『 F i r s t M e s s a g e … 前編 』
白い、白い、白い色で、街は埋め尽くされていた。夕方のうちから雪が降り出して、予報通りだってのに、葉柱は愕然と空を見上げている。
部活には、それほど支障はなかった。足元がちょっと滑りやすくなるくらいで、それはそれでいい練習だとも思える。でも、問題はあるのだ。葉柱は忌々しげに、眉をしかめて空を見て、ぼそりと呟く。
「…んだよ、積もっちまったじゃねーか。どーしてくれんだ」
練習中も、胸に入れたままのケータイを取り出して眺めた途端、見飽きるほど見た名前が、ディスプレイに浮き上がる。
やっぱり来ちまった。ヒル魔からだ。迎えに来いってんだろう。あいつ判ってんのか? 雪だぞ? 積もってんだぞ? こんなになって、バイク走らせるのなんざ、死にたいヤツのするこったろう。
「おせぇっ、早く出やがれ、糞奴隷!」
「あー…。何だよ」
用件は判ってるが、葉柱はそう聞いてみた。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、いつも通りのヒル魔の命令。
「迎えに来い」
「ばっ、馬鹿か、てめぇっ! 判んねぇのかよ。雪、降って」
「今からすぐな」
それもいつものことだが、ヒル魔は葉柱の言葉など聞いてない。言い終えるとブツっと電話が切れて、あとはツー、ツー、と等間隔に音がするだけ。
「こっ、殺す気かよッ」
無理だと言ってやるしかない、と、すぐに葉柱からヒル魔に電話を掛け直すが、その時はもう、ヒル魔のケータイは電源が切れている。怒りのあまり震える手で、葉柱は雪の中にケータイを放り投げそうになった。
投げる代わりに、彼はケータイを睨み据える。どうすればいいか、沈黙したケータイは教えてはくれない。
「先、上がる…っ」
部員達にそう言い置いて、葉柱は部室へと駆け込んだ。急いでシャワーを浴びて着替えて、飛び出すように出てきて、そのまま校門から外へ出て行く。雪に濡らしたくなくて、ゼファーは部室横の小屋に入れてあったのだが、それはそこに置いたままで。
*** *** ***
泥門と賊学は、電車に乗れば駅幾つか。バイクだと五分でも、駅まで行って電車を待って、それに乗って向えば、十分、二十分と、すぐに時間が過ぎていく。
結局、ヒル魔から電話があってから、四十分も時間が過ぎて、やっと葉柱は泥門の校舎の前に立つ。グランドの明かりはもう消えていた。人影ももう見えない。
「…は…っ、馬鹿みてぇだな、俺」
校門に寄りかかって、葉柱は上を向く。まだ降り続いている雪が、葉柱の黒髪に積もっていこうとしていた。
ムチャクチャさみぃ…。そういや、上着も着ねぇで来ちまった。ヒル魔は今頃、とっくに家に帰ってんだろうな。
「てめぇの馬鹿は元々じゃねーか」
いきなりそんな声が聞こえて、葉柱はぎょっとした。回り込んだ門の
影に、背中で寄りかかっているのは、オフホワイトのコートを着て、マフラーまでしっかり巻いたヒル魔の姿。
寒さ対策、きっちり考えた恰好だったが、その金髪の頭の上には、葉柱の頭に積もっているよりも、もっと沢山の雪が積もっている。
「まあ、それでもこんな中、バイク転がして来ちまうほど馬鹿じゃなかったみてぇだけどな」
ヒル魔はニヤリと笑って、葉柱の横をすり抜けて歩いていった。足あとが白い雪の上に、ヒル魔の歩数と同じだけ増えてく。でもその跡を、新しい雪がどんどん消して…。
「てめぇ、何、ぼーっと突っ立ってやがんだよ。迎えに来いっつったんだぞ。だから来たんだろーが。送れよ」
「え、だって、俺、バイクじゃねぇーのに、どーやって」
「…バーカ」
ヒル魔は道の脇に逸れていって、白い雪に、明るい光を投げ掛ける自販機の前に立ち止まる。ポケットから出した小銭で、熱いコーヒーを一つだけ買って、それに口を付けた。
温かそうな湯気があがっているのに、それを目の前で飲まれると、見ているだけの葉柱は、一層寒くなる気がする。自分も買おうかと迷っていると、目の前に戻ってきたヒル魔が、飲みかけのコーヒーを、葉柱の口元に差し出したのだ。
「え、飲んでいーのかよ。なんか…珍しーな」
聞き返しても、ヒル魔は返事をしない。葉柱が手を出した途端に、彼は手を離しちまうから、危うくコーヒー零しちまうとこだった。なんか言いたそうな目をして、ヒル魔は葉柱が、自分の飲みかけのコーヒーを飲むのを眺めている。
見られてるだけで落ち着かねーってのに、自分を見るヒル魔の目が、変に食い入るように見てる気がして、それがますます気になった。コーヒーの味なんか、もう全然判らなくなっちまう。せっかくヒル魔と関節キスなのに。
え? 関節キス? 何考えてんだ、俺。何回ももうキスしてんのに、今更、そんなこと気にして、ほんと馬鹿みてぇ。
ヒル魔は葉柱に背中を向けて、何も言わずに、自分の行きたい方に歩いていく。ちびちびとコーヒーを飲みながら、葉柱はその背中を眺めて歩いた。
もう随分と時間が遅いけど、商店街の店々は何故か大抵開いてて、店の中から外へと、白い明かりを零している。時々擦れ違う通行人、ヘッドライトを光らせて、通り過ぎてく車。
コーヒーがやっとなくなる頃、二人は駅について、並んで切符を買って改札を抜け、電車に乗って吊り革に掴まる。別に珍しくない筈のそんな事が、葉柱には物凄く新鮮で、妙な感じがしてならない。
言われた駅で降りて、改札を抜けて駅を出る。ちょっと歩いて、長い歩道橋の上を歩く途中で、ヒル魔は急に脚を止めた。ポケットからケータイを出して開いて、何かを気にしてるんだろうか。
丁度歩道橋の真ん中に来た時、ヒル魔は手すりに背中で寄りかかって、雪と同じに白い、白い息を吐いた。
「さみぃ…」
「そりゃ、雪降ってんだし」
「さみぃ…っつってんだ」
「いや、だから…そりゃそー…」
斜めに注がれる視線に、薄い笑みが滲んでた。口はちょっとも笑ってねぇのに、なんて器用な奴。滲んだ笑みの中の、誘うような色が、それに気付いた葉柱の胸に、背中まで抜けちまいそうに深く刺さってくる。
マフラーに半ば隠れていた唇が、遅れてやんわりと笑みを浮かべ、薄く開いたその隙間に、ちらりと見せる舌先…。
「…俺が馬鹿だっつったの、てめぇだろーが。もっとさ、わ…判るように言わねぇ?」
「言わねぇよ。変わんねーな…ハバシラ」
いくら夜半近いったって、どっからでも見えちまいそうな、こんな場所で誘う方が、どうかしてんだろ。違うかよ。
名前を呼ばれて、やっと葉柱はヒル魔の傍に近寄る。言って欲しいっつったって、ヒル魔は絶対、口に出して言わないのだ。それは今までも、きっとこれからもそう。
「その、キ…キス、しろっての? マジ、ここで?」
「嫌だってか?」
「…べ、別に、嫌じゃねーけど、ヤベぇんじゃ」
「さぁな」
嫌なワケねぇ。本音言って、いつでもしてぇのはこっちだし。二人きりになる機会なんて、あんまねぇんだから、場所がどんだけまずくても、誘われたらさ。そん時、誘いにのらねぇワケにいかねぇよ。
こいつ、拒まれねぇって判ってんだ。俺が、嫌だなんて言うワケねぇんだって。そーだろ?
吐き出される白い息を、直にその口から奪い取りてぇ。柔らけぇその唇が、ほんとにどんだけ柔らかくて甘いか、何回確かめても飽きねぇよ。でも、こんなとこでヤりたくなったらどーすんだ? そーなったらヤベぇだろ。ヤベぇけど、そんときゃもう、どーとでもなっちまえばいい。
「何だよ、結局迷ってんのかよ、ハバシ…。ん…」
「迷ってねぇ…ッ、ん、ん…、ヒル魔」
歩道橋の上、降り続く雪。二人が歩いてきた足あとが消えるほどの間の、長い長いキス。舌が絡む音がする。遠くのクラクションよりも、ずっと大きくそれが聞こえて、あまりの淫らさに頭が痺れそうだ。
ヒル魔は両肘を手すりに付いて、細い体を反らしている。彼の閉じない目に、目を強く閉じた、必死な葉柱の顔が映っていた。キスに溺れ、ヒル魔に溺れるその顔を眺めながら、開いたままのその目が薄く潤んでくる。
見せない本音が零れるのは、どんな時でも、葉柱が見ていない時だけ。彼の目を閉じさせた、こんな時だけ…。
続
アイシで新年ネタですっ。なんか時節ネタ書けないとか、日記で書いたのに、書いてるし。笑。蟲でも書いたし、どっちかというと日本風の行事は書けるらしい。あはは。
今回も、二話同時アップですので、執筆後感想は後編の後にね。では、引き続きお楽しみくださいませっ。
07/1/1
