Machine    3




 遅っせ…。

 いつもたった五分しか待たない校門前。も少し部室にいればいいものを、ヒル魔は毎日の癖で、もうそこに立っていた。下校していく奴らが、自分の姿を見て目を逸らしたり、いきなり早足になって遠ざかっていくのが、見慣れているのに気に障る。

 どこか遠くで、バイクの音がした。でもあいつのバイクの音は、あんなんじゃない。もっと低くて重くて、車体に篭ってから響くような、そういう音なのだ。昔、耳に馴染んでた音に似てるけど、それとも違ってて。

 あぁ、思い出しちまう。
 それこそがあいつの…。あいつの音だったっけ。
 まぁよく覚えてるもんだよな、俺も。

 思い出すのは、白ラン着た賊学ヘッド様。別の名を、俺にだけ忠実なパシリの奴隷…のことじゃなくて。

 ヒル魔は気だるげに首を仰向け、まだ眩しい太陽に片目を閉じる。閉じて暗くなった瞼の裏に、でかい体ででかい背中、明るい茶色の髪した後姿が見えてくる。

 長い長い金網の破れ目の、向こうの世界は文字通り別世界。ちっぽけなこの国の法律に縛られてねぇっ、てことが、たったそれだけで自由なように思えてたなんて、俺も随分バカなガキだったんだな、笑わせる。

 バイク乗るか? kitty

 からかうような声して、いつもあいつ、遠くからいつも俺を呼んだっけ。しつこくしてくるわけじゃねぇ。来るたびカードでたんまり儲けて、アメ公どもをびびらせてた俺を、いつまでたっても、ただガキ扱いするばっかで。

 ガキ扱いすんな? はは!
 ガキだろ kitty
 せめてローティーンになってから意気がんな

 ローティーンて、もうなってんだって、言うのもムカついて、黙ってたっけ。あの…バイクの音が、まだこんなに耳に残ってたなんてな。俺も、あいつを案外気に入って…。

  kitty kitty なぁ、つれなくすんなよ
  弟みてぇで、可愛いって思ってんだ

 弟…? 弟って、なんだ? 何を言われたかのか、今だってよく判んねぇ。あいつのバイクは確かに立派で、でっかくて凄くて、乗れっつうんなら、乗ってやるぜ、って、あれから何度も、何度も…。



「ヒル…」

「………あ…?」

「なぁ、ヒル魔? ヒル魔って? 遅れた? 俺」

 でけぇ目が二つ。目の前で困ったように瞬いてた。脇に挟んでた雑誌がバサリ、と足元に落ちて、奴隷野郎は松葉杖装備のくせに、無理して拾おうとして手ぇ伸ばしてる。

 無理だって、そんなの。あ、拾えちまった、さすが、長ぇ腕。

「悪ぃ、やっぱちっと、遅くなってんな。どしたの? バイクねぇの判ってて呼んだんだよな? 用? こんなんでも出来ること?」

 何でもやるから、命じてくれな? とか、そんなふうに饒舌な目が言ってる。マジマジと葉柱の顔を見て、そこから奴の体を足まで眺め下ろして、白い石膏で固められた痛々しい足を見て、ヒル魔は拾ってもらった雑誌を差し出して、無造作に言うのだ。

「見舞い。来月号のバイクマガジン」
「え…っ? 嘘だろ、マジ? うわ、ぁ、雪降りそ」

 冷めて見える目で眺めながら、気付かねぇのかよ、とヒル魔は思ってる。バイクマガジンは毎月1日発売、今日はまだ月末前で、普通じゃ手に入らないってことを。それに…。

「あっ、表紙、ゼファーだ。やりィ、凄ぇ、かっけーっっ」

 たまに凄んでる時の姿からは、想像も出来ないようなはしゃぎよう。初めて見るその顔に、思わず視線を引き寄せられながら、半分呆れてヒル魔は言ったのだ。

「それ、幻の…ってヤツ。発売されたら書店で見てみな。なんか問題あったらしくて、表紙写真、差し替えられてYAMAPAのに変えられてっから」
「へ、へぇ…っ、そーなんだっ。マジでサンキュっ! ヒル魔、手に入れんの大変だったんじゃ…、でも、ねぇのか…お前には」
「大変? 別に、そんなもん」
「そっかぁ。でも、大事にすっからさ。…あー、んで、今日はまさか、これ渡してくれようと思って呼んだの?」

 そんなわきゃねぇ、と言いかけながら、本当は特にそれ以外用はない。強いて言えば、怪我がどうなのか知りたいとは思っていた。賊学からここまでは電車一本だが、駅構内は階段も多いし、駅からここまでだって、それほど近くはない。

 ちら、とヒル魔の視線が怪我の足へと落ちて、葉柱は聞かれる前にこう言った。

「全治一ヶ月、だってさ。松葉杖使わねぇで済むようになるまでだって、二週間はかかんだ。それからリハビリとか、いろいろ」
「……いてぇ?」
「えっ……」

 またびっくりだ。ヒル魔がそんなことを聞くなんて。

「い、いや…っ、固定してるギプスがあっから、痛みはねえよ。ただ、あれからバイクに触れてねぇから、そっちの方がなんか…」
「寂しいって?」

 笑いがしみた声。ニヤニヤって、いつものヒル魔にもう戻ってる。でも誤魔化そうとは思わなかった。もしも誤魔化したとしても、ヒル魔にはたぶん、全部判っちまうんだしな。

「あぁ、マジで寂しんだよな。なんか癖でキー探しちまってから、傍にいねぇって思い出して、息が上がっちまうくらい、毎朝ショックで。…俺らはみんな、結局バイクにイカれてんだ。面白ぇだろ。笑っていいぜ?」
「…別に、笑いたかねぇ。そういうヤツを他にも知ってたしな」

 いきなり声のトーンが落ちて、ヒル魔は勝手に歩き出してる。大事に片手で胸に抱いてたマガジンを、慌てて尻ポケットに捻じ込んで、葉柱はヒル魔に話しかけながら、かつんかつんと松葉杖で追いかけた。

「ふうん…、そ、そーなんだ。だからお前、バイクのことも結構知ってんだな。…誰? ダチ? そいつどんなバイク乗って…」
「harley-d-night」
「ハー…」

 簡単に告げられた車種に、ガク、と葉柱の顎が落ちた。ダチな訳ねぇ。コーコーセー風情が、そんなもん乗りまわしてたら、目立って目立って、全国何処にいたって、噂くらい聞いてそうなもんだろ。

 いいな、そんな知り合いいて…って、思うと同時に葉柱は落ち込みそうになってた。だって、そんな凄ぇの乗ってる知り合いがいるんなら、俺のゼファーなんて…。

 不恰好に、かつんかつんて歩いてる、自分のギプスの足だけ見下ろしてたら、いつの間にか立ち止まってたヒル魔にぶつかりそうになった。

「バイク、どこにあんの? 今」
「え? 修理だよ」
「ちげーって! 『どこ』っつってんだ。こないだのボロ工場かよ」
「あぁ、あそこはちゃんとした工場じゃねぇから。賊学の奴らがみんなでいろいろ持ち寄って、いらねーもん置いといたり、いるもん貰ったり、自分で修理したり、自分よか器用なヤツに直さしたりして、そーゆーふーな場所だからな。あそこじゃちゃんとは直せねぇ。」

 見るからに元気の無い顔してる葉柱を、なんだか同情するような顔で眺めて、ヒル魔はまたくるりと前を向いてしまう。その細い背中に葉柱は言った。

「ゼファーな。今、KAWATAKIの神奈川工場にいってんだ。ま、俺の足よっか早く治ると思うけど」
「笑えるかもな」
「あー。だろうな、どうせ」
「バイクのねぇ賊学ヘッドってか?」
「どうせ」

 もう一度葉柱は言った。さすがヒル魔、痛ぇとこを付いてきやがる、って思う。役にたちゃしねぇ奴隷なんか、動ける足のねぇタクシーなんか、こいつにとっちゃゴミ同然で。

「わ、悪かったな…。じゃ、そのハーレーに送ってもらえばいーだろっ。もともとゼファーなんかより、俺なんかより、そっちの方がぜんっぜん…ッ」
「もう…いねぇから」

 零れた言葉は、うまく葉柱に伝わらなかった。

 かつん … 。

 この音は松葉杖の音じゃない、ヒル魔の靴先が小石を蹴った音。どこか拗ねたようなその顔が、その行き所を探すような目が、ずっとずっと昔の、拗ねたガキの頃の彼。

 俺は、
 バイクだからこいつを選んだわけじゃねー。 
 関係ねぇって。…そう、多分な。

「葉柱」

 ヒル魔は振り向いて言った。

「行こ」

 あぁ、なんだ? ガキみてぇな言い方になっちまったじゃねーか。

「あのシューリコージョー。鍵くらい、あるだろ?」















あーどうしよう、どこへ着地するかわからない話になってきてます。いや…おぼろげに書きたいことは判ってるんですが、それが微妙すぎるというか、あまりに少女趣味だというか。

 可愛いヒル魔さんになりそうで、今から怖いです。読んでくださる方も、是非心の準備はしっかりと。へこーん。



10/07/18