開いた鉄の扉から、外の明かりが入り込んだ。錆びた扉が軋む音に続いて、彼の耳に聞こえてきたのは、訳の判らない叫び声、そして苦しそうな呻き声。
「な、なんで…。お、俺らアンタが喜ぶと思ってっ…ぐ、あ…ぁあッ」
仲間達が殴られ、蹴られて、床に投げ捨てられていくのを、蛭魔の傍にいた男は、うろたえながら見ていた。
次の瞬間、その男はあっという間に倉庫の隅まで飛ばされる。壁に叩き付けられたまま動かないそいつの方へ、背の高い影が、また近付いていこうとしていた。
、蛭魔は、影しか見えないその背中を見上げて呟く。そう言おうとして言った訳じゃない言葉を、小さな擦れた声で。
「……よ…せ…ハバシラ…」
遠ざかろうとしていた背中が、びくりと反応したのがわかった。振り向いた顔は、逆光でよく見えない。ただ、あの見慣れた白い長ランに、返り血が少し付いているのが判った。
「ヒル魔…」
そう呼んだ葉柱の声が、明らかに震えていたから、蛭魔は微かに笑った。その声が聞きたかったと、心のどこかで思った。けれど、そんな心は欠片も表に出さず、やっぱり酷く擦れた声で、乱暴にただ命令した。
「んな…雑魚、相手にしてる暇あったら、さっさと、コレ…解きやがれ、糞…奴隷」
「ああ…ヒル魔…」
長い腕を伸ばし、地に膝をついて、葉柱は彼の腕を縛った縄を、ナイフで切った。そのまま腕に抱えようとすると、蛭魔は疲れ切った腕を、葉柱の体に突っ張って、自分で冷たい壁に寄りかかる。
自分の取り出したナイフのきらめきに目をやって、葉柱はゆらりと立ち上がた。そして蛭魔が止める隙もなく、つかつかと、最後にぶっ飛ばした男の前に行き…。
「てめぇ…ナニ、勝手してやがるんだ。そんなに死にてぇか? 俺に殺されてぇってか…?」
ドスのきいた声で言い、相手の服の襟を掴み上げ…。むき出しのナイフの刃を、頬にひたひたと押し当てる。
突き付けられた刃物よりも、もっと刃物じみた目でそう言われると、男はガタガタと震えながら、必至で首を横に振る。数秒間、威圧を込めた目で見据えた後、あっさりそいつを放り出し、葉柱は蛭魔の傍に戻ってきた。
大丈夫か、と聞く訳でもない。何か詫びる訳でも、まして蛭魔の姿を笑う訳でもない。
彼が言葉もなく立ち尽くしている間に、葉柱と蛭魔、二人以外の人間達は、互いに手を貸し合い、脚を引きずるようにしつつも、みんな倉庫から出て行ってしまった。
奴等のバイクの爆音が遠ざかって、聞こえなくなっていく。
「ヒル魔」
さっきから、それだけしか言えずに、葉柱は薄暗がりの中、蛭魔の傍に立ち尽くしている。蛭魔は、唇にほんの僅かの笑いを浮かべ、言葉に小さな笑い声さえ混ぜて命じた。
「…どっか、この近くで、休めるとこに連れてけ…。ただし、別の奴がいるとこはダメだ」
いつもの事だが、蛭魔はまた無茶を言う。この近くで休める場所、しかも誰も居ないところなんて、一種類くらいしか思い浮かばない。葉柱はあえて、その場所でいいかどうか、お伺いを立てずに曖昧に頷いた。
そうして、さっきしようとしたみたいに、葉柱は蛭魔の体に腕を伸ばす。まず長ランを脱いで、細い蛭魔の体を、それですっぽりと包み、その上から包み込むように抱いた。
そんな蛭魔を、膝に横抱きに乗せてバイクに跨り、片手で彼を支えたまま、もう一方の腕だけで、ハンドルを握る。道をゆるゆると走ると、何故か小さな笑いが込み上げた。
…こんなカメみてぇに走ったのなんざ、生まれて初めてかもな。賊学のハバシラが、なんてぇみっともなさだ。
その笑いを、蛭魔が見上げていた。見咎められ、いつものように銃を突き付けられそうだと、そう思った葉柱に、弱々しいような言い方で、蛭魔が聞く。
「…少し、寝る。落としたら、ブッ殺すからな」
「へ…?」
聞き返す間などなかった。言い終えた途端に蛭魔は目を閉じて、くたりと葉柱の胸に顔を寄せていた。月明かりと街灯の明かりが、ここにはあるから、倉庫の中のあの薄暗さとは違い、蛭魔の顔はよく見えた。
埃と、泥のようなもので汚れて、くしゃくしゃになっている金の髪。それよりも、もっと汚れた白い顔。唇の端には、ほんの少しだが、血の跡が見えるのだ。
蛭魔は眠っている。いや、眠っているというよりも、多分、意識を失っているのだ。
葉柱は唇を噛んで、背筋の寒くなるような怒りを、胸の奥底に静めた。蛭魔をこんなふうにいたぶった奴等を、一人残らず殴り飛ばしたが、それだけではこの感情はおさまらない。
もっと、ボロ雑巾のようになるまで、殴って蹴って、痕の残るような傷を、このナイフでつけてやりたかった。少しだけ力を込めて、蛭魔の体を抱いて、葉柱は目の前に並ぶネオンを見上げる。
見えるのは全部、ラブホテル。ワンルームワンガレージのところを選んで、適当に入った。建物の形や、部屋のデザインに凝る場面じゃないから、当然と言えば当然の話。
ガレージにバイクを置き、意識のない蛭魔を抱いて運びながら、金やらカードやらを、ちゃんと持ってきていたことに安堵する。
部屋に入って、長ランに包んだままの蛭魔をベッドに下ろし、葉柱は無意識に風呂場に行って、浴槽に湯を溜め始めた。そして彼は、ハタと我にかえる。
…ナニやってんだ? 俺。女と来た訳じゃねえってのに。
昔、付き合ってた女と来た時は、すぐ入れるよう最初に風呂に湯を溜めてやってた。そんな癖が、こんなところで出ている。
頭を書きながら、風呂場で裸足になった足で、部屋へと戻る葉柱。そんな彼を、はっきりと目を開いた蛭魔の視線が迎えた。
「お、起きたか」
無言でベッドに肘を付き、半端に身を起こした蛭魔の体から、白い長ランが解ける。細い身体。長ランの白よりも、ずっと白い肌。汚れていても、そんな事は関係ない。
釘付けになる視線を、引き剥がそうとするばかりで、葉柱の目は彼の身体から離せなくなっていく。
「ふうん…ラブホ、だな」
少し聞き取りやすくなった声で、蛭魔は呟いた。ドクン、と心臓が跳ね上がる音を聞きながら、葉柱は言い返す。
「ラブホ以外、どこ行けってんだよ。どう考えても、それっきゃねー…」
「水」
「み、水っ?」
無造作に遮られて。それでも命令を遂行しようと、廊下へ走り出る自分を、哀れに思う隙間すらない。ポケットの小銭を探りながら、普通よりバカ高い自販機の飲み物を眺めた。
…水なんかねぇよ。スポーツドリンクでいーだろ。
自分の分を何か買おうとか、そんな事も思いつかないで、よくあるイオン飲料のミニボトルを一つ買う。
部屋に戻ると、蛭魔の姿が無い。見回した葉柱の目線の先に、開いたままの風呂場のドア。入って行くと、葉柱の長ランを羽織ったままの格好で、浴槽の縁に手をついて立っている蛭魔がいた。
浴槽に湯を注いでいた蛇口が、今は何故か、風呂場のタイルの床に向けて、勢いよく湯を零している。
葉柱が差し出すイオン飲料を、不満そうな顔をしながらも、黙って受け取り、フタを開けて一口。その途端、蛭魔は下を向き、床に膝を付いて、たった今、口に含んだ飲み物を吐き出した。
「てめぇ、な、何やって…っ…」
蛭魔は答えない。また飲み物を口に含んで、吐き出し、それを何度も繰り返す。二度目で葉柱も気が付いた。蛭魔はその飲み物と一緒に、何か白く濁ったものを吐いているのだった。
続
やっぱ、楽しい。凄く楽しい。葉柱と蛭魔とが傍にいて、言葉を交わしていたりとか、葉柱が蛭魔に触ったりしているシーンを、書き始めた途端、凄いノリノリですよ!
こっから先はまだ長い。長いってのは素敵な事だ。まだずっと二人が書ける。二人はこれから……。うふふふふ…。とにかく楽しいです。
葉柱の見ている蛭魔が、綺麗だったり色っぽかったりするのが楽しい。見せた事のない、本音の顔を、ほんの少しだけ見せてしまったりするかと思うと、どっきどきです。
昨日書いてたのは、もう夜半近い時間で、書き上げた時は、今日の日付になっていたのに、止まらなくて、もっとずっと先まで書くところでした。萌えてるぜっ。
壁紙は前回と同じで、ちょっと色変え。本当はホテルのベッドかバスルームっぽいのが良かったんだけど、散々探したうえ、素材探しに懲りた。
だけどこの壁紙みたいに、自分で写すったって、そのためにホテルに入って行けないよ! 次回こそ、ホテルの写真がいいけどさー。ふう。どうしよか。
06/08/15

Trap Collection 3