異なるもの  6




「珍しいものなんだろう、その…お前の言う、別の生き物ってのは」

 ギンコが器を盆に置くか置かないかの内に、化野はそう尋ねた。ギンコは彼の方を横目で見ながら、焦らすようにゆっくりと湯飲みを手に取り、茶を一口すする。

「薬はいいのかね」
「あーっ、ほら、薬だ。痛み止めと化膿止め。早いとこ飲めっ。早く飲め!」

 忌々しそうに、薬を取り出す化野の仕草。その言葉。薬包と白湯を手渡され、面白そうな笑いを浮かべながら、ギンコは薬を飲み終えて、やっと話を切り出した。

「別に珍しかねぇよ。そこらへんに幾らでもいる代物さ。煩いくらい、あっちこっちでザワザワ言ってる」

その言葉を聞いて、化野は拍子抜けしたようだった。それでも不審げに、彼はギンコに問いかける。

「そこらへんにって…。俺は見たことなかったぞ。その…昨日、お前に纏わりついてるヤツがそうなら、それが始めてだ」
「通常、見えないもんなんだよ。条件が重なれば、普通の人間にも見える時がある、そんな生き物だってことだな」

 言いながら、ギンコは化野の方へと、唐突に手を突き出す。何も無い空間で、何かを握るような仕草を見せ、にやりと笑って、化野の目の前で、その握った指を開く。

「見えんだろう」

 通常は見えないものだと聞いたばかりなのに、化野は必死の顔をして、ギンコの手のひらを凝視した。

 膝で寄って、それから伸ばした手で彼の手首を捕らえ、ぐいと自分の方へ引くと、胡坐をかいた膝へ乗せる。顔を顰めて、さらにじっと眺めるが、見えないものは見えないままだ。

「…お前にゃ見えてるのか?」

 悔しそうに化野が言う。ギンコは握られたままの手首に、化野の体温が移るのを、じっと感じながら返事を返した。余裕な態度を見せてはいるが、本当は少し、頭の中がざわついている。

「見えてなきゃあ、こんな商売はやってねぇよ。それが俺の飯の種ってわけでね。蟲師という…」

 そう聞くと、化野は何かに憧れるような顔をして、暫しギンコの顔を眺めた。ギンコの手首を捕らえたまま、彼はその手のひらの上に、そっと指を辿らせてくる。

「いるのか、まだ、ここに」
「…ああ、いる」

 その狂おしいような視線が、ギンコの手のひらを見つめ続けていた。彼の指が、手の上を繰り返しなぞって、ギンコは無理にでも、手を引っ込めてしまおうとしたのだ。だが、化野の手は緩まない。

「どんな…どんな蟲なんだ? 教えてくれ」
「『糸縒り』っつって…畳とか、麻袋とか、ああいう粗く編んでできたものの中に潜む蟲だ。糸縒りが住むと、多少はその傷みが早くなるが、特には害の無い蟲だよ」

 言い終えても、まだ化野の興味は薄れない。続きを求めるような目をされて、ギンコはとうとう、口に出して言った。

「教えてやっから、まず手を離しちゃくんねぇか」
「あ、ああ…そうだな…」

 捕まれたままだった手が、やっと開放されて、ギンコはほっとした。別段、嫌悪が涌くとかそういう訳じゃないのだが、落ち着かない気分になる。長いこと、誰とも親しくならずに生きてきたからだろうか。仕事の依頼主でもない相手と、こんなに長く一緒にいた事はないのだ。

 触れていた手首にも、手の甲にも、熱いくらいのぬくもりが残っている。その熱さが体の方へ滲んでくるような、そんな不思議な感覚を、ギンコは持て余していた。持て余した感覚を紛らわせようとすると、自然と口調が冷めてくる。

「見た目は…つっても、あんたにゃ見えない代物だがね…。薄赤い糸状。畳なんかの中に入ると、枝分かれするみたいに足が数本生える。最初からある一本、次に生えた一本…と、そんな順番で朽ちていって、最後に残った一本は、別の場所を求めて、空を浮遊していく…」

 言い終えても、まだ化野は求めるような目をしている。疲れたように息をついて、ギンコは布団にごろりと横になった。もう話したくない。そんな雰囲気を漂わせたつもりだったが、それが通用する相手ではなかったらしく、化野の視線が横顔に刺さる。

「で、昨日の蟲の話は? 蟲師ってのは? どんな仕事してるんだ。俺には見えん蟲が全部、お前の目には見えてるって訳か、ギンコ」

 うんざりした顔を隠しもしないで、ギンコはジロリと化野を睨んだ。
「まるでガキだな、医者の先生。見えもしない生き物のことなんざ、聞いて何が面白いんだ」
「面白いに決ってるだろう。興味を持たんヤツの方が、余程、不思議だ。蟲が見えるお前が、俺には羨ましくてならんな。生まれつき見えるのか?」

 楽しげ、と言ってもいいような顔で、化野はそんな事を言う。ギンコは正直、あまりいい気はしなかった。行き倒れたところを拾ってくれ、ただで怪我を治してくれようという恩人だが、それでけでは気持ちの整理が付かない。

 少々、意地の悪い気分になって、ギンコはその緑の瞳で、上目遣いに化野を見た。

「話す代わりと言っちゃなんだが、頼みがあるんだがね、先生」
「なんだ」
「この村に入る前に足を怪我して、まともに歩けなくなったんで、実は、村外れの向こうの峠に、旅荷物を全部置いてきちまった。木の洞に隠してあるから、それを持ってきちゃくんねえかな」

 峠と言えば、ここから歩いてかなり距離があるが、実のところ、ギンコも自分が置いてきた荷物の事が気になっていた。万が一誰かに見つけられても、すぐには開けられないように仕組んできてあるから、化野に取りに行かせるにも都合がいい。

「判った。だが…村外れの向こうの峠、か…」
「すまんね。場所は峠を過ぎてすぐのところに見える、一番太い松の木の洞…って、おい、化野?」

 ギンコが場所を説明しようとしているのに、化野は部屋を出て行ってしまった。すぐに戻ってきた彼は、腕に着物を一枚引っ掛けている。身を起こしたギンコの後ろへと無言で回り込み、その着物を彼の肩に掛ける。

「外は少し風があるからな。上にこれを着といた方がいい」
 と、強引にそれをギンコに着させ、その後、化野は、ギンコの前で背中を見せて屈んだのだ。

「連れてくから、負ぶされ」
「…いや、俺はあんたに持ってきてくれと」
「それは無理だ」

 あまりにもあっさりと否定されて、ギンコが唖然とするうちに、腕を引っ張られ、背中の上に引きずり上げられるような格好になる。仕方なく化野の首に腕をまわしながら、ギンコは「何が無理なんだ」と聞いた。

「村の中ならいいが、村を出て峠まで行っちまったら、お前の言う松の木を見つける自信が、からきし無い。連れてった方が確実だ。大事なものなんだろうしな」

 大事は大事だ。それに、化野一人に任せるより、一緒に行ったほうが確かに決っている。けれど、こんなふうになるとは、想像もしていなかった。

「お前は見た目より軽いから、大丈夫だ。しっかり掴まれ」

 やっぱりいい、と止める間もあればこそ。化野はギンコの体を背中に乗せたまま、割に身軽く立ち上がって歩き出した。

 彼の膝の怪我を気に掛けて、酷く不自由そうにギンコを負ぶう化野の、その体の温もりが、布の数枚を通して伝わってくる。それどころか、互いの心臓の鼓動までが、相手の体に響くのだ。

 些細なことで苛立って、化野に荷物運びでもさせてやろうなどと、そんな事を考えた自分を、今更のように、ギンコは後悔しているのだった。



                                    続












 どうしましょうか、もう6話めなんですよ。でも遅々として、進んでいる…という状態。進まなくなるってことはないと思うけど、進んでもゴールが見えないっていうか。

 自分の想像に反して、どうやら化野センセよりも、ギンコさんの方が、内心動揺が激しいようですよね? こんなつもりはなかったんですが、そういうギンコさんも可愛いからいいか。いいのか?!

 でも化野先生の方が、子供っぽいような気もするしねぇ。普段はどこか子供のようでも、いざって時には、ギンコさんを支える存在であってほしいぞ!と願っています。頑張ってください、先生。

 ギンコさんを背負って歩くのも、頑張って貰わなきゃならないしね。それにしても先生、ギンコさんがあの時、Hな気分になっていたらしいのを、不審に思わないんですね? あははははー。


06/06/03