異なるもの 5
ランプが壁にぶつかる音がして、それを最後に部屋は静かになる。ギンコの息遣いと同時に、化野の息の音だけが、そこに聞こえるすべての音。
「すまん…ッ。すまん、ギンコ」
「…いや、すまんとか言われても」
さっきから、ギンコは似たような言葉ばかり言っているが、言っている本人も化野も、そんな事には気付いていない。沈黙が来るくらいなら、何か喋っていた方がマシと、化野はさらに言った。
「わざとじゃあないんだっ」
「そりゃ、わざとだったら足引きずってでも逃げるが」
「こんなつもりは」
「もういいって」
薄暗がりに、ギンコの笑う気配が染みた。やんわりと、それだけ彼は呟いて、取り払われていた掛布団を引き寄せる。彼が枕に頭を付けると、丁度光が顔に当たって、ギンコの顔がよく見えたが、その顔色までは判らない。
「で? 好奇心は満足したか?」
「……」
好奇心と言われて、化野は一瞬怒ろうかと思った。だが、今の一幕が、医者としての診察だったと言ってしまえば、それは丸ごと偽りになる。もう居直るしかない気分で、化野は火を入れたランプを床に置くと、無言で部屋を出て行った。
残されたギンコは、数分と待たずにずるずると自分の布団を引きずる化野の姿を見る事になる。唖然としたギンコの顔を振り向いて、ニヤリと笑う化野の顔。
「俺の好奇心は、ちいとも満たされてないんでな。こうなりゃもう、お前にようく話を聞くしかないだろう。て訳で、隣に布団並べるぞ」
開けたままだったギンコの口が、それを聞いてカクンと閉じる。今度は呆れたような顔をされるが、それでも化野は構わなかった。
「あ、眠かったら話は明日でいいが、隣の部屋まで離れたんじゃ、俺が気になって眠れんのだ。諦めてくれ」
「…強引な医者も居たもんだ」
「俺は今は医者じゃあねぇ。お前の友人だっ」
言い切ってしまってから、化野は気掛かりそうにギンコの顔を覗き見た。ギンコは化野に背中を向けて、ごろりと横になって黙り込む。ランプの明かりは、広くも狭くもない部屋の中で、ただ静かに光を放っていた。
遠くから聞こえる波の音。化野の息の音。そしてギンコの…。ギンコの息遣いは少し乱れていたが、それもやがて穏やかになっていく。雲が切れたのか、強くなった月明かりが部屋を照らし始めた。
「化野」
呼び掛けて、ギンコは返事を待った。返事はなく、しばらく待ったのちに、何とか寝返りを打って、化野の方を見る。
化野は、眠っていた。薄い布団を胸の下まで掛けて、幾らかギンコへ体を向けた姿勢で、両の腕を、敷き布団の上に投げ出して…。
「眠っちまってるし…」
呆れ声と共に溜息をついて、ギンコはもう少し身を起こす。化野の寝顔を眺めて、その疲れの染みた顔に気付いた。いきなり転がり込んだアカの他人の、しかも治療費も望めない怪我の手当てに、懸命になっていた、彼の姿が思い浮かぶ。
ギンコは化野の手に視線を止めて、不意に複雑そうな顔になった。その手の感触が体に残っていて落ち着かない。そもそも、偶然、彼の膝が触れていたというだけで、妙な声を立てた自分が判らない。
ほんの少しだが、まだ体が熱いのだ。…何なんだ?と、投げやりに呟いて、ギンコは再び、化野へ背中を向けて横になるのだった。
朝はすぐに訪れた。眩しいくらいの日差しが、庭先から部屋へと飛び込んで、無造作に開けた目蓋を、ギンコはきつく閉じた。明るさにやっと目が慣れたころ、奥の部屋から盆を持った化野が入ってくる。
「お、目が覚めたようだな。いや、昨夜は本当にすま…」
「詫びはもういい」
その話は、かえってこっちが気まずいのだと、そこまではさすがに言えない。知らずに視線が化野の手に止まって、ギンコはそんな自分がよく判らなかった。
「大したもんは、ないけどな。まあ食べてくれ」
そんな言葉をそえられて、枕元に盆が置かれる。粥には、ここらの山菜類がごっそりと入り、酷くいい匂いを漂わせていた。手を伸ばして、熱い器と匙を持ち、礼を言いつつギンコが食べ始めると、化野は自分も同じものを食べながら言った。
「で? 昨夜のあれ、何なんだ?」
「……」
あまりに単刀直入な問いだったので、ギンコは思わず匙を持った手を止める。ちらりと見ると、まるで少年のような顔をして、化野は身を乗り出して答えを待っていた。
「……むし」
「あ? 何だって?」
「言っても判らんだろう」
ギンコの言葉に、化野はむっとした表情を見せる。
「判らんから、判るように言ってくれ。興味を持ったものの事が判らんままだと、俺は夜も眠れんのだ」
「…昨夜は熟睡してたようだったが」
ぐっと詰まって、化野は口をへの字に曲げている。そんな彼の顔を眺めて、ギンコは可笑しそうに唇を緩めた。緑の瞳が、斜めに化野を見ている。
「珍品好きの化野先生。あんたはつまり、奇妙なもんが好きなんだろう。そんならさぞや聞きてぇだろうが、相手は別の生き物だから、あんま奥まで首、突っ込むと痛い目みるぞ?」
幾分、意地悪く笑いながら、ギンコはそう前置きする。うるさそうに、それでも化野は頷いて見せた。前のめりに転びそうなくらい、身を乗り出したままの格好で。
「…判ったから、早く話せ」
「食べ終わるまで、待てないかねぇ」
「…待つから、早く食べろ」
食い入るような化野の視線を受けながら、黙々と食べる山菜粥が、それでも酷く美味い。だが、美味いなどと感想を述べようものなら、早く食べろと催促をされそうで、ギンコは黙って食べるしかなかった。
続
いつも謝っている気がしますが…。またしても、すみません。前話で、ちょーっとあやしい雰囲気になりましたものを、大したこともなく、済んでしまいましたね。期待していた方…きっといらしただろうに。
でもここで化野センセが、ガバチョと押し倒してしまったら…。あんまりセンセがケダモノみたいだしさ。まるで、ギンコさんって、化野の理性を一気に蝕んだ、フェロモンむんむんな人みたいで…。
だからこんな感じの夜は過ぎてしまいましたとさ。
メルフォでゴーサインを下さった方がいましたので、それとは別に近日中に、激しい大人?の夜を過ごす二人を、書かせていただきますっ。そうね、かれこれH三度目、くらいの二人を!
て訳で、Hっちをご希望の方、もう少しお待ちください。
06/05/21
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