『 たとえ貴方が狼でも…  』



 瀬那はやがて、眠るようにゆっくり気を失った。その間、夢を彷徨うような、彼の意識の中に、声と音だけが、入ってくる。

 蛭魔が時折、喉で笑う声と、栗田に何か命じている声、そしてそれに返事をする栗田の声。

「結局、最後まで見張ってやがったな、栗田…。デビルバッツの大事なアイシールド、使いもんになんなくなるような酷ぇこと、しねぇっつったろ」
「そういうんじゃ、ないよ。…それも少しは、ある…けど…」
「じゃあ、なんだ? ただ見てたかっただけか?」

また低く笑う声。体を包んでいた、柔らかくて大きな温もりが、少しの間離れて、瀬那の体は、今度は別の温もりに包まれた。

「……蛭魔」
「あ゛あ゛…っ?」
「僕、帰るね」
「勝手に帰れ。ってか、俺は最初から、帰れっつってたろうが」

 部室のドアが開いて、それから静かに閉じる。部室は酷く静かになって、物音一つ聞こえなくなった。一人っきりにされたのかと思って、閉じていた瞳を、ゆっくりと開くと、思いがけず蛭魔の眼差しとぶつかる。

「チ…ッ、もう気付いたのかよ、糞チビ」

 忌々しげに視線を逸らして、ベンチの端の方へ蛭魔は手を伸ばす。もう一方の腕で、瀬那の体を支え、自分の胸に寄り掛からせたままで、彼は酷く静かな目をしていた。

 見惚れそうになって視線を逸らした瀬那は、シャツを羽織っている蛭魔に比べ、自分が何も着ていないのに気付いて暴れ出す。

「や…。は、はな…離し…ッ。僕の制服はっ」
「動くんじゃねぇ…っ! バラすぞ、てめぇ」

 本当に、人を殺しかねないような獰猛な目で、蛭魔は至近距離から瀬那を睨む。竦み上がり、大人しく腕に収まっている瀬那に、彼は悪戯っぽい顔をして見せた。

「このまんまで服、着て帰るつもりかよ? ぐちゃぐちゃだぜ? お前のカラダ」
「…っ、あ…」

 見下ろして確かめるまでもない。蛭魔が手のひらで、瀬那の大腿を撫でると、ぬるつく感触が触れられた肌を這うのだ。耳も首筋も、赤く染めて、目を開けられなくなってしまいそうなほどの、羞恥に肌を震わせる。

「おら、脚、広げてろっ」

 そんな言葉と共に、水音がした。それから湯で軽く絞ったタオルが、瀬那の体の上を撫でていく。無造作に脚を開かせ、一番酷く汚れた場所を、蛭魔は丁寧に拭いてくれる。

 ついさっき犯されたばかりの体。何にも着ていない、どこも隠せない裸の体で、蛭魔の前で、足を左右に広げて…。

 でもそんな事よりも、瀬那は自分が信じられない。目に映った人の姿から、視線が逸らせなくなっているのだ。制服のシャツ一枚だけを肩に羽織り、ベンチを跨ぐようにしている蛭魔。そうして何度も何度も、タオルを湯で絞り、彼は瀬那の脚や腹を拭う。

 穏やかで静かな顔が、いつもとは違った陰を纏いつかせていて、目が離せない。スポーツをやるにしては、有り得ないくらい細い蛭魔の体が、目に焼きつくようで胸まで苦しい。

 その華奢で長い指も、その指先の爪の形すら、特別なものに見えてしまう。その肌の、透けるような、白さ…。

「お前、朝練…」
「…え…っ?」

 ぽつりと言葉が零れた、蛭魔の唇の形に、目がすっかり釘付けで、意味まで頭に入ってこない。

「明日の朝練、やれっか?」
「あ、朝…? はい、多分、だいじょう…」
「立って、歩いてみてから答えろ。…股関節、それに膝、ガタガタだぜ。多分な」

 蛭魔はタオルを洗面器に放り込んで、部室の明かりを点け、その洗面器をシャワールームの方へ持っていく。そんな雑用めいた事をしている姿が見慣れなくて、瀬那は慌てて立ち上がり、蛭魔の手から、それらを受け取った。

 確かに脚がふら付く。膝がガクガクして、気を抜くと転びそうだ。でも歩けない程じゃない。そんな彼の四肢を、物言いたげに見下ろして、蛭魔は薄く笑う。

「結構、きっちり鍛えてんじゃねぇか。立てんなら早くそう言いやがれ」

 不意に興味を失ったように背中を向けて、もう、蛭魔は彼を振り返らない。無言で体にシャワーを浴び、制服を着て、黙ったままで部室を出て行く。残された瀬那は、今度は本当に誰もいなくなった部室を、ぼんやりと眺めた。

 信じられない事が起こった。そう、思う。
 でも、それは自分の体に、ではなく、寧ろ心の中に。

 ちゃんと鍵を掛けて帰れ、と、そういう意味なのだろう。ベンチの上には、脱がされた瀬那の制服と共に、部室の鍵が乗せられていた。


                                  続 













 セナ君が、蛭魔に見惚れている時、一番「あ、気持ち判るな」って思ってしまうのです。そんな私も、結構、いい塩梅な腐り加減ですよ。

 見惚れるよねっ、だって、綺麗だもん。だって、あんな人だもん。好きになるよね。ナニされたとか、酷いとか、そんなの関係ないんだよ。いいえ、むしろ、その「されたこと」が絆のようで、大切な思い出にすらなってしまったりして…。

 いや、もう、腐ってますって。セナ君、気持ち判ります。そして栗田さんも、似た気持ちなんですよ、きっとね。同じ一人の人を想ってしまう心の形は、醜い嫉妬ばかりではないのです。

 大切にしたいね、この気持ち…という、得難い心に育ってしまうこともあるのだよねぇ。

 腐った惑い星の執筆後コメントでした。YAHA!


06/07/02

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