たからもの … 前
日曜日、予報ではかなりの大雪だとか言っていたから、思わず練習の予定を中止にした。積もったからと言って、別に練習が出来ないわけじゃないが、全員が全員、普段は転がせるバイクが動かせないから、中止の一言は喜ばれた。
まだ夕方前だから、きっと雪の中、あいつは練習してるんだろう。そしていつもの時間に呼び出しがくるんだろうか…。それならもうじきだ、日曜の練習上がりは、平日よりも早い。
バイクを動かせない日の呼び出しは、少しドキドキする。去年の最後の日のことを思い出して、葉柱の頬は無意識に緩んだ。
だけどあの悪魔のことだから、今度はマジで無理にでもバイク転がして来いっていうかもしれないし、そうしたら断れない彼は、危ない雪道を、らしくない走りで、フラフラとヒル魔を迎えにいくことになるんだろう。
それにしても寒いよな。
今日は何故だか酷くだるくて、実はまだベッドの中にいる葉柱は、頭だけ出して曇った窓ガラスを見上げた。
雪は、多分、予想通りに積もっているんだろう。寒さはそのせいだろうし、曇ったガラス越しに見える街は、いつもと違って真っ白く見える。
バイクでいくにしても、歩きにしても、出かけるんならコートだな。確かクローゼットの奥にかけてある筈。…と、その時、ケータイが鳴った。布団を跳ね除けて起き上がって、ディスプレイを見ると「ヒル魔」の文字。
「なぁ、今日、雪だぞ」
「…だからどうした、今すぐ来い。泥門傍のスポーツ店知ってんだろう」
「え、バ、バイクで?」
そう聞き返すと、ヒル魔はちょっと沈黙し、それから苛立ったような声で言った。
「ケッ、賊学ヘッドの癖に歩きで来るってか? 笑ってやるから、とろとろ来りゃいいだろ」
そのままブッツリ電話は切れて、葉柱は一瞬どうするか迷った。でも歩きじゃ駄目だとは言ってなかったし。ってことは、タクシーしろとかいう用じゃないってこったろう。
顔を洗って着替えて、コートを引っ張り出してそれを着て、それから葉柱はいつもの癖でゼファーのキーを指に引っ掛けた。
外へ出て、車庫ん中のゼファーのシートに、なんとなく、ポンポン…と手を置き、それから葉柱は駅に向けて走り出す。ポケットの中でゼファーのキーが、寂しそうにカチャカチャ鳴っていた。
*** *** ***
電車はすぐに来た。飛び乗って、幾つか先の駅で飛び降りて、ヒル魔の指定のスポーツ店まで、葉柱は再び走る。いきなり走ったせいなのかどうか、ちょっと体が熱い気がした。それに結構積もってる雪のせいなのか、時々足元がふらついて。
転びそうになりながら、店の前に着いて、やや暫くそのまま待っていると、中から店主とヒル魔が並んで出てきた。店主はペコペコと頭を下げ、震える手で財布を出して、店の脇の自販機でコーヒーを買っている。
買ったコーヒーを二つ、うやうやしくヒル魔に渡し、店主は店の中に引っ込んでいく。
「バイクがねぇと、様になんねぇよな、オマエ」
そんなのは余計なお世話だ。開口一番、そう言ったヒル魔に、悪態をつき返してやろうと思ったら、微糖の缶コーヒーが飛んできた。受け取って、アチチとお手玉して、それから不器用に礼を言う。
「え、と…サンキュな」
「納期を一週間、間違って教えたキミドリスポーツの、せめてものお詫びってヤツだ。てめぇのことは荷物運びで呼んだのに、用がなくなっちまった」
忌々しげな言葉の端が、少しばかり笑って聞こえるのは何故だろう。何故も何も、ただの気のせいなんだろうけど、葉柱は向けられたヒル魔の背中から目が離せない。
ヒル魔は無糖の缶コーヒーを開けて、白い喉をさらしてそれを飲みながら、ぷらりと川沿いの道を歩き出す。少し歩けば道は二つに分かれて、小道の方は車もバイクも通れない遊歩道。
ヒル魔は迷いもなく小道の方を選んで、白く積もった解けかけの雪を踏んでいく。葉柱もヒル魔もいつもの靴だから、ちょっとばかり気を遣って歩いた。転んだりしたら、多分、服が酷いことになる。
少しだが、今も雪が降っている。だけど結構寒いような気がするわりに、それらはみんな今にも解けてしまいそうだ。都会の雪は脆いから、降っている瞬間にはもう、少し溶けかけているのかもしれない。
遊歩道の脇の大きな木の下に、座ってくれ、と言わんばかりのベンチが一つ。うっすら積もった雪を、雪よりも白い手のひらで一人分だけ払って、ヒル魔はそこに座った。
「…冷たくねぇの…?」
「つめてぇ」
「じゃあ何で、すわっ」
「てめぇもここ、座るか?」
「…座る」
ヒル魔の白い手が、もう一人分の雪を払って、そこに葉柱の座る場所を作る。寒そうに、赤くなった指先。
なんてことだろう。
これってまるで、デートみたいだ。
並んで座ると、お互いの距離は十センチかそこらしか離れていなくて、ドキドキが聞こえちまいそう。
言う言葉もなくて、結構長いこと、雪でグチャグチャの足元だけを見ていたら、ヒル魔がポケットから手を出して、自分の目の前を指差すのが見えた。彼の指差す先で、風景は薄紅に染まり始めている。
そして、そこに立った一本の木が、細かい枝の一つ一つに雪を纏わり付かせて、そのまま淡い金色に光っていた。
雪は、雪ってだけで白くて綺麗だと思ってたけど、それに夕暮れの色を重ねると、淡くて、切ないような、懐かしいような不思議な色に見える。綺麗だ、なんて言うとますます恋人同士みたいだから、それは口に出せなくて。
「…すげぇな」
と、それだけ言った。
なんか胸が詰まって、鼓動が背中まで抜けていってる。ドキドキ、ドキドキ。鼓動が大きくて苦しいくらいだ。その上さらに、眩暈までする気がして、ベンチの背に背中を押し付け、上に広がってる枝を見上げた。
枝の上には重たそうな雪の塊。これで風なんか強くなったら、危なそうだよな…って思った途端、風も吹かないのに、ゆっくりと枝がたわんで、その雪はヒル魔の頭上で崩れ…。
「ヒル魔…っっ」
あぶねぇとか避けろとか、そういう言葉を言う暇は無かった。名前を呼ぶので精一杯。後は自分が立ち上がって、ヒル魔の上に覆いかぶさる恰好で、頭と背中に、大量の雪が落ちてくる感触。
痛い、とは思わなかった。痛いというより冷たかった。でも、胸に抱き込んだヒル魔が、意外にも嫌がらなかったから、その事実が心に熱くて、被った雪が冷たいことなんて、あんまり考えてなかった。
続
ノベルってのは、生きてるんだ! いやその、この話は結構前から温めてたんだけど、温めているうちに、色々と変化したらしいです。ヒル魔さん、優しいねえ…。貴方達もう、相思相愛なのかい?
それなのに葉柱さんが、常に不安そうで、しかも初々しいのは、惚れてる程度が半端じゃないからだろう…などと思った。
二話同時アップの、前後編ノベルです。後編もどうぞよろしく! 楽しんでいただけるといいんですが。
07/03/18
