ていこう。俺の集めてしまった蟲を連れて、眼窩の中の蟲も共に。今までと同じように、独りで。
淡い雲が切れて、日差しはますます強くなってきた。ギンコが腰で這うように、何とか部屋へ入ると、化野が盆に湯飲みを二つと、飯茶碗と箸と皿をのせて運んできた。
ご丁寧にちゃんと飯を分け、芋を皿にのせなおす化野を見て、育ちがいい、と、またギンコは笑う。残り少なくなった和やかな時間は、そうやってゆっくりと流れていくのだった。
続
焼きもちやきの化野先生です。あははははっ。ってか青左、いい役目をしてくれました。自分の中の設定では、青左はセンセよりギンコさんよりも年下です。少年っぽさを残して青年っていうかね。
だから別に、ギンコさんに特別な感情を持ったっていうんじゃなく、綺麗だと思ったから綺麗だって言ったまで!なのです。そんな相手に嫉妬ボーボー燃やして、あげく、しっかりと自分の気持ちに気付いたのかな? 先生は。
判っていたとは思うんだけど、気付いてて自分にも気付かない振りしてたのかね。先生はギンコさんに性欲あります。そして恋すらしているみたいです。薬を用意しながら、いっそ、治らんでもいいのに、なんて思って、自己嫌悪する、医者としても真面目な人です。
好きだわ、先生。そしてギンコさんも。二人とも純粋なんだよね。
蟲を引き連れて独りで、去っていく決心をしているギンコさんが、ちょっと悲しい。蟲っていえば、蟲のことも少し触れましたね。もう少し詳しくは、日記に書きますねー。
06/08/12
