Machine    4




 珍しく軽い感じでヒル魔がそう言った。葉柱は頬を高潮させて、ついでに唾までごくんと飲んだ。

 う、わぁぁ…。なんか機嫌よさそう今日のヒル魔、もしかして…もしかしたらってドキドキしてから葉柱は、はた、と気付く。鍵…っ…? ねーよな、あのボロ工場に、そんなジョートーなもんなんて。

 もう歩き出してるヒル魔の背中を、松葉杖でめちゃくちゃ頑張って追いかけて、追いついたら言おうって思ってんのに、中々おいつけねぇ。も少し加減して歩いてくれたっていーだろーに。怪我人相手でも容赦ねぇのな。

 必死も必死で追いかけて、やっと追いついたと思ったら、そこはもう、ボロ工場の前だった。

「ひ…ひ、ヒル…っ、ここ、鍵なんてねぇから、その…別んとこでヤんね?」
「あ゛ぁ…?」

 濁点付きのその声は、男にしてはケッコー高めなのに、迫力に欠けてねえのは大したもんだよ。

「なに、てめぇ? ヤる気でいんの?」
「え…あれっ? だっ…て。ち…違ぇの?」

 だってさっき…だってさっき、鍵がどーとかって。色っぽい顔してヒル魔、俺のことちらって見上げて。

 うろたえる葉柱を、面白そうにじろじろ見て、そのうえかすかに唇歪めて、憎たらしい顔でせせら笑って…。ヒル魔は半分以上おりてるシャッターを、ひょい、と屈んで通り抜けて工場に入ってく。葉柱はと言えば、松葉杖でそんな器用なことできないから、無様にもたもた、それでも急いでついていく。

 低く低く屈んで、地面に膝も片手もついたから、余計にはっきりわかった。ここに染み付いたエンジンオイルのにおい。ガソリンのにおい、金属と金属を溶接するときの、独特なにおい。

 あぁ、バイクのにおいだ。そう思って、葉柱は少しの間、ピットの真ん中でじっと立ち竦んでた。今頃、俺のゼファーはどうしてんだろ…。やっぱしバイクのねぇ俺なんか俺じゃねぇ。死んだみてぇなもんなんだ。自分で愛車転がせねぇのが、こんなにもどかしいなんて。

「葉柱」

 バッサ…!

 うお、って、喚く暇もなかった。ぼうっとしてた顔に、ナイスなパスが飛んでくる。広げたまんまの雑誌で顔を塞がれて、危うく転ぶとこ、それよか、たったついさっき、涙ぐんじまった目を、危うくヒル魔にさらしちまうとこ。

「あぶねぇじゃねーかっ、なぁにしやが…っ」

 広げた雑誌のページに、思わず視線を落とす。雑誌ってより、いろんな雑誌から気に入ったページだけ裂き取って集めて、不器用に紐で閉じてるスクラップブックとさえ呼べねぇ代物。しかもこれ、俺の…。

 最初から最後まで、ゼファーと、そのゼファーの専用パーツと、加工すりゃゼファーにもなんとか着けられる社外パーツと、で見事に埋められてる。

「てめぇもかなりのバイク馬鹿だな。バイクのこととなったら、いつでもどこでもトリップしちまえんだろ。……あいつとおんなじ」

 ぼそり、と付け足された言葉は、今度はちゃんと葉柱にも聞こえてた。

「わ、悪ぃ。でも、なに、今の。そのハーレー乗ってるヤツの事?」
「どーでもいーだろ、てめーに関係ねぇーし」
「かんけーねーけどっ」
「…ジェラシー、とか、笑えること言う気じゃねーよな?」

 にや、って、ヒル魔の整った顔に、また嫌味たっぷりの笑みが浮かんだ。違う、とかなんとか、言い訳の余地はあるけど、気になることは気になるんだ。ジェラシーもあるけど、この気持ちは、危機感っていうんだ、多分。

「なぁ、教えて。そいつって、ヒル魔の何?」
「…何で、てめーに」
「なんででも…っ、ヤキモチ焼いて悪ぃかよ。しょーがねーだろ、俺はお前」

 むぐ、って、それだけ呻いて、葉柱はデカい目を尚更デカく見開いた。白ランの襟、下から強く掴み取られて、乱暴するみたいなキスが、ヒル魔の方から。

「別に。…悪いってんじゃねーけど?」
「ヒ…」

 すげぇ…。何てんだろう、このキス。メチャメチャ男らしい、そんなキスの仕方。上目遣いは挑むようだ。湿度の高い息をついて、もう一回、ヒル魔は葉柱に顔を寄せる。

「…ヒル魔っ」

 だけど今度は葉柱も呆けてやしなかった。ヒル魔にリードされたまんまでキスなんて、嬉しーけど、嬉しーけど、そうじゃねぇよ。こういうのは俺からしてぇんだ。お前を好きなのは俺で、どうせお前は俺をそれほど好きじゃねぇんだ。判ってる。

 だったら好きじゃねぇのにしてくるキスなんて、そんなの…。

「あ…。はばし…ら…」

 ドサ。

 もつれ合うみたいにして床の上。古臭くて、外と大差ないくらい汚れてて、こんなことして怒鳴られるの目に見えてた。それでも構わず犯すなんてこと、出来る自信はなかったけど、だけど理性なんてブチ切れちまうんだ。それも「好き」の証なんだ。

 破きそうな勢いで、葉柱はヒル魔のシャツの前を開けた。実際、ボタン一個くらい飛んだかもしれない。そうやって無理に服を乱させれば、くらくらするような白い肌。キスして、舐めて、そうしながらズボンのベルトをもどかしげに外させ。

「ヤベぇ、止まんねー」
「…鍵ねーんだろ? 誰か入ってきちまうんじゃねーの?」

 あぁ、そーだ。表にゼファーを停めてれば、ハバシラがいるんだってわかって、滅多なヤツは入ってこねぇ。だけどゼファーは外に無いのだ。とすれば、今くらいの時間は、ここは一番たむろしやすい場所。今すぐだって、誰か入ってくんじゃねーのか?

「シャッター、降り切ってねーし」

 ヒル魔の声。そーだよ。シャッター開いてる。通りを歩く人の足音も声も聞こえる。影が見える。このまんまヤれる場所じゃねー。ヤベぇ、ヤベぇ、マジで、ヤベぇんだって…っ。

 ぐい、と葉柱は床についた両腕で、自分の体をヒル魔から離した。チクショー…って、悔しそうに言うのが聞こえる。

「なんだよ、お前っ。…俺のことからかってんの? ハーレーのこととか、今のとかっ。焦れるの見てて、楽しーかよっ」

 組み伏せられてたヒル魔の細い体が、なんてことないみたいに、するり、と葉柱の胸の下から抜け出て立ち上がった。たった今の出来事なんかなかったみたいに、彼は服の埃を払う。

「そういや、お前って、兄貴いるんだっけ」
「兄…。はぁ…っ?」
「いたよな、賊大の頭やってるいかにもって兄貴が」
「い、いるよ。いるけど、それがなんか」
「……つまり、てめーは自動的に弟ってわけ」

 何言ってんだか、さっぱり判んねぇ。元々判んねぇ時あったけど、今日はもう、とびっきり判んねぇ。

「弟…って、どーゆーふーな」
「……???」
「…なんでもねーし」

 昔、昔、あるところで、あるヤツに、弟みてぇに思ってるって、言われたんだ。そいつとは血の繋がりはなくて、俺は元々兄弟なんていねぇし、両親だっていたんだかいねぇんだか判んねぇ感じだったのに。だからその「弟」ってのが、意味わかんねーって、ずっと思ってた。

「二階、あんだな」

 くる、って背中を向けたと思ったら、ヒル魔はもう振り向きもせずに、細い階段上がってく。二階っていっても屋根裏部屋みたいな。いっそロフトと変わんないみたいな、半端でおかしな空間だけど、その小さくて狭い階段が、葉柱の前に立ち塞がる。

「なぁ、ヒル魔。俺、杖ついてなんか、ここ登れないんですけど?」



















 二話同時アップです。でも考え込んでた時間が長いので、所要時間は凄い長いですー。何日も悩みましたー。では、続きをどうぞー。


10/07/30