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            Voice voice voice … 8





 溶けるほどの熱を共有するのは、特別過ぎる行為だと思いたかった。今までだって、こんなこと、他の誰かとも何度もしたけど、それでも、今日のこれは特別だと。

 そうだったら、どんなに幸せだろうと。

 イった後、ほんの数秒だけの事だったとは思う。ヒル魔は葉柱の背中に腕を回したままで、その腕に軽く力を込めてきた。ベッドから頭を浮かせて、汗に濡れた額を、そっと葉柱の肩にくっつけて。


 もしかして、なんて、つい、思っちまうよ…ヒル魔。

 俺、さっき、言ったよな? 俺のもんに、なっちまえ…ってさ。
 今から、それ、もう一回、言っていい? 
 答えは同じなんだろうか。今ならお前、違うこと言わねぇ…?


 ほんの数秒の、ヒル魔の額のぬくもり。胸をくすぐる甘くて浅い息遣い。あり得ない夢を見させる、そのあんまりな残酷さ。

 ぱたりと、シーツの上にヒル魔の腕が投げ出されて、それを合図に夢は醒めた。いや、醒めたなんて可愛いもんじゃねぇ。ズタズタにされたって言うんだ、こういうのは。

 その地獄に相応しい、不機嫌そうなヒル魔の声。

「いつまでそこにいやがんだ? さっさと退けろ。邪魔くせぇ」
「……え…」

 まともに声も出なかった。夢見ちまった俺が馬鹿だと、心の奥で誰かが笑う。それでも…それでも痛くないように気を遣って、そろりとそれを抜き出す間の、眉をしかめた奴の顔に、ぐらぐらさせられちまう情けない俺。

「ごめ…、い、痛かった…?」

 気遣う言葉には、返事もしてもらえない。乱れた髪をかき上げながら、気だるい仕草でベッドを降りて、ヒル魔は葉柱の方になんか、視線をやりもせずにシャワーを浴びに行く。

 出てきた時は、来た時とそっくり同じ見た目に戻っていて、髪までいつもと同じに立ってる。何か特別なことが起こったなんて誰にも判らないだろう。勿論、誰かにそんなことを悟らせるヒル魔じゃないに決まっていた。

「そ…の…。もう行く? 俺もシャワー使って…いい…?」

 冷たい水か、火傷しそうに熱い湯か、そのどっちかで、全部、全部、今日の思いを押し流しちまわなきゃ、と、倒れそうな気分で葉柱は思う。

 いいとも悪いとも言わないで、ただヒル魔は顎を軽く上げて見せた。奴隷の主人にぴったりのそんな仕草に、今までは一々苛立ってたってのに、今日だけは酷く心が傷つく。

 バスルームに飛び込んで熱いシャワーを浴びる。それだけじゃ足りなくて、今度は冷水。震えがくるほど浴び続けて、やっと自分が、どうするべきか決められた。

 別に、なんてことはねぇよ。ただ、前と同じにするだけだ。でも、それならどの時点の自分に戻りゃいい? 奴隷になった頃か、あのキスの後か、それとも今日会った時の俺か?

 今日の、でいいなら、それが一番嬉しい。ついさっきまでの自分に、ほんの少しでも近いから。

「わりぃ、待たした…っ」

 葉柱もいつも通りに学ランを着て、適当に拭いただけの濡れたまんまの髪で、バスルームを飛び出すなりそう言った。ヒル魔の不機嫌そうな顔が、その言葉を聞いた一瞬だけ、満足そうに笑ったように見える。何でかは判らないけど。

「遅っせぇよ。…行くぞ」

 ケータイをちらっと見て、時間を確かめてからヒル魔はそう言った。この部屋に来た時と同じ経路で、豪華過ぎるホテルの中を平然と歩き、壁にしか見えないドアを通って、例のボロいラブホに戻る。

 煌びやかなホテルから、薄暗くて安っぽいラブホに戻ると、夢は覚めたのだと、ますます思い知らされる気がした。

 ガレージで待っていたゼファーのエンジンを掛けると、ヒル魔もいつも通りの態度で、バックシートに横乗りする。そして走り出してすぐに、寄り道先の指定をしてきた。

「駅を過ぎた向こうのコンビニ、判るか」
「…ああ」

 言われた途端、何かが引っ掛かった。

 行かない方がいい気がして、でもその理由を思い出せない。どうせ命じられたが最後、逆らう訳にいかねぇんだし、それなら行きたくない理由なんか思い出さない方がいいだろう。

 葉柱は考えるのをやめて、命令通りの場所へと向った。どうせガムかコーヒーか、そういうもんを買うだけだ。買ったあとは泥門へ行くか、それとも時々指定される、とある街角へ行かされるか。

 実際、葉柱はヒル魔の家の場所など知らない。練習後のヒル魔を乗せて走り、何の変哲もない住宅街でおろした事は何回もあるから、多分、この近くに家があるんだろうと想像するばかりで。

 いつか、家を教えて貰う日も来るだろうか。上がってコーヒーでも飲んでいけと言われたら、どんな気持ちがするだろう。きっと物凄く嬉しいに違いないが、そんな日がくるかどうかも判らない。

 言われた場所でバイクを停めると、何も言わずにヒル魔はコンビニに入って行く。ヤケに長く待たされて、切れかけた街灯のチカチカ光る灯りの下で、葉柱はぼんやりと車道を眺めていた。

 流れる車の灯りを無意識に数えていたら、腹に響くバイクの音が、遠くから幾つも聞こえてきた。ついさっき、ここには来ない方がいいと感じたのを思い出す。

 その理由が、向こうから近付いてきた音だった…。


                                 続












 今回、いつもよりちょっと短いです。どうやら次回でこの連載もラストかな。何が葉柱さんに近付いてきたのか、ちょっと想像してみて下さいねっ。なーんて、判るわけねぇよーーっ。

 あー、今回、葉柱さん可哀相な感じでしたが、実はもっと凄く可哀相な筈でした。でも書いてると…書いてる私が彼に激しく同情しちゃって…っていうか、同調しちゃって、切なくなりすぎてしまってぇ…!

 もっとすっごく酷いこと言って、かなり冷たい筈のヒル魔さん、けっこう態度が穏やかです。笑。早いとこ(曲がりなりにも)両思いにならんかねぇ。←いいや、まだまだっ。

 そんな二人をどうか応援してやって下さい。って私、こんなこと言ってばっかりですね。へこ。


07/03/09