異なるもの 13
無理に体を捻って逃げようとすると、膝に激痛が走るが、それでも逃げたくて、ギンコは両膝でもがく。
「ぁあ…ッ」
「こら、大人しくしろって…っ」
顰めた顔と、その動きをどう思ったのか、化野はあっという間に、ギンコのもう一方の脚まで捕らえ、その膝を上にすくい上げる事で、ギンコの動作を封じてしまった。
両膝を立てた上、その膝を開いたままの形で、ギンコはそこに仰向けに転がされる。着物は腿まで捲れて、そんな彼の開いた脚の間に、化野が片膝を進ませたような…そんな状況…。
離せ、見るな…と、叫びたいその唇を、黙ったままで震わせて、ギンコはそれでも、それ以上は暴れなかった。
「お前な…。別に、こっちは無体をしようって訳じゃねえんだから…。なんでそう嫌がるんだ」
淡々といって、ギンコの膝を幾らか動かして確かめ、やっと化野は彼の体から離れた。ギンコは力なく体を横に向け、上に布団を掛けられて、その布団の下に頭を潜り込ませる。
化野は奥へと一度引っ込んで、それから戻ってきて、自分もギンコの隣の布団に入って、枕元の明かりを消す。今日こそは、蟲の事や、ギンコの事を聞きたいと思っていたのに、それもできそうにない。
疲れ切った怪我人が休むには、今日の夜は、元々更け過ぎていた。何処かで、蛙の声がしている。化野にとっては聞きなれたもので、もう気付くこともなかったのに、今日はそれが、やけに大きくはっきりと聞こえた。
波の音が、遠くから静かに響いて、続いているそれを漠然と耳間にして…。
暫く後、ギンコの体が布団の中で動く。仰向けに寝返りを打って、彼はぽつりと呟いた。
「本当は、さぞや迷惑なんだろうな」
化野の返事は無い。変わりに静かな寝息が聞こえてくる。聞かれていないと知って、ギンコはかえって言葉を続ける気になった。
「こんな…色んな意味で、妙な余所者を拾っちまって、治療代も食べ物の分の金も、入りやしねぇんだし」
化野の寝息をいくつも数えて、ギンコはまた呟く。
「俺が気持ち悪かねぇのか? それとも、珍品好きの先生は、こんな人間も好きか…? もしそうなら、少しは俺も気が楽だけどな…。正直、こんな醜態さらして、這ってでも出て行こうとしない自分が、俺は自分で判らんよ…」
そして、ギンコが眠りに落ちかけた頃、今度は化野の方が、不意に何かを言い出したのだ。
「なぁ、ギンコ…? 起きてるか?」
ぎくりとして、ギンコは身を固くするが、さっきの独白を聞かれたとも思えない、妙に暢気な声が問いかけてきた。
「お前さ、俺に色々聞かれるの、嫌か? 蟲のこととか、お前自身のこととか…。さっきは村人に、いくつか答えてたようだったが」
答えるか、眠ったふりをするか迷っていたはずなのに、ギンコの唇はその迷いを裏切って、するりと答えを呟いている。
「…あんたは色々聞きたいんだろ? それが治療代代わりなんだしな。まあ、聞かれた中に嫌な問いがあったら、それには答えねぇさ。そこまでの義理はねえ」
冷たい言い方のようにも聞こえたが、化野には気にならなかった。彼は一度起き上がり、拗ねた子供のような声で言った。
「そんなら、一つ。一晩、一つきりでいいから、話してくれるか? 何か…蟲の話」
「…ああ…いいよ」
「じゃあ、綺麗なのがいい」
これでは子供を寝かし付ける時に、母親が昔話を一つ聞かせるようなものだ。ギンコは奇妙な気持ちになりながら話を始めた。光酒と、光脈の話を…。
それは化野にとって、不思議な世界の話だ。目には見えず、気配を感ずることもなく…けれども、確かに存在するものたち。
ギンコがそれを話すと、その淡々とした語り口調が耳に染み、胸に染みてくる。そうして見えるはずのないのが、見えてくる気がするのだ。
布団を敷いた、畳の床がゆっくりと透き通って、遠い地の下の遥か向こうに、金色にとうとうと流れるものが見える。谷底に流れる大河の流れが、やっと微かに聞こえるような、そんな音が聞こえる。
美しい音。美しい姿。不思議な生き物の、命の在りよう…。
同じく一つの場所に住むものでありながら、まるで別の世界を覗き見るようだ。
気だるげな声で話すギンコを、じっと見ている化野の眼差しは、子供のようにあどけなく、そして何かを懐かしむようにも見えた。
話し終えるとすぐに、化野は寝入ってしまう。閉じた目蓋も唇も、満足そうに少し笑っているように、ギンコには見えた。布団に身を起こして、そんな化野の寝顔を眺めてから、ギンコもまた布団に潜り込む。
足が治るまで、大体一月。一月も…。
押し寄せる眠気を感じながら、ギンコはそう思った。足が治って、旅を始められるまで、無理をしても、一月。
長いな、と、彼は思う。それが嫌なのか、それともその逆の思いなのか、ギンコには判らなかった。判らないままでいられるよう、考えようとせずに、睡魔に身を任せ、彼は眠りの中に落ちていくのだった。
続
今回は、いつもより少しだけ、短めになってしまいました。キリが悪くなるので、これ以上、先を載せてもねって。
前回アップの前に、ここまで書きあげてあったので、今回はそれを手直しして載せたんですけど、私、そういうのダメみたい。書いてすぐアップする方がいいな。書いてあるやつを載せるだけって、つまんないってかね…。我が侭な惑い星なのよ。ふ…。
さて、この頃やっと、このストーリー先が、見えるようになってきましたよ。い、今頃?とか言われそう。多分、今、三分の二辺りまで来ていると思うけど、クライマックスに入ると、文が長くなる傾向にあるので、ホントに長さで三分の二もきているのかどうか、自信はないですね。
そのクライマックスのシーンでは、濃厚なキスを書きたいな。と、思ってます。けど、思わずそのまま、もっとヤバヤバなシーンまで、なだれ込まないように注意しないと! ねっ。 あはー。
07/08/02
