異なるもの 1
風の中に、潮の香りが強い。海は静かで、昨日までの強風がまるで嘘のようだ。あの日も、確かこんな日だったように思う。眩しい日差しが、緩い波の上で輝いて、見つめているのが眩しいほどだ。
化野は、海の見下ろせる渡り廊下に立って、ぼんやりと光の煌めきを眺めている。光を見つめる眼差しには、いつしかあいつに会った日の記憶が浮かんでいた。
*** *** *** ***
「お前ら。どっか具合悪いのか?」
さっきから、庭先に子供が三人ほど来ている。ここは医者の住む医家だ。用があって来るとすれば、何処か体が悪いのかと思うが、時折聞こえる声にも、顔を出して見た子供らの姿にも、そんな様子は見えない。
子供らはさっきから、互いをつつき合い、草履の足を軽く蹴り合って、言うべき言葉を譲り合っているようだ。
「なんだ? 誰かの親父か母ちゃんの、薬代の払いを延ばしてくれとか、そういう話なら、まあ、聞くだきゃ聞くがな」
子供は三人して首を横に振り、中の一人がやっと言った。
「この前っからね、村ん中に、行き倒れー」
別の一人も言う。
「あっちの村はずれにいて、昨日は丘の三本松のとこ」
片眼鏡を押さえながら、化野は怪訝な顔をした。言われている事が、どうもよく判らない。行き倒れなら、普通は倒れた場所から動かない筈だろう。それとも、西の村はずれから三本松まで来て、そこで倒れたという事なのか?
この田舎の村は結構広くて、多くの人が住んでいた。だが、そのわりに余所から来たものには、驚くほど冷たいのだ。
化野がこの村に来てから、もう一年が過ぎている。ここらに医者はいず、皆に歓迎されそうなものを、この頃やっと村の一員として認められつつある、という程度なのだ。
幾らか広いとは言え、やはり古い気質の残る田舎町。余所ものに一々情けを掛けていたら、いつかは村の盛衰にも関わることになる。そういうことだろうけれど。
化野が顔をしかめるのを見上げて、子供らは今にも帰ってしまいそうな様子になる。
「あー、そこまで言っといて帰んなよ。おら、珍しい菓子があるから、そこ座れ。な?」
菓子を一つずつ渡して引き止めて、子供らがぽつりぽつりと話すのを聞いていると、やっと意味が判ってきた。
「つまり、その余所もんは、もう三日も前から村に入ってて、歩いては座り込み、また歩いてはこけて、行き倒れつつこっちに向ってるってこったな…?」
その旅人は、疲れた体を癒したいのか、それともどこか具合が悪くてなのか、医家を目指して進んでいるという事だ。そんな人間を、ただただ黙って三日も眺めていた村人に、何か言ってやりたい気分にもなったが、化野は溜息を一つ付いて気持ちを収める。
やっと村の一員になったばかりの自分が、治療や薬の用法以外の、何を言っても聞いて貰える気がしない。
「んで? 今はそいつ、どこら辺まで来てるんだ?」
「あそこ」
子供は三人して、化野の家の玄関の方を指差す。しかめていた眉を、なおしかめて、化野は弾かれたように立ち上がった。立って、そのまま玄関へと走り出ると、門のすぐ外に人影が見えたのだ。
一瞬、老人かと見紛う、白い髪の男の倒れている姿が。
「な…っ。そこまで来てるってんなら、それを早く言えッ」
駆け寄って、その体を抱き起こすと、倒れていたのは老人ではなかった。顔色が多少悪いが、それほど酷い状況だとか、血まみれの大怪我だとかそういう様子もない。
ほっとするより先に、化野の視線を引き寄せていたのは、その真っ白な髪。それと不釣合いな若い顔。化野よりも、二つ三つも若いだろうか。意識の無い体を抱き上げると、履いた草履を脱ぐのももどかしく、化野は奥へ部屋へと男を運んだ。
興味本位の、子供らの視線が、奇妙に煩い。まるで珍しいものを見るみたいに…。ただ、髪が白いというだけで。
化野が奥へ引っ込んだので、そのうち子供は帰って行ったらしい。遠くの海の音と、風の音だけが残って、その音を聞きながら、すり鉢でゴリゴリと薬の材料を磨り潰す。
作っているのは、ただの滋養の薬だ。この余所者が行き倒れたのは、恐らく過労と空腹のせいなのだろうと思う。外から見えない怪我の有無を確かめるは、意識が戻った後でいい。
薬を作り終えて、化野が振り向くと、無いと思っていたものがそこにはあった。静かな視線が、いつの間にか自分に向けられている。そして、助けられた者にしては、妙に無感動な口調の言葉と。
「迷惑かけるようで、どうも、すまないな」
「あ、いや…」
返事をしようとして、化野はそのまま言葉を切った。
人間というのは、何かに意識を捕らわれると、言葉も動作も止まってしまうものらしい。彼の視線は、その余所者の顔に引き寄せられて動かせなくなっていた。
それは見たこともない、不思議な色の瞳だった。緑青とも、翡翠ともつかない、深い色なのだ。不遜に値するほど無遠慮に眺めてしまって、その事に化野が自分で気付いた時、男は故意に顔を余所へ向け、浅く溜息をつく。
消え失せていた遠くの波の音が、酷く大きく、化野の耳に戻ってきていた。
続
前から書きたかった、蟲師、化野×ギンコのストーリーです。色々と考える時間を使ったわりには、なんか難しいですーっっ。原作やアニメの雰囲気が大好きなのに、それを壊したくないよーっ、て、私の力量じゃ到底無理か…。
でも、できるだけ頑張りますっ。ちまちまと、他のものジャンルの執筆も、間に挟みながら、書いていくことになりそうですから、気長に楽しみにして下さる方、いらっしゃると嬉しいです。
06/04/22

.