「好きじゃなきゃ…」  前編
 
 


 その日は、ヒル魔からの呼び出しが中々来なかった。このところ、毎日迎えに行っていたから、ケータイが鳴らないことが気にかかる。待っているみたいで、本当は腹が立つのに、その通りだから仕方ない。

 もう誰も残っていない部室を出て、葉柱はゼファーのエンジンを掛けた。薄暗い街灯の下、低く響くエンジン音を聞くと、自動的にヒル魔の声が耳に聞こえる気がしてくる。

 遅ぇぞ、糞奴隷、待たせんじゃねぇ。

 毎日のように、精一杯急いで突っ走って、それでも校門前とか部室の裏で、待たされるのは大抵、葉柱の方。ハンドルの上に長い腕を組んで、何度、苛々とあいつを待っただろう。

 街灯の光が、彼の上に繰り返し投げ掛けられる。前の車のテールランプが眩しい。やがて高架下に見えてくる、泥門のグランドの明かりが、それの何十倍も眩しく見える。そこにあいつがいるから。

 珍しく、グランドに見える人影は、たった一つだけだった。長く影を伸ばして、一人でそこにいるのが、遠くからでもヒル魔だと判る。

 その影が、細い腕を伸ばしてボールを投げた。傍らのデカい籠の中から、また一つボールを取って、同じようにさらに投げる。その動きが何度も何度も、何度も…。

 バイクを停めて眺めていた葉柱は、何となく、近寄りがたいような気持ちでそれを見た。他のメンバー全員を帰らせて、自分だけ残って練習するなどとは、きっと誰にも言わずにいるんだろう。そういうヤツだと、葉柱は思う。

 ケータイを見るが、着信は無い。メールも無い。

 帰りかけて、葉柱はもう一度、ヒル魔を見た。グランドとこことは遠く離れていて、ライトの明かり一つで、自分を判別できる筈も無いのに、その一瞬、ヒル魔がこちらを見たように思えたのだ。


 *** *** ***


 部室の裏に、葉柱はゼファーを停める。バイクの音が聞こえているだろうに、ヒル魔は振り向きもしなかった。だからといって、このまま帰るのは、あんまり間抜けなので、バイクから下りて、フィールドに足を踏み入れる。

 声を掛けようと息を吸い込んだ途端に、冷たい口調で言われた。

「呼んでねぇぞ」

 いつもながら腹の立つ言いようなのに、腹を立てるタイミングは、もう何処かに転がって消えてる。眩しい照明に照らされて、ヒル魔の白い頬に、幾すじも汗が流れるのが見えた。

 ヒル魔はまた、ボールを一つ投げる。遠くの闇の中へと飛び去って、フィールドの何処かへと、ボールは消えた。

「…何しに来た、糞奴隷」

 言ってから声の合間に零れる浅い息。それが艶めかしく聞こえる自分の耳は、きっとどうかしちまってるんだろう、と葉柱は思っていた。彼の腕が…そこから飛ばされるボールが、風を切る音がする。

「カ…ッ、来ちゃわりぃかよ」

 すげぇ汗…。一体、何時間一人でやってんだ、こいつ。それに、これから何時間続ける気なんだ? もう十時を過ぎてるってのに。

 汗は尖った顎から滴って、ヒル魔のユニフォームの胸を濡らしていた。腰に下げてるタオルで、彼は時々手を拭っているが、もうそのタオルも重そうに揺れている。

「…おい、あんまり無茶しねぇ方が」
「るせぇ。邪魔すんなら帰れ」

 つい心配して言った声が、あまりにヒル魔らしい言葉に、あっさりと遮られた。

 ああ、そうかよ、判ったよ。どうせ邪魔だろ。

 こんな遅くまで呼び出しを待って、その上、呼ばれてもねえのに、こんなとこまで来ちまって、ただ俺が馬鹿を見ただけだ。やってらんねぇ。邪魔すんなら帰れ? ああ、どうせ邪魔モノだよ。マジ腹立つ。

 イラついて背中を向けた途端に、ヒル魔の言葉の意味を、別の向きから考える気になる。

 邪魔すんなら帰れ? ってぇことは、邪魔しねぇんなら、いていいって事、だよな?

 それで葉柱は、その後もヒル魔から少し離れて、黙って突っ立ってた。風は冷たいし、夜半はもうすぐ過ぎちまうし、馬鹿みてぇだな、とか思いながら、帰る気には中々ならない。

 何度か、ヒル魔の視線がちらりと葉柱を見た。そのたび、表情の一つも変えずに、彼は籠の中からボールを拾って、闇の中へと投げる。

 白い顔、白い首筋、白い腕と指。強い明かりに照らされた金髪は、本当の色よりもずっと白っぽく見えた。赤いユニフォームは、多分もう上から下まで、ずぶ濡れだろう。色が酷く濃く見える。

「…ボールが無ぇ」

 ぽつりと言った言葉の通り、三つ並んだ籠の中に、まだ沢山入っていたボールが、一個も無くなってた。

「あ、なら、そろそろ帰っ…」
「さっさと拾って来い。何の為にここにいんだ、糞奴隷が…っ」
「て、てめ…っ、一々怒鳴んじゃねぇよッ」

 怒鳴り返しながらも、急いで拾い集めに行く自分が、何故だかどうにも笑えてしまう。葉柱は転がったボールを避けながら走って、遠い場所から順に拾い集めた。

 何往復かして、籠二つがやっといっぱいになる。また走って行く彼を、腰に腕を置いたまま、見張るように見ているヒル魔。一瞬、ふらりとその体がよろめいて、籠の縁に捕まった。



                                  続









 何が悔しいって、気に入った壁紙が、探しても探しても見つからないことなんですよねっ。

 夜中のフィールドをイメージできる背景がいいな〜なんてさ。それを探してる私自身だって、どんなのがイイのか、わかりゃしませんやーーっ。

 でね、今回の話は、ちょっと詰まらない内容かな、とか、自分でも思ったのさ。でも私、一回でいいから、少しっぱかりアメフトに関することを話してる二人が書きたかったの。

 ああ、こんな話ですみません。


06/11/18