Key Ring 4




 来いよ、ヒル魔…。

 夜中に掛けて来た電話で、いきなりそう言った声。あいつの声は別に聞きたかねぇけど、嫌いじゃねぇんだなんて思うのは、それがきっと英語だからだろう。ガキの頃、散々入り浸ってた米軍のキャンプで、朝から晩まで聞いていて、寝言が日本語じゃなくなりそうなくらい、耳に馴染んでいるってだけ。

 たった今、彼を取り巻いている喧騒も英語だ。ヒル魔はJFT国際空港に居る。ここはニューヨーク。広過ぎるフロアの椅子に背中を預け、喉を反らして、帽子で顔を隠した彼の傍に、誰かが躊躇い無く立ち止まる。

『そういう格好なのは、俺と会うからか? サニー』
『は…。有名人と会うからには、軽く盛装するくらい礼儀だろ?』

 そう言って帽子をどけた顔を、クリフォードは思わずじっと見つめていた。いつも立たせている金の髪を、真っ直ぐ自然に下ろして、ラフにスーツを着崩した格好で、長い脚を組む姿は、酷く「ここ」に馴染んで見えた。「外」から来たようには見えない。

『お前の中に、このままこっちに住んでしまう選択肢は? 歓迎してやってもいい』
『何、言ってんだ、アタマおかしくなったのかよ?』
『いや、似合っている、と思っただけだが』

 お前という存在が、アメリカに。

 笑ってそう言ったクリフォードの顔を、面白くも無さそうに見て、ヒル魔は組んだ脚を下ろしながら身を乗り出した。立ち上がりもしない非礼な態度なのに、相手がいつまでも怒らないのが、逆に気に障る。手の上で遊ばせるつもりなのかと思って。

『こんなとこまで呼び出した用件を言えよ。下らねえ用事だったら、チケット往復、出してもらうから覚悟しな』
『あぁ。チャーター機でも、なんでも。お前の好きなように』
『…………』

 ヒル魔は返事をしなかった。クリフォードが呼んだのも、別に話なんか大してないのもわかってた。「来いよ」と、唐突に誘われるのは、実は一度目じゃなくて、でも誘いにのって、海を越えたのなんか初めてだった。

 ここまできたのは、普段の自分のエリアから離れたかったからだ。自分が「ヒル魔」じゃなくなったつもりで、遠いところで自由になりたかった。そのために、クリフォードを利用する気でいたのだ。よけた帽子をもう一度被って、やっとヒル魔は立ち上がる。

『…なぁ、どっか面白いとこ連れてけよ。いろいろ知ってんだろ? D・ルイス』

 そう言って、帽子に目元を隠したまま、顔を寄せて笑うと、クリフォードも少し笑った、アメリカ戦の時には見なかったような顔をして。ヒル魔は思うのだ。どこがいいんだ、俺のことなんか。今まで付き合った女どもと毛色が違うからか? 男と遊んでみてぇってか?

 ほんとは大体わかってるよ、あの試合の後、一度二人で話して気付いた。こいつは何でか、俺を気にかけてんだ。惚れて…んのかもしんねぇ。肌でそれをわかってるから、今までずっと相手にしていなかったんだ。こういう自信過剰なヤツは、下手に触れるとカン違いして、独占欲バリバリで…。

『構わないが。D・ルイスはやめて、クリフォードと俺を呼ぶのが条件だ』
『…OK、クリフォード』

 やっぱりなんだな、とそう思いながら、ヒル魔はわざとゆっくり彼の名を呼ぶ。何故だか少し、悲しい気がして胸の奥がちりちりと痛んだ。





 長い十日間が過ぎようとしていた。無意識に足元を眺めているのが癖になってた。あの日に通った場所は、バイクを降りて歩く。もう、見つからないだろう、とは思ってる。あればとっくに見つけているから。電話は来ない。十日を過ぎて二週間に近付く。

 やっぱとうに知ってんのかな、って思った。大事な鍵をなくしやがってって、怒って電話くれねぇのかな。ついでにこれっきりになっちまったとしても、あいつは何とも思わねぇのかな。

 元々そんなに、我慢強くなんて出来てやしない。あいつの我侭には随分慣れたが、あいつの傍にいられないことが、こんなに胸に痛いんだ。好きで好きで好きだから。そうして焦れて、とうとう葉柱はそのドアを叩いた。

「…あ…の…さぁ…?」

 泥門の、夜の練習が終わる頃合に、葉柱は思い切って部室に行ったのだ。叩いたのはそのドアで、開いた扉の中が、ガヤガヤとうるさくって、メンバーがいるのがわかったけど、ヒル魔の声は聞こえてこなかった。

「あれぇ? ルイ君?」

 のんびりとした声が彼の名を呼んだ。デカくて丸い体で栗田が傍までやってくる。

「どうしたの? ヒル魔、いないよ?」
「…え…?」
「そうなんっスよ、なんかまた情報集めとか飛び回ってるんスかね? 今週アタマっからずっと練習に来てなくて」

 お陰でキャッチの練習がちゃんと出来ない、などと、モン太は身振りでボールを受け止める仕草。そして中に入れと促すように、マネージャーがあいている椅子に手をかけてた。思い思いに過ごすメンバー達だが、その中で二人だけがどことなく、何か言いたげな顔をしてる。彼女と…そして、キッカーのヤツと。

「いなくなる前、朝練の時間に電話があったんだけど、聞こえてた周りの声が、英語だったみたいで、どこかの空港…?とかなのかしら? ほんとに相変わらずなんだから…。葉柱君、今、コーヒー入れるから、入って飲んでいったら?」

 コーヒーを勧められても、葉柱はとてもそんな気にはなれなかった。首を横に振り、扉を閉じながら、手がもう勝手にケータイを握っていた。

 どんなに罵られようと、睨みつけられようと、やっとヒル魔に会えると思ってここに来たから、会えなかったそのことだけで、会いたさは倍増しで。なのに、外国行ってるかも、とか、それは何の冗談だろうって、そう思ってたんだ。

 お前の声だけでも聞きてぇよ、ヒル魔…ヒル魔…。

「…怒鳴るんでもいいからさ、出てくれ…ヒル…」

 長い長い呼び出し音。諦めかけた頃、繋がって、聞こえる長めの沈黙の次に、あんまり聞いたことのない声。そしてあいつの声。


『From whom?』

『No, it is a mistake telephone. 』

 プツン ツーーーー


 あぁ、あいつの英語は、悲しいくらい綺麗な発音で、なのに、意味くらい判ってしまって、それがかえって、辛かった。

『From whom?』
   … 誰から?

 この声は、知ってる。アメリカチームのQBだってことくらい。そうしてどこかヒル魔に似た感じのヤツ。二人で話してるのも見たことある。名前、確か、クリフォード…っていう…。

『No, it is a mistake telephone. 』
         … いや、間違い電話だ。

 間違いなわけねぇだろ! お前のそのケータイに掛けんのは俺だけ。俺専用なんだって、よく知ってる。お前自身がそう言ったのに、なんでそんな酷いこと言うんだ? なんで、お前、そんなヤツのとこにいんの? 

 海を渡ってまでして、会いに…行ったの…?

 一瞬、ケータイをどこかに投げ付けてしまいたいような衝動に駆られた。目の前はグラウンドのフェンス。足元はコンクリート。どっちに投げ付けても、ケータイは無傷じゃすまないだろう。

 強く握れば、ぎしぎしと手の中で軋んで、それだけで壊れそうになっているから、葉柱はそのケータイをそっとポケットの中に滑り落とした。自分の壊れそうな心みたいに、壊してしまうのは嫌だった。冷たくされても、無視されても、こいつはまだお前に繋がるモノだから。

「アメリカ…。ざけんなよ…っ、遠いっつの! せめてバイク飛ばして行けるとこにしてくれよ、そしたら、すぐでも…お前、取り戻しにいくのにな…」

 葉柱はバイクを押して歩いた。足元をケータイの光で照らし、大事なものを探しながら歩いた。空には丸い月が出ていて、地面は少し明るかった。

 あーぁ、お前、相変わらず…きっつい、のな。

 

   









 
 ほんとに酷いですよ! ヒル魔さんっ。浮気ですかぁぁぁぁ! しかも浮気現場に電話されて「間違い電話だ」ぁ? どんな堂々とした浮気ですかぁぁぁぁ! 浮気しにアメリカ大陸までかっ飛ぶヒル魔さんは素敵ですけどね。ぜんぜん楽しくないだろ? わかってんだからな!

 とか、惑い星心の声が、キレた場合の葉柱さんとリンクするのであったよ。とほほ。


11/10/02