Voice voice voice … 1




 ゴチャゴチャと散らかったその部室に、小さなケータイの音が響いた。

 内ポケットに入れてるそれを、慌てて掴み出して勢いよく開いたら、葉柱の手から彼のケータイはすっ飛んでいった。派手な音を立てて、それは床に転がる。

「わ…っ! 拾えっ! いや、拾わなくていい、触んなッ!!」

 葉柱が顔色を変えて喚いているのを、賊学のアメフト部員達は、どうしていいか判らずに、全員で腰を浮かせ、ついでまた元の場所に腰を落とした。

 十日くらい前から、葉柱の様子はずっと何処かおかしくて、実のところ、彼らは酷く困惑している。

 机も椅子も部員達も、全部を強引に掻き分け、葉柱は長い腕を伸ばしてケータイを拾った。そして手のひらで覆い隠すようにして、それを耳に押し付け、誰かの足に突っかかりながら外へ出る。

 部室から飛び出していく葉柱を、部員達は何も言えずに、黙って見ていた。

「もっ、もしもし」
「……」

 誰からかは判っている。判ってるから慌てて出たのに、ケータイの向こうから声が聞こえない。

「…おい…? ヒル魔、だよな?」
「てめぇッ! 耳に響くだろうが、何、ケータイ落っことしてんだッ」

 相変わらず、カンに障るヒル魔の口調。怒鳴るか命じるか嘲笑うか、そういうのばっかりだと判っているのに、葉柱の心臓は、ドキドキと無駄に鼓動を速めている。

「わ、悪ぃ。ん、と…その、帰んのか? 迎えに行きゃいいんだろ…?」
「ああ。すぐ来い」
「うん、判った」

 うん、とか…。なに言ってんだ? 俺。聞き分けのいい小学生かなんかか? 情けねぇよな。どーなってんだよ、葉柱 類。

 そうやって、自分の態度を情けなく思ってるのに、彼はすぐにケータイを切って、内ポケットにそれを突っ込み、バイクに跨る。行き先は泥門。そこで待ってるのは、あの悪魔みたいなヤツ。

 自分の鳴らすバイクの爆音なんか、全然入ってこない彼の脳裏で、三日前の出来事が、ぐるぐると回り出す。

 頬に風が痛いほどのスピードだってのに、流れる景色なんか、殆ど目に入ってこないのだ。これって、危ねぇよなとか、意識のどっかで思いながら、考えてる事は変えられない。ヒル魔ヒル魔ヒル魔ヒル魔…。ただ、それだけ。

 口止め…。そう言った奴の唇を吸った時、すげぇ柔らかくて、喰っちまいてぇような気がしたっけな。

 気付くと、もう泥門の部室が目の前。でもそこらへんに人の気配はなくて、葉柱はバイクのエンジンを切る。煩いエンジン音が消えて、聞こえてきたのは彼自身のケータイの音。
 
 ヒル魔からだ…っ。でも、何で?

「あ、もしもし…」
「あ、じゃねぇっ、馬鹿か、てめぇ。どうせ泥門に行ってんだろーが。誰がそこに行けっつった?」
「…って。違うのかよっ?」

 別んとこに来いだなんて、一言も言ってなかったじゃねぇか。あー、でも、そういや、すぐ来いって言われた途端に、俺、ケータイ切っちまった気ぃする。そんでバイクぶっ飛ばしたんだ。泥門以外の別の場所を、指定されるだなんて思いもしねぇで。

「亜須多呂駅、西口のジャンクバーガー判んだろ? 腹減ってんだ、先、食ってるからな」

 ブツっと電話が切られて、葉柱は思わず困惑顔になる。

 は? ジャンクバーガーは知ってっけど、なんで? いや、腹減ってるっつってたし、別に変じゃねーか。いや、やっぱ変だろ。俺とヒル魔が、バーガー屋で待ち合わせ? 飯食って、そのあとゲーセンでも行くってか? いや、それはねぇよな。

 首を傾げて、葉柱はバイクの向きを変える。とにかく、呼び出されてるのは今まで通りだし、葉柱は彼の奴隷だ。断れるわけもない。実際、断りたいとも思っていないが。

 ジャンクバーガーの前に着くと、窓の傍の目立つ席で、ヒル魔はバーガーに齧り付いていた。テーブルに並んでるのは、ややボリュームのあるLセット。ヒル魔は葉柱に気付いて、立てた一差し指で、ちょいちょいと彼を呼び付ける。

「Lセットでいいだろ。飲みもんは?」
「え? いや俺は…。だって、変だろ…?」
「何がだ。あ、Lセットもう一つな。だから、てめぇは何飲むんだよ」

 水を持ってきた店員に、勝手に葉柱の分を頼んでしまうヒル魔。さっさと飲み物を選べと目で凄まれて、葉柱は仕方なく彼の目の前の席に座る。

「じゃあコーラ」

 店員がオーダーを復唱して引っ込む。物凄い居心地の悪さを感じながら、葉柱はチラチラとヒル魔の顔を見た。まだ半分残ったバーガーを、デカい口を開けながら、ヒル魔が食っているのだ。

 ポテトをつまんで食べて、指に付いた塩を赤い舌の先で、ヤツは美味そうにペロリと舐める。その舌に視線をとめて、葉柱はゴクリと唾を飲んだ。

 心臓に悪ぃんだよ。こいつの口とか舌とか、指とか髪とか、喉とか耳とか目とか…。バーガーセットより、てめぇが食いてぇ、なんて、ふざけて言える関係だといいのにな。

 それにしても、今日の自分らは変だ、葉柱は黙ったままで思う。まるでダチみたいに、向かい合って飲み物飲んでバーガーを齧って。手下どもが見たら、どう思うだろう。泥門の奴らが見たら、何て言う?

 葉柱は、割りに行儀よく、ポテトとバーガーとコーラを交互に口に運ぶ。気付いたら、もうヒル魔は自分の分を全部食べ終えていて、葉柱の方に顔を向けたまま、視線だけを外に投げていた。

 そういえば、今日のヒル魔はガッコの制服じゃない。勿論、アメフトのユニフォームでもない。飾り気の無い、黒のタートルネックを着ていて、その衿の辺りに左手をそえ、テーブルに肘を付いていた。

「何、お前、今日一回家に帰ったのか?」

 雰囲気に流されるまま、葉柱はフツーのダチに声を掛けるように聞く。奴隷とか主人とか、そういう接し方を、先に崩したのはヒル魔の方だからな。怒鳴られたら、そんときゃ怒鳴り返してやるまでだ。

「帰ってねぇよ」
「え? じゃ、なんで私服」
「別に誰も咎めねぇ」

 この恰好でガッコ行ってたって事か。咎めねぇって…。そりゃそうだろう。ここいらでヒル魔のすることに、逆らおうとか咎めようとか、してるヤツがいたら驚きだ。

「咎めるとかじゃなくて…」

 ポテトの最後の一本を口に放り込んで、唇に付いた塩を、葉柱は舌先で舐めている。長い舌が、するりと唇をなぞって、元通り口の中に収まるのを、ヒル魔は変にじっくりと眺めていた。

 ヒル魔の細い指が、自分の首筋に触れるようにして、タートルの衿を引っ張る。耳たぶに付きそうなくらい上に引っ張るが、手を離すとその黒い衿は、元通り首の半分を隠す位置に戻った。

 そういえば、ヒル魔はさっきからずっと、その仕草を繰り返している。何をしてるんだろう、と思わずじっと見て、葉柱はやっと気が付いた。その白い首筋、耳のすぐ下あたりに、うっすらとだが、キスの跡があるのだ。

 キスマーク。それほどくっきりとじゃないが、間違いなくそれは誰かのキスの跡。

 へぇ…こいつって、そういうことさせる相手がいんだ…。
 なんか…。なんかさ、気が付かなきゃよかったな、俺。

 そんなふうに思いながら、葉柱はヒル魔から視線を逸らした。腹が立つとか、そういうんじゃない。ヒル魔とは、あんなふうでも確かにキスしたし、行き掛かり上、セックス…に近いことまで、もうしたけど、それは別に付き合ってるのとは違う。

 そういや、今日、俺、なんで呼ばれたんだろ。
 ここからコイツの家の傍まで、送れってことなのかな。

 そんなふうにぼんやりしていたら、目の前に置かれたコップに、白い手が伸びるのが見えた。その手が葉柱のコーラのコップを取って、赤と白のストライプのストローを、その口にパクリと咥える。

 ちゅー…と小さな音がして、軽く尖らせたヒル魔の唇が、葉柱のコーラを、最後まで全部飲み尽くしてしまった。



                                 続










 暫くぶりの長編…。に、なるかと思われるアイシです。ずっと読んでくださっている方は、ピーンとくると思いますが、熱→夜の指→トラップコレクション、と続いた、その次のお話です。

 なんか、トラップから、間を空けちゃったせいか、二人がなんか、雰囲気違っちゃってる気がして、どうにも心配なんですが、変だったらすみません。

 ヒル魔さん、なんか葉柱さんとお友達ごっこ? いや、彼はこう見えて、小悪魔モード発動している模様ですよ。うーん…なんか、葉柱さんの反応見て、すっごい楽しんでるっていうかね。

 緊張感の無い始まり方は、トラップ…と正反対で面白いかもしれませんけども、この先どうなるか、惑い星、ちょっと心配〜。

 相変わらず、書き手がそんなこと言っててどうするんだよって感じですが、どうするんでしょうね。笑。だ、誰かタスケテー。いや、そのぅ、頑張りますっ。


06/11/29