月 籠  tuki-kago 9




 消えねぇんだと
 教えてくれよ

 こんな甘くて幸せで
 それゆえ怖くて消えそうで

 陽炎じゃない
 逃げ水じゃない
 幻じゃない
 夢じゃない
 
 ここにあるんだと
 教えてくれよ
 
 偽りじゃない
 嘘じゃない
 解けない
 逃げない
 壊れない

 二度と抜けない
 楔の様に
 この身の内に
 刺してくれ


 

 
 潰れたままに、捨て置かれていた料亭の離れ。渡り廊下の先のその室で、弥一は無言で俯している。

 捩じって、横へと向けた白い首、ぼんやりとした眼差しの先には、色褪せた、けれど破れてはいない透かし絵のある障子。その向こう、荒れた庭の木々の上に、月が音無く光と影とを落としていた。

 時間は、流れてるんだろうか。止まっているように、思えてくるのだ。傍らに居る男の、息遣いがまるで聞こえてこない。聞こえるのは己の鼓動の音だけだ。首はそのまま、弥一が視線だけを流して彼を見ると、視野の端にぎりぎり、政之助の姿が見えた。

 政之助の、殆ど伏せているその目が、それでも凝っと、彼を見ている。肩から落し、腰まで下ろした着物のわだかまる、その細い脇腹、背筋の線が、抉れて見えるほどの痩せた弥一の体を。

 背からでも分かる、彼のあばらのくぼみを、つ、と政之助の指先が撫でた。弥一は、もともと浅く静かだった息を止め、よく見知った政之助の指を脳裏に浮かべる。ごつごつとしては居ないが、指が長くて案外白い、見目で少し冷えて見える癖、触れると湯のようにあたたかな、その指、手のひら。

 その手が、弥一の肌を撫でる。殆ど無い肉、薄い皮膚の下の骨の形を、確かめるようにゆっくり。そして無数についた、古い傷、まだ新しい傷をも、数えて触れて、己の身にこそ、そのすべてを刻み写し取るような仕草だと思った。

「 政 … 」 

 声鳴き声で、ほろり、弥一は言った。少し、笑いが滲む息だった。

 なぁ、政。
 今宵、俺はお前に抱かれると思ってたのに。
 これはそんなんじゃぁ、ねぇな。
 まぐわりなんかじゃねぇ、愛撫ですらねぇ。
 俺はお前に俺を、やる気でいるのに、
 ちいとも、取っていきゃしねぇ。

 暫しのち、ようやっと呼ばれたことに気付いたらしき、余裕なさげな政の返事。

「……あ、なんで、ござろうか…?」
「なに、してる…? こんなんじゃ、朝が来ちまう…」

 かすれてようやっと音になった、そんな声に何思ったか、政之助は随分焦り、部屋の隅に置かれた水差しまで飛んで行く。

「すまぬ、喉が乾いておろう。水を」

 躊躇いなくあっさりと、離れて戻った彼に、弥一は心が焦れて、どこか駄々っ子のように、僅かに眉寄せ。

「…はなれんじゃ、ねぇ、よ…」

 と。聞こえた弥一の声に、政は困って、どうしていいか分からずに、伏したままの弥一の体の、胸の下に手を入れて、その身を少し捩じるように抱き起す。そうして、口に含んだ水を、弥一に。

「んぅ…、ふ…っ」

 唇が触れた途端、弥一が小さく呻く。彼は布団に両手をついて、自分からも身を起こし、口吸いとほぼ同じの、口移しを、静かに貪ったのだ。

 あぁ、どきどきと、己の鼓動が煩くて堪らない。政之助が体に触れて抱き起す手の指先が、胸の柔らかな部分に偶然届いて擦れている。焦れて、焦れて、あまりにも焦れていることに、今更気付かされて、じっと待っていることが、堪え難く苦痛なのだと、弥一は意識した。

 だってそうだろう。
 いつからだと思ってやがる。
 ずうっと前だ。
 ずうっと、ずうっと、ずう…っと。

 この身は汚いだとか、おめぇを闇に引きずり込んじまうとか、厭われちまうとか嫌われちまうとか。幾重に、幾重にも、逃げたい訳、嫌がる理由に雁字搦めにされながら、いつだって、おめぇのその、信じ難いよな甘さに縋って、あぁ、いつか、って、乾いたちっぽけな、一個の種のような、この願いを、ずっと、俺は。

 ぐるり、と強引に、弥一は仰向けに身を返す。背を下にした途端、政之助は怒ったような顔をして、駄目だ、と言った。

「弥一殿…! 背を下にしては…っ」
「うる、せぇ。待てねんだよ。もう…」

 弥一は己の腰にまとわりついた着物を、自身の手で、毟るように取り払い、腕と紛うほど痩せた脚を、政之助の前で左右に開いた。ぼんやり灯った行灯の火までが、ゆうらりゆらり、揺り籠のように揺れる、揺れる。あばら一本一本ごとの、くっきりとした線に刻まれる影も、揺れていた。背からよりも、よりいっそうに痩せて見える体の、その落ち窪むほどの腹も、腰の細さも。

 惨いほどのその痩せように、思わず政之助は目を眇めたが、広げた脚の間のそれは、弥一の願いに正直に、そこで首をもたげていた。

「…し、して、くれ、政…」
「し慣れぬ、故」
 
 たどたどしく返された言葉に、弥一は首を横に振り、ただもう、政之助の名を呼ぶ。

「政。政。…政」

 慣らさねば、と政は思う。よく知らないながら、せめて少しは、と。ほぐして、濡らして。多分、広げるような、そういうことをしてから。そういうものなのだと、女たちの戯れ話で、聞いたこともあるような。

 でも。

「政…」

 呼び声を聞いているうち、そんな朧な知識も遠くなった。酷なことをしていると、ようやっと気付いたのだ。

 こくん、と一つ、息を飲んで、政之助は弥一の両脚を抱えた。なんて細い、と思いながら、ぽきりと折れそうだと、そう思いながら、開いた其処へと己が身を寄せる。不思議と、狼狽はしなかった。身を寄せる間に、弥一が顔の横へ上げた両手で、自分の頭の下の枕を掴むのが見え、あぁ、痛みに耐えるためなのだと、そんなことを思う。

 帯を解き、着物の前を広げ、取り出したそれは、待ちわびていたような姿をしていた。弥一殿のと同じだ、と頭の何処かで思い、それに手を添え、すべき場所へと、そっとあてがう。

「ま、さ…っ」

 弥一が夜具の上で、ぐ、と腰を浮かせた。自ら腰を揺らし、受け入れようとする仕草を、政之助は押し留め、その途端に見える弥一の、泣いたような、顔。あぁ、また、駄々をこねる子供のような。いいや、寧ろ、乳を欲しがる赤子のようでさえ。

「…やいち、どの」

 ぐ、と身を進めた時、一瞬感じた抵抗が、結び目を解いたように蕩けて消えて、ふたりは互いに、深く深く息を吐きながら、ひとつに重なった。麻痺したように、不思議と痛みは感じなかった。まるで、その為に用意した隙間に、その為だけの楔を差し込むが如く、つぶり、と、すぐに太い部分が通ってゆく。

「あ、ぁ、政…ぁ…」

 散々に欠けて、あちこちに罅の走った、何もためられぬ器だった弥一が、注がれるそれを、一滴たりと零さぬようにと、今だけでも、きれいな器になろうとする。それでもまだ、酷く歪んで、浅くて、傾いていて、せっかくのそれが、どんどん零れていってしまっても、大丈夫、だった。

 政之助から注がれる、ぬくもりや、柔らかさや、想いは、彼の中からどれだけでも生まれ、弥一のためだけに溢れたからだ。

「政、まさ、政…」

 途切れず続く、呼び声は、言葉にならぬ弥一の感情の、結晶であるかのようだった。出会ってから、短くはない年月、その間呼んだ数を、恐らくは軽く越えて、その声は、彼が疲れて墜ちるまで、ずっと繰り返されたのである。
 
 
 


 知らぬ間に、とうに月も空を渡り終えたらしい。障子の向こうの庭には、深く影が落ち、この室ごと深い静けさに沈んでいる。

 気付けば互いの体は繋がったままで、政之助は随分と狼狽した。このままで寝入るとは、まさか考えてもみない。焦って、眠る弥一を起こさないように、なんとか身を剥がそうとしていたら、はっきりと目を開けている眼差しと合った。

「政?」
「や、いち、どの…っ、す、すまぬ、起こしてしまい…っ。いや、違う。そうではなく、そのっ、い、痛くは、ござらんかっ?」
「いや…。平気だ、抜く、か?」
「そっ、そ、それは、むろん…っ」

 言っているうちに、障子の向こうに明るみが差す。どうやら夜明けであるようだ。いったいどれだけひとつでいたのかと、焦り通しの政之助の目の前で、弥一は脚を左右に開いて、全裸の体を、彼の前で軽く後ろへ引いた。

 その途端、ずぽり、と、それは抜け、白く濁った滴りが、弥一の閉じ切らぬ穴と、政之助の先端の、両方からとろとろと零れた。

「だ、っ、だ、大丈…っ」
「大丈夫だ」

 伸べた細い弥一の手が、脱がされ散っていた着物を引っ張って取る。それを痩せた身に纏い、彼は気怠げに身を起こした。政之助は急ぎ身支度をして、濡らした手拭いで顔を擦り、肌を清め、その後弥一の体にも手を伸ばすも、それは、微妙な笑いで拒否された。

「いい。自分で。それよか、政。なんか喰うもんがねぇのかな」
「あ、確か、すぐのところに物売りが…っ」

 ばたばたと、政之助は室を出ていく。渡り廊下を遠ざかる、その後ろ姿を首を傾げて眺めながら、弥一の唇からは、小さな声が零れていた。


 いとしい 

  いとしい…













 濡れ場、書きました。そう詳しく書いてなくても、はっきりしっかり「しました」ってことは書きたかったので、ところどころ生々しい感じですかね。でもメインはエロじゃないんで、そこんとこちゃんと書けたのかなぁぁぁぁ、って思いつつ。

 多分、次回でラストとなるかと思います。残るは書き残した一点、ってことでっ。それにしてもな、タイトルがなんか浮きそうな気がしてきたけど、な、まぁ、いいか…(^ ^;) 難しいですね、着地点を決めて書くのはっ(> <)。

 てことで、大変遅くなりました、月籠9話でございますですっ。


17/01/03