たからもの … 後 
 


「…あったけぇな、てめぇのカラダ」
「あ、えっと。そ、そりゃ…よかったな」

 葉柱はコートの前をちょっと広げて、その端っこを掴んだままで、そっとヒル魔を抱き締める。ヒル魔の体は細くて、自分に比べたら肩幅もなくて小さくて、こうやって包んでしまえることに、行き場の無い幸せを感じる。

「なんか、熱いくらいじゃね?」
「…そーか?」

 ドキドキ、ドキドキ。

 なぁ? ヒル魔、いつまでこうしてていいのか、今のうちに教えてくれよ。いきなり突き飛ばされたら、今日ばかりはちょっとショック感じちまうかもしれねぇし。

 そんな葉柱の思いなど判らずに、ヒル魔はそれでも雪を被った葉柱の心配をしているらしい。

「平気かよ、てめぇ。頭とか、背中とか」

 頭は平気かって…。そんなの、平気じゃねぇよ。平気なわけねぇだろう。こんなにくっ付いて、それでもお前が怒らない事実に、くらくらしてるよ。何か熱いし、寒いし、さっきから変な感じだ。

「ハバシラ…?」
「…ん、なに…離れろ…って? うざって…ぇ、…って…?」

 その後も続けて何か言った筈なのに、途中で言葉が言葉にならなくなってた。半端に立ってた恰好の葉柱を、強引に引っ張ってベンチに座らせ、逆にヒル魔が立ち上がって、変に真剣な顔で見つめてくる。

「…てめぇ」

 怖い顔。何、やっぱりバイクで来なかったこと怒ってる? それとも抱き締めたりしたのが腹立った? 

「な、んだよ…ヒル…。え…」

 ぎゅう…って、いきなり抱き締められた。

 ベンチの前に立ったまま、ヒル魔は片腕で葉柱の頭を、自分の胸に押し付けてる。その片手で、彼は葉柱の髪を掻き上げ、汗ばんだ額にそうっと触れた。冷たくて細い指の感触が、葉柱の耳をかすめ、首筋に手のひらを押し付けられてきて。

「鈍いにもほどがあるだろーが…っ」

 見上げると、ヒル魔はいつもと違う顔をしていた。見たことの無い顔。試合の最中に、どんなにピンチだって、こんな顔は多分見せない。

 焦った顔のまんまで、ヒル魔は街並みを見渡し、病院の建物を探す。よく知った街だ。近場に病院がないことくらい、本当は判ってるのに、それでも気が急いて。

 そしてヒル魔はポケットからケータイを出し、どこかに電話を掛けた。ぼんやりとそれを見ながら、葉柱の脳裏は半ば混乱している。


 誰を呼んでんの? 
 俺の見てる前で、別の奴隷なんか呼ばないで欲しい。
 出来ることなら何でもするから。
 それで使えねぇっていうなら、ほんとは出来ねぇ事だって、
 お前の為にしてみせる。

 
 長いコールの後で、電話の相手がやっと出たらしい。苛立った声が、少し震えて…いただろうか。

「早く出やがれ、糞賊学!」

 え? 俺のガッコのヤツに電話したの? なんで?

「タクシー。一台でいい、すぐに寄越せ。今日はバイクじゃ駄目だ。車」

 眉間にシワを寄せたおっかねぇ顔で、ヒル魔は苛々と続きを言う。

「あ? 無理? てめぇらの学校なんざ、ダブってるヤツが幾らでもいんだろうが。その中に車持ってるのが一人もいねぇってのか?! あたってもみねぇで、すぐ無理とかできねぇとか言ってんじゃねぇ…ッ。てめぇらの大事なヘッドが急病だっつってんだ!」

 もっともな事を言って、容赦なく怒鳴ってるヒル魔の姿が、男の俺から見ても、カッコいい。でも急病…って。ああ、もしかして俺、熱とかあるのか…。それで俺の仲間を呼んでくれてんの?

 やっと意味が判って、葉柱はもう一度ヒル魔の顔を見る。電話はまだ繋がったままらしい。暫く沈黙して相手の返事を待ったあと、淡々と、判りやすい言葉で場所を教えてる。

 そして電話を切った後、薄目だけ開けてる彼の視線に気付かないのか、ヒル魔はゆっくりと顔を寄せて、葉柱の額に頬を触れさせて、それから唇をのせた。

 葉柱の熱は高い。息も浅い。さっきまでは少し赤く見えた顔が、今はかなり青ざめてる。

「具合悪ぃんなら、呼び出しん時にそう言え、馬鹿」
「い、言わ…ねぇ。そしたら、お前…別のヤツ呼ぶんだろ…?」
「……」

 遠くから聞こえてきた数台のバイクの音。葉柱が急病と聞いて、じっとしていられなくなったのか、この溶けかけた雪の中を、用立てた車と一緒に何人かやってきたのだろう。

「結構好かれてんだな、てめぇ」

 ニヤリと笑うヒル魔の顔は、もうさっきまでの動揺した顔じゃなくて、いつものこいつに戻ってる。もう一回、俺を心配する顔が見たい。優しく名前を呼んで欲しい、なんて、甘えた願いが浮かんじまう。

 そうしたら、本当に…。

「熱、下がって体調が戻ったら、そっちからコールしてこい。それまでは呼ばねぇし、別のヤツ、足に使ったりしねぇから。判ったか? ハバシラ」

 ヒル魔の胸に、顔を押し付けたまんまだから、その声は本当に甘く響いて、聞いてるだけでイっちまいそうに幸せで。うっとりしてたら、その上さらに駄目押しまで食らわされた。

 え…。ちょ…っ…。もうバイクの音が、こんなちけぇのに、み、見られちまうよ? いいの?

「大人しく寝てろよ」

 熱におかされた、あちぃ唇に、冷たいヒル魔の唇が触れてくる。でもそれは一瞬で離れて、ヒル魔は近付いてきた賊学の不良どもに、テキパキと指示を出していた。

 車の中に運び込まれて、まずは病院、それから自分ち。看病するとか言って、不良共はぞろぞろ部屋に上がり込んできたが、勿論、ヒル魔は病院の場所を指示しただけで、あのベンチに一人で残った。


 *** *** ***


 頭の上に、保冷剤を包んだタオルをのせられて、食欲もねぇのに、お粥を食わされて。眠りかけてた時に、誰かが何気なく言った声が聞こえた。

「あの悪魔、何だかんだ言って、結構、イイとこあるんスね」

 薄目を開けると、その場にいた全員が同じ気持ちらしく、うんうん、と頷いているのが見えた。

 嬉しかった。これが喜んでいいとこかどうか判らねぇけど、ヒル魔がいつも、こいつらにクソミソに言われてんのが嫌だったから。

 嬉しくて、顔が笑っちまいそうで、思わず寝返りを打つと、周りに座ってた全員が、わあわあと騒ぎ出す。

 やれタオルが落ちただの、もっと布団掛けた方がいいだの、果物を買ってくるだのなんだのって。

「悪ぃな、てめぇら」

 礼を言ったつもりが、照れくさくて声がちゃんと出なかった。誰にも聞いてもらえなかったその言葉は、布団の中に篭って、ぽかぽかと彼を温めた。

 多分、すぐ治っちまうな、こんな風邪。
 いろんな思いの混ざり合った、酷くいい気分で、葉柱はそう思った。


                          
                                    終









 タイトルは大抵、書き始める前に考えます。それでもって、書きあがったらイメージ変わってしまってて、付け直すってのがいつもの流れ。笑。

 でもこの話は、タイトルを考えるのを忘れていて、終わってからその事にハタッと気付いた。でもすんなり浮かんできたタイトルが、こんな素朴なものだったり、ね。でも気に入ってます。

 てな訳で、執筆後コメントは、今日の日記へと続きまーす。読んでくださった皆様、ありがとうでした♪
 

07/03/18