「好きじゃなきゃ…」  後編



葉柱」

 遠くにいる葉柱の名を、特に声を張り上げもせずに、ヒル魔は呼んだ。遠くにいるのに、その声がはっきり聞こえて、振り向いた途端に、髪をかすめて、ボールが顔の横を過ぎて行った。葉柱は思わずぎょっとする。

 な、なんだよ。球拾いから、いきなりパスキャッチ係に昇格か? 奴隷以上にして貰えそうな雰囲気は、ちっとも感じやしねぇのに。

「い、いきなり何しやが。…っ!」

 また、風を切る音がした。体が反射的に動く。一瞬あとに、手のひらを焼くような熱い感触。皮の匂い。受け止めたボールには、そんな筈もないのに、ヒル魔の手の温もりがあるように思えた。

 それにしても、今の球すじ。受け止めてなきゃ、もろに顔面直撃だ。手のひらを火傷しそうなこの鋭さを、顔で受け止めたら、一体どうなってたか、ちょっと背筋が寒くなる。

 ぶつけ返してやろうかと思ったが、どうせこの距離からじゃ、彼が投げたとしても、ひょろ球しかヒル魔には届かない。この程度かと嘲笑われるのがオチだろう。

 ムカ付きながら、遠い距離を歩いて傍まで来たら、ヒル魔はいきなりこう言った。

「…てめぇは、なんでアメフトやってんだ?」
「な、何だよ、いきなり」
「いーから答えやがれっ」
 
 ヒル魔の声は少しかすれていた。それが耳元で囁かれたように聞こえて、思わず答えが曖昧になる。

「なんでって…えー…っと、初めてボールに触ったのが、確か…」
「ケ…っ、回りくどいんだよ、てめぇは。何か簡単な答えがあんだろう、違うのか。あ? 好きじゃねえのか、アメフト」
「そ、そりゃ、好きじゃなきゃ、やってねぇよ」

 何をいきなり聞くのかと思った。つり込まれて答えたが、それが本当の気持ちだから、別に言ったって構わねぇ。なのになんか照れくせぇから、俺は横を向いてた。

 そしたら、また囁くようなヒル魔の声が、聞こえたんだ。

「俺も…好きだ…」
「…え…っ?」

 アメフトの話だ。別の何の話でもないのに、心臓握り込まれたみてぇになって、ヒル魔の方を見た途端、その苦しくなった胸にヤツが倒れこんできた。そうして浅い息の合間に、切れ切れの言葉。

「…おもしれ…ぇ、よな、ぁ…アメフト」

 何とか抱きとめて支えた筈だったが、いきなりだったし、片腕だけでは無理があったらしい。ずるずると滑り落ちるヒル魔の体を、放り出す訳にもいかなくて、葉柱もそこに膝を付いた。

 もう一方の腕にあるボールを、必死に抱えたままでキープしていた自分を、馬鹿かよ…と、彼は笑う。フィールドん中にいるせいか? ゲーム中でもねぇのに、ボールが手から離せねぇ。こいつも相当アメフト馬鹿だが、俺もどうやら同類らしい。

 必要が無いと気付くと、やっと葉柱の手からボールが離れた。空いた両腕で、今度はしっかりとヒル魔を抱え起こして、その顔を覗き込む。

 いつもは立ってる金髪が、汗ですっかり乱れていた。閉じた目蓋と睫毛を眺めて、仰け反った喉を眺めて、軽く開いた唇を眺めた。まだ浅く速いけれど、規則正しい息遣い。

 いぶかしんで、ついで疑いの目で見て、まさかな、とも思ったが、どう見てもヒル魔は眠っていて、その無防備さに驚いた。こんなことは知り合ってから、殆ど初めてだった。

「おい…」

 その程度の呼びかけでは、目を覚ましそうにない。揺さぶったらさすがに起きそうだが、それはやめた。変わりに、そっと言ってみる。

「…起きねぇと襲っちまうぞ? いいのかよ」

 言ってから、葉柱は周りを見回す。誰もいない。当たり前だ。もう夜中を過ぎてるから、道路に車の明かりも殆ど見えなかった。だから。

 彼はヒル魔の体を、ゆっくりとフィールドに寝かせた。防具つけてるってのに、なんてぇ軽さだ、と心の隅で思う。汗に濡れた金の髪が、土の上に広がって綺麗だった。薄く開いた唇の、少し赤い色も…。

「起きんなよ、ヒル魔…」

 顔を寄せて、その唇をそっと吸った。相手に意識が無いせいか、それは酷く柔らかくて、別に始めてしたキスでもないのに、心がふわふわしてくる。

 キスったって、いつもヒル魔は大抵、目ぇ閉じねぇし、無理にしようとした日にゃ、腹ぁ蹴り上げられるか、唇に噛み付かれるか。危険極まりなくて、じっくり味わえた覚えが無い。

「も、もういっぺん」

 誰に許可をするでもないのに、葉柱はそう言って、またキスをする。唇が触れるたび、理性が溶けて崩れてく気がした。ヒル魔の唇から零れる息が甘い。その唇の柔らかさも寝顔の綺麗さも、なんかの罠だろうか。

 何回したか忘れるくらい、その静かなキスを繰り返してから、葉柱はヒル魔の体を、自分の長ランでくるんで、そうっと抱き上げた。

 間違っても転ばないように、あちこちに転がってるボールを避けて、ゼファーに向かう。このまんまどっかに連れて行きたい気がしたが、それが何処なのかも判らない。ヒル魔が起きたらきっと、彼はいつもの口調でどやされる。


 何してやがんだ、糞奴隷…っ、か?
 それくらいなら、たまにはさっきみたいに聞いてきやがれ。
 この糞ヒル魔。

 …てめぇはなんで、俺にこんなことしてんだ…?

 …好きじゃなきゃ、しねぇさ。


 なんてな…。冗談じゃねえな。言えるわきゃねぇよ。
 そんな心臓がぶっ壊れそうなセリフ。

 だから頼むぜ。聞くなよ、ヒル魔。


 結局彼は照明の届かない部室の裏、地べたに座ってヒル魔の体を包んでいた。大事なゼファーのすぐ横で、それよりも、もっとずっと大事そうに、彼を体全部で守るように…。


   
                                  終








 前、後編ともに、一気書きしてしまいました。

 前編のコメントにも書いたんですけど、ヒル魔さんとさ、葉柱さんがさ、アメフトに関することを話しているシーンが、ちょっとでいいから書きたかったんですよ。

 恋愛もののヤオイ話っすから、あんまりそういう話、書かないと思うしさ。だけでアメフト漫画だもん、一回くらい…。ヒル魔の投げたボールを、葉柱さんに受け止めて欲しかったんだよーーっ。

 いや…変な話の上、変なコメントで、もーしわけないっ。へこっ。


06/11/18