異なるもの 7
酷く、いい天気だった。道を行きながら視野を見渡すと、村を包むように砂浜が広がり、弧を描く湾には、小さな漁船が影になって浮かんでいる。日差しを浴びて、海はきらきらと輝いていた。
「ここらで一番…眺めの、いい場所だ。な、悪くない…だろ?」
化野の声が、浅い呼吸のせいで切れ切れになる。大の男を背負って歩いているのだから、それはあまりにも当然だった。ギンコは曖昧に返事をしながら、大人しく化野の背に揺られている。
「…膝、平気か? 痛むんなら、ちょっと小休止するぞ、ギンコ」
「気ぃ遣わせてすまんね。今んとこ、大丈夫だ」
ずれた膝の関節を、強引に入れ直したのは昨夜のこと。痛まないと言えば嘘になるのだが、そんな事は取るに足りない。それよりもギンコは、化野の鼓動が、はっきりと聞こえるのが気になる。その背中の温度や、膝裏を抱えた腕の熱さが、気になって仕方ない。
化野はずっと歩き続けているから、その足の運びと同じに、彼の体は揺れて、触れている腕の筋肉が動く。隠した内心で、ギンコは自分に悪態をつき続けていた。
…一体、こりゃ何なんだ? 昨日といい今日といい、どうかしてる。
ギンコの焦りなど判らずに、化野はどんどん歩いていく。見晴らしのいい場所を通り過ぎ、畑と畑の間を抜け、あぜ道を遠くに見ながら、浜辺の傍の道を進む。
そこらにくると、足元の道の土に、砂が混じり込んでいて、随分と歩きにくいのだろう。進む速さが遅くなり、とうとう化野は音を上げた。傍らの木に手をそえ、それを支えにして屈んで、傍らにあった岩の上に、ギンコを座らせた。
「まだ、半分来たくらいか。結構、遠いもんだな」
だから負ぶっていくなどと、無茶だというんだ。そんな言葉を飲み込んで、ギンコは黙って化野を眺めた。潮風を浴びて、心地よさげにしている姿が、後ろに広がる風景に馴染んでいる。
空と海と山、この、辺鄙だけれど豊かな土地が…。そこに住む、目に見えない微細な生き物が…ここに住むものとして、彼を認めている。そんな感じがして、ギンコには少し眩しかった。
「どら、足、見せてみな」
眩しいからと目を逸らして、逆の視野に広がる深い山林を眺めていたら、不意に酷く間近から声が掛けられる。振り向くと、目の前に立った化野が、丁度、ギンコの前に身を屈めるところだった。
「別に、痛かねぇよ。何もここで見なくとも」
人の姿は見えないけれど、ここは通りのすぐ脇だ。こんなところで診察する気かと、咎めは出来ても、ギンコに拒む術はない。微かに膝をずらして、嫌そうにするのが判ったのか、化野は腕を伸ばして、彼の片足首を押さえてしまった。
熱い手。触れられて平静でいるのが、難しいくらいに。
「こういう時ゃ、和装のが数段便利だ」
そんな事を言って、化野はギンコの着ている着物の裾を割る。紫色の腫れはかなり引いて、膝の熱も薄れていた。膝の皿のあたりに指を這わせ、化野が真剣そのものの声で呟く。
「ちっと動かして…上下に。斜めに向けてみろ。痛かったら無理はせんでいいぞ。…腫れも熱も引いてきてるし、薬が効いたな」
それから化野は、怪我をしていない方のギンコの足の、ふくらはぎに手を置いて、治療とは関係のないことを言った。
「日頃、あんまり日に当たらんのだろう。…色が白いな、ちょっと…女の足のようだ」
蹴飛ばしてやりたいような心境で、ギンコは化野の顔を見下ろした。化野はそんな事を言いながら、自分の言った言葉の奇妙さに気付いていない。どっこらしょ、と立ち上がって、腰を前後左右に伸ばしている。
「さて、先へ進むか」
「…負ぶさりたくなくなるようなことを、言っといて…」
「ん? なんだ?」
聞き返しながら、またしても化野は強引だ。岩に座ったギンコを背負うのは、家で床から背負うよりも随分と容易い。背負って、今度は緩い坂を上り始める。いよいよ、峠に差し掛かるのだ。
坂を上ると、化野の体温はますます高くなる。触れている化野の背中から、重ねたギンコの胸へと、その熱が移っていく。鼓動の激しさも、二人の間を通るように、同じように強くなった。
「…さっき」
かなり登ってから、化野が速い息の下から、言葉を紡ぎ出す。ギンコは化野の肩に触れた顎を動かして、聞いている…と意思を伝えた。辛そうな彼の息を聞きながら、平気な声で返事をするのが、嫌だったからだ。
けれど、化野はギンコの返事を欲しがる。ただ頷いただけでは、言いたい事が、伝わらないような微妙な問いを、彼はしてきた。
「さっき、妙なこと言ったな、俺」
「…ああ…まあな。何だ今更」
「思ったことを、腹に溜めておけない性分でな。すまん」
それは、つい心にも無い事を言ったという訳じゃなく、あれが本心から出た言葉だと言うことだろう。そんな言葉を、入ってしまった耳から脳から、掻き出してしまいたくなるギンコ。
「女の足なんざ、まじまじと見たこともねぇから知らんが。年がら年中、山ん中彷徨ってる俺らの足は、そう生っひょろくはねぇだろ」
「いや、そう…いう意味じゃなくて、だな」
「…言わなくていいぞ、その先は。というか、言わんでくれ」
思わず押し留めて、ギンコは軽く息を詰めた。唇から零れた息が、間近から化野の首筋に掛かる。そんなことすら気になって、その、気にしている自分が馬鹿のようだ。それに、今にも妙なことを言い出しかねない化野が、怖い、ように思える。
「ふー…っ、峠、やっと登り切ったな。おお、絶景かな」
朗らかに言って、ギンコを背中に乗せたまま、化野は見晴らしのいい場所に立った。休むとそれだけ、体の疲れに気付いてしまうからか、彼はすぐに峠を下り始める。急勾配を下りていくと目的の松林が、割と近くに広がって見えた。
と、ずっと首に回されていたギンコの手の指が、肩の上に妙に食い込んでくる。化野がその事に気付いたのは、坂を下り始めた直後だった。
「どうした。膝が痛むか、ギンコ」
続
ちょっ…。暴走しすぎです。お二人さん、惑い星ひとりを置き去りに、どんどん行っちまわないでくださぃぃぃ〜っ。泣。…いやぁ、そうなんです。予想外の展開に、置いてかれ気味です。どうしよう。こんな筈ぢゃあ、なかたあるョ。思わず中国人風になっちゃいます。
先生っ、ギンコさんの生足に欲情しないで下さいっ。ギンコさんも、センセの体温に、地味に萌々しているのに、これじゃあ、アンタ方の恋(いや性欲?)に、なんの障害もないじゃないですか?
松林で一発ヤる? いやいやいやいや、そんな訳にはいきません。そんな訳に、行く筈が無いでしょう? あ、ダメだ。小説後のコメントまでが、こんなに乱れているよ。とほほ。
もといっ(仕切りなおし)、この後、ギンコさんは自分の荷物と一緒に荷物扱いされる予定。村を横切ったのに、村人の姿がありませんでしたね。シャイなのかなぁー。
06/06/12
