異なるもの 4
…なんだ、今のは。錯覚? いや、そうじゃない、はっきり見た。
鼓動は速まり、そんな言葉が脳裏を巡る。気になるなら、問い質せばいい筈なのだが、言葉が口腔内に貼り付いて、声が外に出ないのだ。そんな化野を横目で眺めて、ギンコが言った。
「もう休ませて貰っていいか。これで結構しんどくてね」
「あ、ああ、そうだな。疲れてるだろうしな。俺ので悪いが、着るものをここに置く。自分で着れるか?」
「なんとかなるさ」
化野が使った刃物を手にして、ギンコは無造作に、自分のズボンを裂いている。そのままただ見つめている訳にいかず、化野は作った薬やら書物やらを掻き集め、隣室の方へ引っ込まざるを得ない。
「ギンコ。えーと、その…明朝は、何か食べるだろうな。粥か何かになると思うが」
「すまんね」
部屋と部屋の間の襖を閉める時、諦め切れずに声を掛けるが、返って来たのは短い返事だけだった。隣室に布団を敷いて身を横にしてはみたが、とても寝られるものじゃない。
ギンコの、右側の緑の瞳が、目蓋を伏せた視界にチラつく。そして、あの深い穴のような左目の闇が、心の中に浮かぶ。それらに安眠を邪魔されて、化野は布団の奥に潜り込み、仕舞いには頭を抱え、低く唸り声を上げた。
「…やってられんぞ、こいつは。とても眠れん」
呟くと、荒々しく布団を跳ね除け、彼は枕元のランプに火を灯す。
「考えてみれば、厠の場所も教えてないし、そもそもあいつは今、一人で歩けもせんのだ。隣にいるから、いつでも声を掛けろと言っといてやらんとな。うん、すぐそう言わんとまずい」
言い訳を一通り整えてから、化野は襖を開けた。踏み入ると、ギンコは布団の上に身を起こしている。振り向いたギンコの、その髪が妙に青白く、まるで自ら光を放つような色に見えて、化野は部屋の入り口で脚を止めた。
蒼い、蒼白い焔の色のように、ギンコの髪がほのかな光を纏っている。その光…その焔は、ゆらりと色を揺らして、ふと薄れ、開いた彼の左の目の、その闇の中に吸い込まれていく…。
用意した言い訳など、その一瞬に無用のものになった。これが錯覚だと言うのなら、化野の頭か目か、その両方が、どうかしてしまったのだろう。錯覚などじゃない。見間違いでなどあるものか。
「今のは何だ? ギンコ」
「見えたのか」
真っ直ぐに問うが、ギンコは一言問い返し、ちょっと困ったように微笑するだけだった。ランプの火を強めて、化野は彼に近寄り、またもギンコの布団を剥いで詰め寄っていく。
「見せろっ」
片足の痛手が大きく、身をかわす事もできずに、ギンコは顎に手を掛けられる。無理に上を向かせられ、乱暴な言葉で強いられるが、それでもギンコは笑っているのだ。
顔に掛かっていた長い前髪の下には、固く閉じた左の目蓋。右の瞳は微かに細められて、唇は笑っているのに、その目だけは笑っていない。そう、深い海の色のような翠だ。吸い込まれてしまいそうな。
「左、開けろ。見せてみろよ…。今のは何なんだ? 蒼白い、焔…のような…」
ランプの明かりを突き付けて、顎を捕らえた指に力を込める。布団の上に付いた膝を、強引に先へ進めて顔を寄せ、化野は息が掛かるほど傍から、もう一度言った。
「いくらなんでも奇妙過ぎる。お前、まさか…狐狸の類じゃあるまいな」
「…狐狸…ねぇ」
あんまりな化野の言葉に、ギンコは軽く息を吐くようにして、可笑しそうに笑う。笑った拍子に左の目蓋は少し緩んで、何かが見えた気がした。ギンコは片手の手のひらで、やんわりとランプを遠ざけさせ、間延びしたような声で呟く。
「元々、別に隠すようなものじゃねぇし。ただ、あんたはどっか弱そうだ。引き込まれねえようにだけは、して欲しいけどな」
言いながら、ギンコはゆっくりと、左の目蓋を開く。
闇が、訪れた。
開いた左の瞳の奥から、その深く濃い暗闇が溢れ出て、部屋を覆ってしまったかと思った。だが本当はランプの明かりが消えただけだった。
消えた明かりを灯さなくとも、光は何処からか部屋に忍び込み、化野とギンコを照らしている。けれどその仄かな光に、化野は少しも気付いていない。暗い暗い、底のない闇をギンコの目蓋の下に見て、その時、化野は息をするのも忘れてしまいそうだったのだ。
もっとよく、奥まで見ようとするように、化野はギンコの顎に掛けた手をずらす。片手でギンコの首を絞めるような格好で、さらに自分の顔を寄せ、じっと闇の奥を覗き込む。
いつの間にか、ギンコはすっかり布団に押し倒され、寝巻き代わりに借りた着物の裾を乱していた。化野は彼の片膝を跨ぐようにして、うわ言めいた声で、やっと一言呟く。その言葉は、上擦ってはいても、意外に冷静だ。
「洞窟…覗き込んでるみてぇだな。なんで眼窩の奥が見えねえんだ?」
「…なんでとか言われてもね…。それよか」
「いや待て。もういっぺん、ランプで照らせば見えるかもしれん。ランプ…」
ギンコに圧し掛かるような格好で、化野は薄闇の中にランプを探した。体を捻って、床に手を滑らせるが、中々ランプに手が触れない。そうこうする内に、化野の耳に、ギンコの息遣いが聞こえたのだ。浅く速くなりそうなのを、なんとか堪えているような、そんな息の音だ。
「なんだ、どうした? ギンコ…」
「…どうしたもこうしたも。ん…っ、ぅ…、あ、化野…っ」
「な、ギンコ?!」
左の目蓋をゆっくりと閉じて、ギンコは片肘だけで半端に身を起こす。何か文句を言いたそうな顔で、彼は間近にある化野の顔を眺めて言ったのだ。
「足、あんたの足、さっきから触って…」
「何に? あ! 膝の怪我にかっ? すまん…ッ」
二人、酷く間近に身を寄せているせいで、化野の視野はあまりに狭い。その上、これほど薄暗くて、怪我したギンコの膝に触れようとした手が、違うところへ行くのも仕方のない事だ。そもそも、化野の膝がさっきから触れていたのも、その…。
「ここか? ギンコ」
「…っ! ち、が…。ふ…っ、ぁッ」
触れてみて、ギンコの声を耳元に聞き、さすがに化野も瞬時に気付いた。彼は飛び下がるように布団から退いて、踵でランプを蹴倒してしまう。ガシャンと派手な音が鳴り、続いて畳の上を、部屋の隅までランプが転がる、カラカラという音がした。
続
さて、これを「いきなり進展」と言い切って良いのか? とある検索サーチさまにて、そのように書いてしまいまして…。駄目ですか? だめ? 駄目だったらゴメンなさい。
キスとか、もっと激しいのとか、見たいですか? はーい、見たい人、手ぇあげてーっ。そんな方がいらした場合、謹んでショートの方に、激しく、そりゃもぅ、はんげしくっっ、ゴーっ、化野っ!で、書かせて頂きます。
こんなこと言っちゃって、ギンコさんに、蟲をけしかけられそうだよ。こわこわっ。
でも、触りましたよね? センセ。何って…? ほほほほほ。笑って濁す私でした。腐。こんな具合の腐れトークは、同じ日の日記へと続きますのでー。小説の続きも、また休日に頑張らせて頂きますっ。
06/05/14

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